ドラのいつどこでも ドラマ思想展開

 「おはよう~こんにちわ!こんばんわ!おやすなさい~」なチワワなドラ10年以上前くらいからCS(スカパー)でドラマ見てます。かなりの作品500タイトル以上観てきました。1960年代~70年代のドラマが特に好きです。

天皇の渡辺邦男と松本常保 映画とドラマと 時代と運命と



今回は”天皇の渡辺邦男松本常保 映画とドラマと 時代と運命と”と題して展開していきます。テレビドラマ中心の映像制作会社の日本電波映画はその後、衰退の道をたどります。

関連の前回記事⇒【テレビドラマ貢献】松本常保と映画の通産42作とテレビドラマ22作の謎






天皇の渡辺と松本 映画とドラマと 時代と運命と




映画の製作者時代から渡辺邦男と縁があった松本常保は映画の『明治天皇と日露大戦争』をテレビドラマとして再映像化した『明治天皇』を映画と同様に多額の費用で製作し、これに苦しんだといわれています。1966年の第1期はテレビ映画として製作していましたが、第2期は当時のNHKや他の放送局が製作していたドラマのように比較的に予算が安く済むVTR撮影で製作するという路線変更を余儀なくされましたが、最終的に折り合わず打ち切られました。

時間をさかのぼりますが、渡辺邦男はテレビがあまり普及していない頃の1955年に『エノケン ホームラン王』というテレビドラマの単発作品の監督をしていますが、このときは本格的なテレビドラマの参加はそませんでした。本格的な参加は1963年の松本常保の日本電波映画のテレビドラマまで待つことになります。



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1948年に公開された新東宝とエノケンプロの制作による 『エノケンのホームラン王』は大喜劇人&映画スター榎本健一の商品化されたエノケン×渡辺邦男(監督)の名コンビの代表作の一つであり、サトウハチローが原作です。1955年に放送されたテレビドラマの『エノケン ホームラン王』もこの映画の 『エノケンのホームラン王』のリメイクの可能性が疑われます。







両雄のテレビドラマのために避けては通れない”映画の功績”





渡辺邦男松本常保はテレビドラマで関わりを持つ前の映画時代から縁がありました。そうです。渡辺邦男と松本常保の関係に迫る前に渡辺邦男の映画の大まかな功績に光を当てることが大切だと考えています。テレビドラマのブログですが、彼の映画の功績を取上げることでいかに功績がある人物がテレビドラマに挑戦したのかを少しでも知っていただくためです。

渡辺邦男はテレビドラマに進出する前には、娯楽映画の巨匠スター映画の巨匠早撮りの巨匠オールスター監督映画界の天皇などの異名を持っていました。当時、これだけの異名を持つ映画監督は彼だけでした。

渡辺邦男は日活映画の池田富保(戦前の最多オールスター監督数、娯楽時代劇の巨匠)の助監督を6作以上勤め、1928年に監督デビューし、通産で約230作、現存の縮濃版などを含めると240作ほどの映画作品を監督しました。しかもそのほとんどが長編映画です。


アメリカの映画監督はショートムービー(アメリカのサイレント時代に多い)を含めれば200作は何名か存在していますが、長編だけでは存在していません。代表作はいくつかの理由から東映のナンバーワン監督としても知られる松田定次とほぼ近い100作、またはそれ以上の本数が存在しています。

松田定次については以前の記事にも書いています。
テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録実現など

いずれは映画ブログの方で機会を設けて大々的に取上げたいと思いますが、松田定次と渡辺邦男の大きな違いの一つは戦前の代表作は渡辺邦男の方が多いところも挙げられるでしょう。また、小規模オールスターの本数は渡辺邦男の本数が上です。例えばオールスター映画は大と小があるという捉え方をすると大規模は松田定次といえますが、小規模のオールスター映画は渡辺邦男が世界で歴代でトップの本数を監督しています。さらにテレビドラマでも200本(作数ではない)以上の監督をこなした大人物です。



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上記は現存題『忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜』、公開時は『赤垣源蔵』の説も有り。渡辺邦男の師匠の池田富保は尾上松之助や山本嘉一、阪東妻三郎や片岡千恵蔵、大河内傳次郎(左から映画デビュー順)の歴代大スターが出演した日活映画を二桁10作以上も残しており、5大スターだけでも50作以上にのぼります。これも池田富保の功績を語る上で大きな実積の一つです。





