<団徳麿と代表作・丹下左膳への布石>丹下左膳というと
団徳麿(だんとくまろ)という俳優も存在しています。この俳優も
丹下左膳と大岡越前に関与した俳優です。
丹下左膳や大岡政談というと大河内伝次郎の名前が一番に有名ですが、この有名になるまでには他の俳優との競合の事実がありました。
団徳麿は戦後の黄金期に活躍し、”東映の時代劇映画”で数多くの作品に出演したことでも知られていますが、(個人的にも東映時代の出演作を多く確認済み)戦前のデビューを日本映画の父・牧野省三が関与した映画会社で、助演から主演に昇進しましたが、長くは続きませんでした。
<団徳麿と個人プロダクションで成功を収めていた3大映画スター>主演から遠ざかる中、日活の時代劇映画時代、(1937~1942)の時代劇時代にも活躍しました。このとき個人プロを持たずに専属だったトップスターの大河内伝次郎は東宝へ移籍してしまったことが、日活の危機感を煽り、個人プロダクションで成功を収めていた下記の3名を日活に移籍させることにつながったともいえます。
個人プロ(個人プロダクション・映画制作会社)
・
片岡千恵蔵=通称・千恵プロ(
片岡千恵蔵プロダクション)
・
嵐寛寿郎=寛プロ(
嵐寛寿郎プロダクション)
・
阪東妻三郎=阪妻プロ(
阪東妻三郎プロダクション)
このときの日活のトップスターといわれていたのが、
片岡千恵蔵、
嵐寛寿郎、
阪東妻三郎のいわゆる
日活3大スターでした。
団徳麿は
日活3大スターや日活の2番手スターらを支える脇役俳優としての活動を本格的としていました。主演スターとしての活動期間は短期間でした。
大映が創立した初期(1942~1948)は
大映4大スターが事実上の形成、
日活3大スターに市川右太衛門を加えた体制を形成、このときも
団徳麿は、日活から飛び出した
日活3大スターの後を追いかけて大映で脇役俳優として活動をしていきます。
嵐寛寿郎は新東宝へ移籍し、戦前からの当たり役で人気はある程度維持したものの、新たな活躍はできず、
阪東妻三郎は1950年代前半から松竹の事実上の時代劇トップ俳優に位置づけられますが、大きな活躍に至る前の1953年に残念ながら死去。
一方、
大映4大スターの4名のうちの残りの2名・
片岡千恵蔵、市川右太衛門は、”東映の創立”と”2大スター体制”を確立、1954年以降の若手スターが登場すると”両御大”とも言われ、絶大な権力と活躍を残していきます。現在も存在する数多くの後輩も輩出しました。団徳麿は
片岡千恵蔵、市川右太衛門に付いて行ったことが大きな幸いとなり、東映でも脇役や端役を多くこなすことに実現しました。
<団徳麿・映画出演250作の主演の頂点脇役人生>団徳麿の主演のピークは1928年から1930年の短期間でした。その後も1936年までは脇役がほとんどとなり、時折の主演作が数本ほどあります。また、団徳麿は通産で250作以上の映画に出演しており、主演数は30作強です。
・団徳麿の新版大岡政談(1928年の5月から7月)製作・東亜キネマ
「新版大岡政談 前篇 鈴川源十郎の巻」
「新版大岡政談 中篇」
「新版大岡政談 後篇」
丹下左膳・団徳麿、・片岡時次郎、大岡越前守・片岡左衛門
上記の「新版大岡政談」3部作は、事実上のブレイク的な作品といえる数少ない代表作でした。何故ならこの作品の出演を転機に主演数が急激に伸びている部分からも評価されていたことが考えられます。
<のちにテレビドラマで丹下左膳を演じた中村竹弥>ビクターエンタテインメント (2016-03-18)
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テレビドラマではTBS専属の時代劇スター、テレビ初の専属の時代劇スターとしても知られる、
中村竹弥が丹下左膳を演じています。個人的にもCS放送で録画したDVDを10年ほど前に視聴していますが、30分ドラマでした。「
月光仮面」や「怪傑ハリマオ」、「隠密剣士」など、1950年代から1960年代前半の30分ヒット作を作り出した、
船床定男も監督で参加しています。
裏通りブログ↓3プロや映画評論家、電通の不正も登場↓
多くのスターや時代の荒波とともにありけり、名脇役「団徳麿らと丹下左膳、大岡越前(前編)」の裏通りエピソードのトリプル
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