全盛期があるということはその逆がある、それは活躍があったときがあってこそ、テレビドラマでも大成功した歴代音楽家の光と闇、「大音楽家残酷後「赤かぶ」到来 怒濤と驚異の10年間」のスタートです。
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【多様性の鬼】四路線約二十 代表作通算105作の世界的大音楽家 巨匠渡辺岳夫前回記事の裏側
現代声優を形成した二大声優ぷらすキングレコードのアニメから実写へ奇跡のポテンシャル 次回と今回でドラマと声優が絡みつく
今回は情報量が多く複雑な部分ですが、非常に重要な部分、大変時間がかかりました。できるだけわかりやすいようにしたいし、個性がありながら斬新である程度は記事内容と伴うものにしたい、毎回ですが今回のタイトルも悩みました。
1960年代 映画(時代劇、現代劇、アニメ)、テレビ(時代劇、現代劇、アニメ)の代表作
*1950年代テレビドラマやテレビ番組のそのものの形成期 最初の明確な代表作の
指名手配との出会い
ドキュメンタリードラマ 指名手配(1959~1962)
*1960年代
テレビドラマに関しては1970年台ほどではないが多く名作が作られた、純度が高いものはこの頃が多い 渡辺自身が時代劇からアニメと大きな代表作を残して、良い流れを掴んだ時期
<1950年代からの継続作>
ドキュメンタリードラマ
指名手配(1959~1962)
<1960年代 10本ずつその1> 映画ドラマはシリーズごとに1作のカウント
徳川家康 第一部 第二部(テレビ時代劇 市川右太衛門、北大路欣也の主演 1964~1965、1作扱い)、新選組血風録(テレビ時代劇 1965)、俺は用心棒シリーズ(全4作シリーズ テレビ時代劇 1966~1969)、鞍馬天狗(大瀬康一版 テレビ時代劇 1967~1968 30分) 眠狂四郎シリーズ(時代劇映画シリーズ 市川雷蔵版、3作を担当、1967~1969)、 10
<1960年代 10本ずつその2>
緋牡丹博徒(現代劇映画シリーズ 5作を担当 1968~1969)、大奥<1968)=(テレビ時代劇 1968~1969)、怪物くん(テレビアニメの初代、1968~1969)、巨人の星(テレビアニメ 1968~1971)、アタックNo.1(テレビアニメ 1969~1971)、巨人の星(1969)=(アニメ映画シリーズ6作の1作目、全体は1969~1982) 10
<1960年代 10本ずつその3>
巨人の星 行け行け飛馬(1969、アニメ映画シリーズ7作の2作目)、あゝ忠臣蔵(テレビ時代劇 1969)、天を斬る(テレビ時代劇 1969~1970) 3 1960は通算23 継続含めると24
渡辺岳夫 ドキュメンタリードラマ 指名手配 巨人の星1970年代 映画(時代劇、現代劇、アニメ)、テレビ(時代劇、現代劇、アニメ)の代表作1
*1970年代 現代劇、時代劇のテレビドラマが大量生産、多くの名作やヒット作を生み出す、また大ヒットしたアニメが多数誕生 現代劇、時代劇、アニメの3役が隆盛 渡辺自身も1960年代の代表作連発のさらに受けて代表作を最大膨大に排出
その1は1970年代前期の1970~1974年です。
<1960年代からの継続作>
巨人の星(テレビアニメ 1968~1971)、アタックNo.1(テレビアニメ 1969~1971)、 天を斬る(テレビ時代劇 1969~1970)、
<1970年代のその1 1970年代の前期のその1 1970~1974年 10本ずつ>
巨人の星 大リーグボール(1970、アニメ映画シリーズ7作の3作目)、巨人の星 宿命の対決(1970、アニメ映画シリーズ7作の4作目 第1期のラスト映画版)、アタックNo.1の映画シリーズ(アニメ映画3作 1970~1971) 燃えよ剣(テレビ時代劇 1970)、大坂城の女(テレビ時代劇 1970)、金メダルへのターン!(テレビ現代劇 30分 1970~1971) 女渡世人シリーズ(現代劇映画2作、1971) 10
<1970年代のその2 1970年代の前期のその2 1970~1974年 10本ずつ>
ザ・ガードマン(テレビ現代劇 1971~1972、区間のみ)、天才バカボン(テレビアニメ 1971~1972)、無宿人御子神の丈吉(時代劇映画3作 1972~1973) 眠狂四郎(テレビ時代劇 田村正和版 1972~1973)、赤ひげ(テレビ時代劇 1972~1973)、赤胴鈴之助(テレビアニメ 1972~1973) 非情のライセンス第1シリーズ(テレビ現代劇 1973~1974) キューティーハニー(テレビアニメ 1973~1974) 10