渡辺邦男 公開順の戦前から戦後の主な代表作





渡辺邦男の戦前の主な代表的作品群(表ブログバージョン)

『さくら音頭(日活版)』  五月潤子、市川春代、夏川大二郎  現代劇 マキノ正博と共同監督  大ヒットと記録有
「丹下左膳」4作(1933~1938)  大河内傳次郎  時代劇  日活オールスターは内1作
『検事とその妹』(1937)  岡譲二と原節子 現代劇
『源九郎義経』(1937)  長谷川一夫(源義経)と大河内傳次郎(武蔵坊弁慶) 時代劇
「白蘭の歌」前後篇(1939)  長谷川一夫  現代劇 東宝オールスター2部作 大ヒットと記録有
5  9(前後や他含む)
「熱砂の誓ひ」前後篇(1940)  長谷川一夫、李香蘭  現代劇
6 10

渡辺邦男の戦後の主な代表的作品群

『麗人』(1946) 原節子  現代劇
「誰か夢なき」前後篇(1947)  藤田進  現代劇 大ヒットと記録有
エノケンのホームラン王』(1948)  榎本健一  現代劇
『向う三軒両隣り 白百合の巻』(1948)   柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの1作目
10  15
『続向う三軒両隣り スタコラ人生の巻』(1948) 柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの2作目
『いれずみ判官 桜花乱舞の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん1作目 東横オールスター
『いれずみ判官 落花対決の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん2作目 東横オールスター
『水戸黄門漫遊記 第一部 地獄の豪賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
『水戸黄門漫遊記 第二部 伏魔殿の妖賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
15  20
『飛びっちょ判官』(1952)  片岡千恵蔵 時代劇 遠山の金さん5作目  東映オールスター
『大菩薩峠』3部作(1953)  片岡千恵蔵 時代劇 東映オールスター3部作
『犬神家の謎 悪魔は踊る』(1954)   片岡千恵蔵 現代劇  片岡千恵蔵の金田一耕助5作目 東映オールスター *1
『はりきり社長』(1956)   森繁久彌  現代劇 森繁久彌の社長シリーズ3作目
明治天皇と日露大戦争』(1957)   嵐寛寿郎 時代劇 新東宝大オールスター 超大ヒットと記録有
20  27
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』前後篇(1957)  美空ひばり 時代劇 新東宝中心オールスター  大ヒットと記録有
『忠臣蔵(1958)』   長谷川一夫 時代劇  大映大オールスター 超大ヒットと記録有
『銭形平次捕物控 夜のえんま帖』(1961) 長谷川一夫  時代劇 銭形平次捕物控17作目
『水戸黄門海を渡る』(1961) 長谷川一夫  時代劇


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大手映像会社のKADOKAWA(大映映画の権利を持つ)は本当にハイスピードで商品化をしています。一方、東映はDVDの商品化があまり進んでいませんが大映作品は商品化が多い。渡辺邦男と長谷川一夫の10作を越す名コンビの晩年作『水戸黄門海を渡る』(1961)、この映画はもちろん豪華キャストですが、オールスターの判断はしていません。3大スター以外の出演俳優が弱めの作品だからです。


『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』(1961)  美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ7作目など *2
25  32
『べらんめえ芸者と大阪娘』 美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ9作目など *3
『民謡の旅 桜島 おてもやん』 美空ひばり  現代劇 ひばりの民謡シリーズ3作目
『べらんめえ芸者と丁稚社長』(1963)  美空ひばり  現代劇  べらんめえシリーズ10作目 *4
『民謡の旅 秋田おばこ』(1963)   美空ひばり  現代劇  ひばりの民謡シリーズ4作目
『「明治の風雪」より 柔旋風』(1965) 倉丘伸太郎 現代劇
30  37



*1=片岡千恵蔵の金田一耕助5作目の『犬神家の謎 悪魔は踊る』は前後や総集編などを含めると10作目、再公開含めると13作目の説あり

*2=『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』は、べらんめえ芸者シリーズ7作目、べらんめえ芸者シリーズ5作目、ひばりの民謡シリーズ1作目の3つに同時該当
*3=『べらんめえ芸者と大阪娘』は、べらんめえシリーズ9作目、べらんめえ芸者シリーズ6作目
*4=『べらんめえ芸者と丁稚社長』はべらんめえ芸者シリーズ10作目、べらんめえ芸者シリーズ7作目





上記の渡辺邦男の戦前から戦後にかけての作品群(表ブログバージョン)は厳選した代表的な部分のみを載せています。
下記のリンク先の裏ブログは他の映画タイトル(裏ブログバージョン)やこちらで公開できない要素も公開しています。

リンク⇒テレビドラマの形成に関与 大巨匠渡辺邦男の主な代表的作品群



後日談=今回は膨大な情報量のため映画が中心になってしまいましたが、これは必要なことだと考えて断行させていただきました。ドラマブログなのに申し訳ないところです。この流れはへ続く



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[ 2017/09/28 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

テレビドラマの松田定次 海江田譲二 松山容子 豪華3競演録実現




230作の映画に出演した名俳優・海江田譲二と『琴姫七変化



琴姫七変化』(1960~1961)の主人公の琴姫の父である江戸幕府の第11代征夷大将軍の徳川家斉役は海江田譲二でした。海江田譲二(かいえだじょうじ)は時代劇映画を中心に230作以上の映画へ出演しています。テレビが取上げてるレベルの低い大物とは違い真の意味の大物俳優です。


海江田譲二は代表作が少ないながらも1930年代から1939年代後半をピークに約10年ほどで主演スターとしても活躍し、それ以降は助演、戦後になると脇役俳優として活動していました。主演数は戦前でも30位近辺の90作を越しています。戦前の事実上のトップ6である、時代劇六大スターが平均主演数が150作近辺であることから考えても、海江田譲二は代表作は少ないながらも主演本数的にそこそこなスターだったといえるでしょう。


琴姫七変化』では映画時代の実積を買われて徳川家斉であり、主人公の父親役の重要な役柄を演じていました。また、海江田譲二にとって『琴姫七変化』はテレビドラマの唯一といえる代表作だからです。


230作以上の映画出演は2017年時点で現役の仲代達矢が150作強、2010年代に亡くなった高倉健が200作強だったことからも、海江田譲二の230作以上の出演数は大きなものです。


海江田譲二は1939年から松竹の時代劇映画だけでも105作以上(東映10作以上)への出演を果たしており、松竹映画へ多数出演していた流れでテレビドラマの『琴姫七変化』へ出演したものと考えられます。琴姫七変化は松竹の関連俳優が他にも多く出演しており、メインキャストの松山容子と松本錦四郎も松竹映画から羽ばたいた俳優でした。また、松竹に縁がある名優・海江田譲二も出演していたことも必然といえば必然です。



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右の写真は男装で赤穂浪士の特定の人物に別れを告げにやって来る”おみの役の高峰三枝子”です。左は歌舞伎俳優で前進座のリーダーでもあった主演の河原崎長十郎??海江田譲二は『元禄忠臣蔵 前後編』(1941~42)で堀部安兵衛を演じていますが、残念ながら写真へ映り込んではいません。原作は歌舞伎で知られる真山青果、監督は巨匠・溝口健二がが手がけ、剣戟を省いたことも影響しているかもしれませんが堀部安兵衛の出番が極端に少ないことも特徴の忠臣蔵映画です。




現実に存在していた徳川家斉の娘 琴姫の悲劇




『琴姫七変化』へ登場する徳川家斉には現実に琴姫という娘が存在していました。ですが、生まれてまもなく亡くなったと記録が残されています。『琴姫七変化』の琴姫は、もしも琴姫が生きていたら、こんな活躍をしたのかもしれないという話であり、時代劇だからできる良きデフォルメ部分が存在しています。また、徳川家斉の娘の二十二女の琴姫は1815年生まれ~1816年に没と残されています。


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歴史好きでもあるのでいくつかは存じていますが、いろいろな面で逸話が残されている征夷大将軍でした。




姉妹サイトの裏⇒森繁久彌 東宝の多角経営の過大評価とゴジラ映画のパクリ疑惑



テレビドラマでも代表作を残した映画の巨匠・松田定次松山容子




松山容子といえば映画のことも少し触れておく必要があります。

主演映画の代表作である『めくらのお市』シリーズは東映映画を去った松田定次が監督を務めているものがあります。大映時代、東映の聡明記から黄金期を形成や牽引し、監督数は約170作、主な代表作は日本映画ナンバーワンの約100作,、『めくらのお市』は巨匠・松田定次の映画の遺作になりました。ちなみに黒澤明は監督数31作、代表作10ほどであり、数のみでは10倍の差が存在し、両名は監督として違うタイプにしても大きな実積差であることも事実です。