<1970年代のその3 1970年代の前期のその3 1970~1974年 10本ずつ>
子連れ狼(テレビ時代劇シリーズ3作 萬屋錦之介版 1973~1976)、ぶらり信兵衛-道場破り-(テレビ時代劇 1973~1974) アルプスの少女ハイジ(テレビアニメ 1974)、 非情のライセンス第2シリーズ(テレビ現代劇 1974~1977) 右門捕物帖(テレビ時代劇 杉良太郎版 1974~1975)、編笠十兵衛(テレビ時代劇 1974~1975) 魔女っ子メグちゃん(1974~1975) 9
緋牡丹博徒年間観客動員ベスト10には1作も入りませんでしたが、通算は軽く1000万人以上のヒット、最大の当たり役の「緋牡丹のお竜」を演じた藤純子主演の「女仁侠」を題材とした東映の実写映画シリーズの記念すべき1作目『
緋牡丹博徒』、
渡辺岳夫が音楽と主題歌を担当しています。東映とナベタケの縁が強くなるきっかけともいえる重要な作品で、1970年代の数多くの東映作品(時代劇と現代劇のテレビドラマ、アニメ)の代表作に貢献へつながります。製品ジャケットには、脇を固めた大スター高倉健や若山富三郎の写真もみられます。
緋牡丹博徒 緋牡丹のお竜 高倉健 若山富三郎 東映 藤純子1970年代 映画(時代劇、現代劇、アニメ)、テレビ(時代劇、現代劇、アニメ)の代表作2
その2は1970年代後期の1975~1979年です。
<1970年代のその4 1970年代の後期のその1 1975~1979年 10本ずつ>
フランダースの犬(1975)、影同心(テレビ時代劇 1975)、影同心II(テレビ時代劇 1975~1976)、元祖天才バカボン(テレビアニメ 1975~1977) ザ・カゲスター(特撮ドラマ 1976、30分) キャンディ・キャンディ(テレビアニメ 1976~1979)、新幹線公安官(現代劇ドラマ 全2シリーズ 1977~1978) 家なき子(テレビアニメ 出崎統版 1977~1978)、新・巨人の星(テレビアニメ 1977~1978) 10
<1970年代のその5 1970年代の後期のその2 1975~1979年 10本ずつ>
新巨人の星(1977)=(1977、アニメ映画シリーズ7作の5作目)、無敵超人ザンボット3(テレビアニメ 1977~1978) 白い巨塔(テレビ現代劇 田宮二郎版 1978~1979) ペリーヌ物語(テレビアニメ 1978) 新巨人の星(1978)=(1978、アニメ映画シリーズ7作の6作目)、あばれはっちゃく 第1シリーズ(テレビ現代劇 1979~1980 30分) 10
<1970年代のその6 1970年代の後期のその3 1975~1979年 10本ずつ>
キャンディ・キャンディ(アニメ映画シリーズの4作中1~3作、1977~1978 全て短編)、新巨人の星II(テレビアニメ 1979) 花の子ルンルン(テレビアニメ 1979~1980) 機動戦士ガンダム(テレビアニメ 1979~1980)、騎馬奉行(テレビ時代劇 1979~1980) 7 1970は通算56 継続含めると59

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「永久保存盤」~渡辺岳夫 テレビ映画・アニメ主題歌集 取り上げたら長くなるので省きますが、厳選された数多くの名作が大集合 個性的なOP・EDの主題歌が印象に残る『
ザ・カゲスター』のカゲスターも含まれています。東映作品が大半です。
ザ・カゲスター 「永久保存盤」~渡辺岳夫 テレビ映画・アニメ主題歌集1980年代 映画(時代劇、現代劇、アニメ)、テレビ(時代劇、現代劇、アニメ)の代表作
*1980年代はテレビの人気が1970年代よりも大きく低迷、高視聴率や大ヒット番組が全体的に減少傾向、全体的にテレビ時代劇の人気が降下、形成の大物たち、時代劇映画の専門プロの主演や助演名優、製作者が多数死去もドラマに影響、渡辺は1980年代に新興の2時間枠のサスペンスドラマの音楽を多数手掛けるが、単発やシリーズの代表作にほぼ恵まれず、自身は1970年代の流れを大きく落としている。
<1970年代からの継続作>
花の子ルンルン(テレビアニメ 1979~1980)
機動戦士ガンダム(テレビアニメ 1979~1980)、騎馬奉行(テレビ時代劇 1979~1980)、あばれはっちゃく 第1シリーズ(テレビ現代劇 1979~1980 30分)、
<1980年代のその1 10本ずつ+1>