松山容子の主演映画「めくらのお市シリーズ」
1969『めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥』 監督・松田定次
1969『めくらのお市 地獄肌』 監督・松田定次 *遺作
1969『めくらのお市 みだれ笠』 監督・市村泰一
1970『めくらのお市 命貰います』 監督・市村泰一



松田定次は戦前から数え方次第では忠臣蔵映画を10作以上を監督、ここはメインではないので大まかに済ませますが戦後は東映ナンバーワン俳優の片岡千恵蔵の多彩な代表作を30ほど監督しました。千恵蔵とのコンビ作のみだけでも軽く1億人以上の観客動員を記録し、今後も困難なゴールデンコンビを形成していました。一言や二言で済ませられる実積ではありません。

簡単に言ってしまえば松田定次と片岡千恵蔵のコンビは、山田洋次と渥美清よりも最低でも数千万人以上も客を呼んでいるわけです。しかも片岡千恵蔵の場合は松田定次を含めた数多くの巨匠とコンビ数は通産で150作近くです。


「めくらのお市シリーズ」の3.4作目の監督の市村泰一は歌謡映画を多く残した松竹の映像化監督(プログラムピクチャー)として知られている部分がありますが、監督数が約50のわりには代表作が少なめでした。「めくらのお市シリーズ」の3.4作目は松田の流れを受けた映像化の内容を任せられました。


その松田定次の遺作が松山容子の主演による1969年の『めくらのお市 地獄肌』です。松田定次は東映映画を離れて、1964年から、外部や松竹のいくつかのテレビドラマ時代劇を手がけていました。松田定次が監督で事実上のチーフを勤めた栗塚旭が主演した1967年『風(1967)』は高く評価され、ヒロイン役の土田早苗が1967年の京都映画祭の女優賞を受賞しています。



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1967年から1968年に放送されて好評を博した松竹時代劇の『風』、箱にプリントされているのは栗塚旭土田早苗です。




裏記事⇒裏通り沿い~テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録~


姉妹サイト表⇒東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影

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[ 2017/05/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男





渡辺邦男が映画監督としての烙印を押された大きな原因


1950年代の後半から本格的にテレビ放送がスタートし、番組制作の延長でテレビドラマを作っていた製作者と映画からテレビドラマの製作を行うことが求められた製作者たちの競い合いが生まれていきました。渡辺邦男も映画監督としてはある意味の烙印を押されてしまったと言われています。その理由は悪循環でした。


渡辺邦男の黄金期の1000万人ヒットは2作であり、1000万人ヒットの数は松田定次と比べると大きく劣りますが、安定した作品を手がける能力を持ち合わせていました。それでも安定感をぶち壊すほどのめまぐるしい変化が起こります。

1960年代に入ると大ヒット作が減少、映画業界全体の観客動員の急減、同時に1950年代から1960年代に掛けての大きな実積から給料が膨大に跳ね上がっていたことも、渡辺邦男が映画界から烙印を押された大きな原因だといわれています。映画会社側にとってヒットの減少と高額給料は大きな負担のかかる要因となっていきました。


日本映画黄金期の影武者たち渡辺邦男も影響を受けた影武者たち



急激な変化が追い風、上手いが高いベテランよりもある程度の安い若手


膨大な給料を払うなら、ある程度の能力を持つ若手にチャンスを与えようと映画会社側は考えた理由です。渡辺邦男や他のベテラン監督らは映画界を解放され、表向きは若手にチャンスを譲って再スタートを図るために新しい分野のテレビドラマへ踏み出しました。当時はテレビ映画という言葉が使われていましたが、その後のテレビドラマといわれている年数が圧倒的に長いため、後者を採用していきます。

渡辺邦男は10作以上で長年コンビを組んだ俳優の1人、美空ひばりの主演映画『民謡の旅 秋田おばこ』(1963年公開)を最後に東映を離れました。その後、たどり着いた先のテレビ製作会社でドラマの監督や監修を手がけることとなります。

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*『民謡の旅 秋田おばこ』は商品化されていないため、写真はイメージです。




知られざる美空ひばりの真実 世界ナンバーワン女優の真相


美空ひばりはテレビやラジオなどのメディアで多くの場合、国民的な歌手として取り上げられることが多いですが、女優としても1949年から1970年代の前半までの黄金期の映画界を中核として160作以上に出演しました。出演数の割には代表作はあまり多くありませんが主演数は110作強、ヒロイン数は135作ほど、戦後の映画女優では共に世界ナンバーワン主演数です。

存命の映画出演55年強の吉永小百合のヒロイン数が95作ほどです。40作も差が存在しているわけであり、いかに美空ひばりが膨大な主演をしたのかが伺い知れます。

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渡辺邦男=日本電波映画株式会社松本常保


渡辺邦男が日本電波映画株式会社で出会ったのが松本常保という人物でした。実はこの二人はこの日本電波映画株式会社のドラマ時代以前の1950年代から知り合いでした。その映画時代以来の共同制作をドラマで行うことになりました。映画時代のつながりがあったからこそ、渡辺邦男は日本電波映画株式会社へやってきたのでしょう。



最新裏側リンク⇒メディアが取り上げない巨匠・佐々木康がテレビドラマに至るまでの大きな貢献の数々



松本常保の主な活動と「えくらん社」の存在


松本常保は戦前から映画関係者としての経験を積んだと伝えられています。戦後の1948年に映画製作や俳優養成を目的に「えくらん社」として設立していました。えくらん社による映画作品は4作のみで挫折してしまいましたが、えくらん社は残しながら新東宝の映画製作者として活動、「すがお集団」を立ち上げて主宰するものの、2作の映画のみの製作に留まりました。


えくらん社は1959年から2つに枝分かれしていました。えくらん社の俳優養成はエクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)
として残りましたが、映画制作部門は日本電波映画株式会社として生まれ変わることとなります。その後の松本常保はテレビドラマを中心として製作会社映画界から主に遠ざかることとなります。


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1956年の『あばれ行燈』は渡辺邦男(監督)と松本常保(製作=プロデューサー)の映画時代のコンビ作です。


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[ 2017/03/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

4大巨匠へ襲いかかるテレビドラマの荒波と砂嵐



テレビVS映画の図式が招いた悲劇の始まり


かつて『柔』、『続柔』、『柔道水滸伝』、『姿三四郎」などの柔道を題材としたテレビドラマが1960年代から1970年代の前半を中心に存在していました。映画界の巨匠・渡辺邦男がテレビドラマで監督や監修で制作へ参加した作品たちです。渡辺邦男がテレにドラマに進出した理由には”やむを得ない”部分が存在していました。



1960年代はテレビドラマの形成に大きな役割を成した時期でした。テレビドラマ自体は1950年代からも作られていましたが、1960年代の中盤くらいまでは映画に劣る分野という認識が大きかったと多くの映画関係者の証言から判断できます。そのため映画関係者から敬遠させていました。また、石原裕次郎は1970年代の前半の『太陽にほえろ!』に出演するまでは、テレビドラマが”やりたいことができる場”だとは考えていなかったといいます。


テレビVS映画という図式が1960年代には当然のように展開されていました。現代のテレビと映画はWin-Winの関係として定着していますが、当時はまだ互いが客を取り合うためのライバル的な存在が強かったのです。東映も他の映画会社と同時期に映画の観客動員や興行収入の低迷を打開するためにテレビ製作を本格的にさせました。東映はいち早く1960年からの児童向け時代劇『風小僧』や1961年からの刑事もの『特別機動捜査隊』などのテレビドラマを制作していましたが、映画で大きな実積を残した俳優や監督などのテレビ進出は少数でした。


*Win-Winの関係=互いに弱いところを補って良い結果や勝ちが得られる円滑な関係



4大巨匠へ襲い掛かるテレビドラマの荒波と嵐


1960年代の中盤になると東映映画で80作近い主演数を誇る大スターの大川橋蔵が本格的にテレビドラマへの進出を果たしました。このテレビ時代劇『銭形平次』(1966~1984)は全般的に若いスタッフが中心でしたが、時折は巨匠・佐々木康(ささきやすし)などの大ベテランも参加していました。このように映画の巨匠がテレビドラマに参加した経緯には、テレビドラマの製作に乗り出した映画会社や監督たちの苦渋の決断がありました。


1965年からの東映のテレビドラマ製作の本格的な始動は、映画の巨匠たちにある決断を迫りました。4名共が160作以上~270作の映画監督本数、映画の代表作が50作以上のマキノ雅弘佐々木康松田定次渡辺邦男は東映の事実上の4大巨匠でした。


*ほかにも内田吐夢(うちだとむ)や田坂具隆(たさかともたか)などの監督も巨匠がいましたが、この記事では上記の4名を4大巨匠として進行します。




映画プレスシート 大川橋蔵「銭形平次」
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佐々木康がのちに参加するテレビドラマ『銭形平次』の映画の情報が満載、レアものです。
橋蔵(大川橋蔵)、1960年代に青春スターとして人気を博した舟木(舟木一夫)の初顔合わせが目を引きます。



4大巨匠の明日の行方はどっちだ!