あばれはっちゃく 第2シリーズ~第5シリーズ(テレビ現代劇 1980~1985、30分 4カウント)、斬り捨て御免!(テレビ時代劇の全3シリーズ 1980~1982)、非情のライセンス第3シリーズ<1980) 機動戦士ガンダム(映画版の3部作 1981~1983) 11
<1980年代のその1 10本ずつ+2>
同心暁蘭之介(テレビ時代劇 1981~1982)、 大奥(1983)=(テレビ時代劇 1983~1984) わが子よシリーズ(テレビ現代劇 月~金の30分 1、3~6シーズン 1981~1986 5作カウント)、仕掛人・藤枝梅安シリーズ(小林桂樹版 テレビ時代劇の単発長編7作 1982~1983 1作カウント) 赤かぶ検事奮戦記(テレビ現代劇 フランキー堺版 通算5シリーズの1~4 1980~1985) 12 1980年代は通算23 継続含めると27
1990年代 映画(時代劇、現代劇、アニメ)、テレビ(時代劇、現代劇、アニメ)の代表作
*1990年代 渡辺は昭和最後、平成元年の1989年に56歳の死去後 多数の大物映画関係者が死去し、テレビは1980年代以上に大きな権力を持つ
<1990年代や2000年代以降 のその1 10本ずつ>
赤かぶ検事奮戦記 (テレビ現代劇 1990~1992 フランキー堺版 単発長編3作 カウント1作扱い) キャンディ・キャンディ(アニメ映画シリーズ4作目、1992 短編) 新・赤かぶ検事奮戦記 長編17本(テレビ現代劇 カウント1作扱い、1994~2005) 3
渡辺岳夫の1970年代は代表的作品群が膨大なため、前期と後期に分けました。上記を観ていただくと現実にわかるかと思いますが、テレビや映画含めた活動開始時期の1950年代が1、1960年代が1960は通算23 継続含めると24 1970は通算56、継続含めると59と膨大、もっとも活躍した時期といえ、良い意味における怒濤と驚異の10年間、1980は1970年代のピークから急激に降下をたどった落差の怒濤と驚異の10年間(正確には9年間ですがおまけしてください)、1980年代は通算23 継続含めると27の、自身は残念ながら1989年に死去、1990年代に3、2000年代に『新・
赤かぶ検事奮戦記』シリーズの継続1となっています。
1970年代というテレビ時代劇とテレビアニメの黄金期=テレビドラマやテレビ番組のそのもの黄金期が、彼の大半の実積に大きな影響を与えていること、渡辺岳夫は全体的にテレビ音楽家の申し子だったこともわかります。
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渡辺岳夫は1980年代に突入すると1970年代と比べると代表的作品のペースが急激に減少しますが、彼の挑戦は続きました。その中で代表的なもの最後ともいえる作品があります。
最後に担当したテレビドラマの代表作、名作『赤かぶ検事奮戦記』の第1シリーズのDVD製品版、個人的にはこの第1シリーズが複雑さや余計な要素の装飾が余分になくて一番好きです。
関西方面の検事の活躍を地域の情景や風情にある雰囲気を交えて描いた、
フランキー堺版の『赤かぶ検事奮戦記』は通算5シリーズ(1980~1992)で放送され、第4シリーズと第5シリーズの間に長篇3本を含んで、約12年ほどの長期で続き、通産は名喜劇俳優の
フランキー堺の映画とドラマをあわせた中で最大の当たり役となりました。
台風災害時の対応で大騒動となった、2019年時点で千葉県知事の
森田健作もタレント時代に出演、赤かぶの娘役の倍賞千恵子との絡みの演技が多めです。映画時代に
フランキー堺とコンビを組んだ喜劇名匠の
瀬川昌治も監督参加、渡辺岳夫の音楽とともに花を添えています。
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正確にはヤクザ映画やいわゆる異色路線(不良番長や夜の歌謡シリーズ)の俳優なのだがきちんと取り上げない。「やくざ」ということばがテレビ=D通NGなのだろうか。事実をしゃべらない、テレビは過去の芸能ウソばかりを広めている。
また毎回、宝田明は追悼おなじみ出演だが、毎回ちょっと盛ったこと(ウソ)をいう例えば話していた社長シリーズ(本数ほど客は呼んでいない映画)は年間にそんなに作られていない、事実を完全に盛っている。彼の記憶に数割のウソがある。彼が悪いようにいう五社協定はけして悪いものではない、それぞれの会社ごとの俳優のカラーを保つためにも非常に意味があるもの、当時はトップ俳優はあまりないが、レンタルで他社に出た俳優も多数いたし、誰もいないようにしゃべる。これは非常に問題だ。ウソを広めているようで許せない。
ミヤネ屋の場合は宮根本人やコメンテーターが印象でウソを連発していることも許せなかった。