マキノ雅弘高倉健の『日本侠客伝』シリーズ(1964~)の200万人ほどのヒットなどによって、かろうじて監督として東映で映画を撮ることを許されました。1960年代になると観客動員とヒット作が減っていた佐々木康は東映のテレビドラマの製作への道を求められ、承諾したことで東映に残りました。一方、1950年代から1960年代にかけて1000万人ヒットを7作(日本歴代1位)も放った大巨匠の松田定次は、東映側と契約などのさまざまなことで揉めたと考えられますが、東映を離れて、最終的には外部の松竹などのドラマ制作の道へ向かうことになりました。松田定次佐々木康と同様に東映のテレドラマ制作を打診されていたのかもしれません。そして渡辺邦男の行方です。つづく



裏通りリンク⇒裏通り『4大巨匠へ襲い掛かるテレビドラマの荒波と砂嵐』
たった1年2年が運命を左右

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[ 2017/02/26 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

歴代で最大のヒットメーカーがテレビドラマの監督をする


歴代でも最大のヒットメーカーがテレビドラマで監督をするときが近づく




テレビドラマへつながる丹下左膳や大岡越前守に貢献した大河内伝次郎渡辺邦男の大きな関わり


⇒前回記事⇒美空ひばりの大ヒット曲・柔のドラマと名作ドラマ・天皇の世紀をつなぐ丹下左膳


前回の記事の丹下左膳や大岡越前守の16作をご覧いただくと気づくかと思いますが、大きな貢献をしているのが渡辺邦男の存在です。山中貞雄の1作ながら大きな存在と言われますが、渡辺邦男は伊藤大輔の5作に次ぐ4作で監督を担当しています。大河内伝次郎が日活で伊藤大輔との30作以上にわたった名コンビを解消して、東宝へ移籍したときにコンビを組んだ監督が渡辺邦男でした。東宝へ移籍する以前の日活時代から、実は渡辺邦男大河内伝次郎は「煩悩秘文書」3部作など5本でコンビ作を形成していました。

大河内伝次郎が東宝に移籍した1936年の翌年の1937年に渡辺邦男は日活から東宝へ続いて呼ばれるかように移籍していたのです。東宝は日活からの数本のコンビ経験が存在した渡辺邦男に目をつけて、作為的に大河内伝次郎とのコンビの形成を仕立てていたとも言えそうです。渡辺邦男にとっても戦前の国民的大スター・大河内伝次郎を任されたわけですから大きな仕事だったことが垣間見れます。



「大河内伝次郎は通産で16度の”丹下左膳”と同時に演じた7度の”大岡越前守”」

下記の茶色部分が渡辺邦男と大河内伝次郎のコンビ部分
作数、公開年  タイトル        ・大河内の役名     監督
1、 1928 「新版大岡政談 第一篇」  ・丹下左膳、大岡越前守① ・伊藤大輔
2、 1928 「新版大岡政談 第二篇」  ・丹下左膳、大岡越前守② ・伊藤大輔
3、 1928 「新版大岡政談 第三篇 解決篇」  ・丹下左膳、大岡越前守③ ・伊藤大輔
4、 1933 「丹下左膳 第一篇 丹下左膳」  ・丹下左膳 ・伊藤大輔
5、 1934 「丹下左膳 剣戟の巻」   ・丹下左膳、大岡越前守④ ・伊藤大輔
6、 1935 「丹下左膳余話 百万両の壺」   ・丹下左膳 ・山中貞雄
7、 1936 「丹下左膳 日光の巻」    ・丹下左膳、大岡越前守⑤ ・渡辺邦男
8、1937 「丹下左膳 愛憎魔剣篇」   ・丹下左膳、大岡越前守⑥ ・渡辺邦男
9、1937 「丹下左膳 完結咆吼篇」   ・丹下左膳、大岡越前守⑦ ・渡辺邦男
10、1938 「新篇 丹下左膳 妖刀篇」   ・丹下左膳、千葉周作 ・渡辺邦男

11、1939 「新篇 丹下左膳 隻手篇」   ・丹下左膳、千葉周作 ・山本薩夫
12、1939 「新篇 丹下左膳 隻眼の巻」    ・丹下左膳 ・中川信夫
13、1940 「新篇 丹下左膳 恋車の巻」    ・丹下左膳  ・中川信夫
14、1953 「丹下左膳(1953)」  ・丹下左膳   ・マキノ雅弘
15、1953 「続丹下左膳」  ・丹下左膳   ・マキノ雅弘
16、1954 「丹下左膳 こけ猿の壺」 ・丹下左膳  ・三隅研次


映画で丹下左膳と同時に大岡越前守を代表的な役とした大河内伝次郎や渡辺邦男の丹下左膳と大岡越前守が数多くテレビ時代も多くの映像化されているところから、テレビドラマへ多大な影響を与えていることがわかります。




日本映画で上位のヒットメーカー渡辺邦男


渡辺邦男は総監督を勤めた嵐寛寿郎の「明治天皇と日露大戦争」(新東宝、1957公開)と長谷川一夫の「忠臣蔵(1958)」(大映)の2作(両作ともオールスター)を残したことでも知られています。「忠臣蔵(1958)」は2000万人ほど、「明治天皇と日露大戦争」は2500万人以上を動員したのではないだろうかと考えられています。、「明治天皇と日露大戦争」の観客動員では歴代でナンバーワンです。これが事実ならば、あの宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を上回る観客動員数です。

渡辺邦男はは監督デビューを果たした1928年から通産で230作以上の映画監督を務め、戦前から多数のヒット作を生み出し、戦後の映画の黄金期の形成にも大きく尽力しました。また、戦後の年間ベストテンへランクインすることのなかった、数百万人ヒットも多く手がけたと言われています。

前回も書いていますが、大河内伝次郎や片岡千恵蔵や長谷川一夫、市川右太衛門、美空ひばり、榎本健一、岡譲二ら多数の映画スターとコンビを組みました。大スターとの監督本数は歴代でも上位の数です。




6年連続で8億人の時に現代劇と時代劇映画で観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは渡辺邦男だけ



さらにテレビドラマから反れてしまいますが、東映のナンバーワンといわれた監督・松田定次は渡辺邦男よりも多くの1500万人作を多く残していますが、そのすべてが時代劇映画でした。驚くことに1956年から1961年までの6年連続で8億人の時に、観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは現代劇と時代劇の両方では監督・渡辺邦男だけでした。

例えば当時の1000万人と現在の1000万人の到達はそのまま同じではありません。500万人ヒットが年に数十作もあった黄金期の当時と、2016年の「君の名は。」と「シン・ゴジラ」の2本のみではレベルが異なりすぎて比較は困難でしょう。さらに現在はヒット作や一般映画が極端に少ないため、テレビやSNSによって上位の話題作へ客足が集中しやすい場合やマスコミが総出で大きく宣伝活動を行うことで、上位に更なる観客動員が集中しています。

現代は、渡辺邦男が6年連続で8億人を記録した時に観客動員1500万人以上のヒット作を残した頃とは大きく異なり、年間で400作台から500作以上の一般映画が公開されていました。巨匠、名匠、大スターが数十名存在した当時の高い競争力の中で多くの人数を記録していることの方が、現代に人数を記録することよりも困難です。現在の日本映画はポルノ映画やB級映画の方が一般映画の数を上回っている状況です。

ここでは観客動員のことを取り上げましたが、映画も観客動員で内容の良し悪しは決まりませんし、テレビドラマの視聴率の高い低いだけでは判断できません。ですが、極端に観客動員が少ないことや視聴率が低すぎるのは大きな問題点です。


丹下左膳
丹下左膳
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Beaglee (2016-11-25)
大河内伝次郎と渡辺邦男がコンビを組んだ丹下左膳が
漫画家・小澤さとるによって、漫画として登場していたことに驚かされました。
2016年11月25日から取り扱いされているようです。



日本映画上位のヒットメーカー・渡辺邦男が映画からテレビドラマの旅路へ向かうとき


渡辺邦男が戦後に多く監督をしていた東映や大映の観客動員も年間で1億人を切るほどになったときに、大映を1962年、東映を1963年に後にします。そのときたどり着いたのが日本電波映画社でした。

日本電波映画社は松本常保という人物が創立し、現在の見れる作品という面ではテレビドラマを中心に多くの作品を残していきました。渡辺邦男と松本常保には意外な関わりが存在しています。     つづく・・


裏通りブログも公開、現在はこれ↓ ↓
沢島忠「”映画界の天皇”とも言われていた」~歴代ヒットメーカーがドラマの監督をするの裏通り

その前も残します↓ ↓
悲壮美と死相美 忠臣蔵の浅野内匠頭悲壮美でも活躍した俳優3名に迫る。



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[ 2017/01/26 19:20 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

名作テレビ時代劇「大岡越前」の形成に関与・世界映画界の大レジェンドとなった主演300作俳優と月形龍之介


日本には世界記録を持つ映画人が数多く存在していますが、この月形龍之介は戦前に230作以上、戦後に280作ほどの大偉業を達成し、戦前と戦後を通じて日本映画を支えた映画俳優でした。映画からドラマへその影響は引き継がれて今も空気的に存在しています。


テレビドラマでも知られている「大岡越前」は、月形龍之介によっても後世に引き継がれてきました。2016年にも放送されているNHKBSプレミアムのテレビ時代劇では、東山紀之大岡越前守を演じていました。父・大岡忠高役は津川雅彦、この役は国民的ヒットを遂げた主演・加藤剛の「大岡越前」のシリーズでは、世界の映画界でも歴代で3名のみが到達した、映画出演350作強、主演映画310作強の片岡千恵蔵が父・大岡忠高役を演じていました。


月形龍之介はTBSと東映などによって1970年代に大ヒットを記録した大岡越前の形成に影響を与えているのではないか。月形龍之介は「大岡政談」の主演だけではなく、助演でも大岡越前守役を演じています。つまり、主演と助演で大岡越前守を演じていました。


<東映制作による月形龍之介の大岡越前守役>
①1955「大岡政談 血煙り地蔵」
 (主演・大岡越前守 =月形龍之介
②1955「大岡政談 黄金夜叉」
 (主演・大岡越前守 月形龍之介)
③1956「魔像(1956) 」 
 (助演・大岡越前守 =月形龍之介  主演・神尾喬之助、茨右近=大友柳太朗
④1958「丹下左膳(1958)」 
 (助演・大岡越前守 =月形龍之介 主演・丹下左膳大友柳太朗
⑤1959「丹下左膳 怒濤篇」 
 (助演・大岡越前守 =月形龍之介 主演・丹下左膳大友柳太朗


丹下左膳(1958)」と「丹下左膳 怒濤篇」は巨匠・松田定次と時代劇メインの映画スター・大友柳太朗のコンビによる”大友柳太朗版の丹下左膳シリーズの全5作”の1作目と2作目です。


月形龍之介は東映時代だけでも5度も大岡越前守を演じています。主演2、助演縁3で5度にわたって映画で演じるということはある程度の評判があったのだと考えられます。ある程度の俳優の評価や俳優の貫禄、威厳が求められる役である部分も影響していると思われます。月形龍之介が大きな名優だと認められた理由は、映画で大岡越前役を5度にわたって演じている部分にも見つけられます。

こちらにも月形さんが出演中⇒映画スター・伏見扇太郎と活躍と転落と映画芸能の衰退の平行線に、月形龍之介と吉永小百合が緊急参戦

月形龍之介は戦前から戦後の映画において、今回の大岡越前、水戸黄門はもちろんですが、近藤勇、織田信長、佐々木小次郎、大久保彦左衛門、吉良上野介など、数多くの有名な役柄を主演や脇役を問わずに演じてきていますが、この大岡越前守に関しても、テレビドラマの大岡越前の形成には映画時代の月形龍之介の功績や存在も影響はしていた可能性があります。・


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正確には実積差が別格にありすぎて、上記表記の6大スターは疑問です。日本映画界の両御大・ダブルで主演300作に到達した映画スター・片岡千恵蔵市川右太衛門、そして映画出演500作・月形龍之介の”歴代の時代劇映画を代表する3大スター”、”映画界の3大レジェンド俳優”をメインにした時代劇映画「天下の御意見番」。主演と脇役で演じた大久保彦左衛門=月形龍之介の雄姿が今も甦る。

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[ 2016/07/26 19:30 ] 時代劇解釈 | TB(0) | CM(0)
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