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チワワドラのテレビドラマ愛好世界

「おはよう~こんにちわ~こんばんわ~おやすなさい~」のチワワドラがドラマや映画の明るい未来のために愛好世界の精神で盛り立てる新世界ブログ

「回想・田村正和伝説5」「台風で川が氾濫した。父親・田村傳吉は太い竹竿とロープを持って、田村少年を学校まで迎えに来た」 京都の二尊院「阪東妻三郎の墓」




「回想・田村正和伝説5」「台風で川が氾濫した。父親・田村傳吉は太い竹竿とロープを持って、田村少年を学校まで迎えに来た」 京都の二尊院阪東妻三郎の墓」





諸刃の剣か、諸刃の刃なのか

俳優とは楽器以上に繊細なもの、

身体へ常に負担をかけて演じていく、そこにあの病が襲いかかったとしたら、

名優も一人の人間、ひとたまりもないのかもしれない。


日本を代表する映画スターも、一人の身体という衣を背負った魂

その田村正和と父の芸名を壊した親子としての感動エピソードは、ぐっとくるものなのか?

テレビマスコミのように感動の押し売りではないのか?果たして

彼の眠る京都の二尊院の過去と現在 芸名と本名の墓と、あの世界記録俳優の芸名のみの墓とは


数多くの波乱を含んで、「回想・田村正和伝説5」の開錠(=間違えていない)です。





田村正和




前回記事  2023年時点存命の日本の芸能界を代表する名優の正和へのまさかの突然な殴打
「回想・田村正和伝説4」 正和へ某名優暴言集「変わってますよね、やっぱり」「おんなじですよ、印象は、ほとんど黙っててね」の仰天 親父と永遠の京都府久美浜海岸




正和「親父のあれが、その、中に入ってた。その時、すごく泣いたなーっていうアレですね」






22.03
>ちょうど全体の半分となる44.06に到達

残「映画みたいですね。これ見てると・・」

>3人がカメラへ歩く

テロップ 正和

田「んん、ひひっ」

・声と同時に田村の笑い顔が左下に表示される。


22.15 
ナレ「田村正和はこのホームムービーを宝物の一つにしている」


↑前回記事の最後の部分
ーーーーーーーーーーー
表記
田村、田⇒田村正和
残間、残⇒残間江里子
ナレ、ナ⇒ナレーション(山寺宏一)
>独自解説の部分

ーーーーーーーーーーー
↓ココから今回の新しい部分です。


参考動画
田村正和 49歳|プライベートインタビュー



22.03 
残間「あの田村さんの場合はお父さまがお亡くなりになったとき9歳」 田村「そうです」(言葉を濁すように言う)
最期の最期のことはおぼえてますか?」 「んんん、何しろあれですよあのー、いびきかいてて寝てたいんしょうですね~」
残「はあ~」(そうですかと言いたいような)

映像=手をあご部分につけて考えるそぶりの田村

田「脳溢血(のういっけつ)ですけどねー、まあ、学校呼び出されて、すぐ帰んなさいってことで帰ったらいびきかいて寝てたという」 残「ん~」


>脳溢血(のういっけつ)は高血圧がおおきな要因とされています、阪妻も血圧が高かったようです、現代にように健康な食事が行いにくい時代、いくら千両役者とはいえ、健康的な食事が困難な戦中の苦しさを潜り抜けてきました。戦中がなければ阪妻の死は1953年よりも後になっていたかもしれません。正和が話している”いびきの症状”もこの脳溢血や高血圧とつながりがあるとされています。

>俳優は感情を出すことも求められる仕事、演じるということそのものが身体へ、一般人では考えられないような負担を生じさせているわけです。阪妻といえば、喧嘩っぱやい役柄も大得意としていたわけですが、この俳優としての魅力が身体の負担を高めていたのかもしれません。まさに諸刃の刃です。



脳溢血 高血圧 いびきの症状 脳溢血=高血圧=いびき




テロップ=最後の作品「あばれ獅子」(昭和28年)監督大曾根辰夫 

田「後は覚えてないですね~あとそれ、別に悲しいとも何とも思いませんでしたしね」 残「うーん」

田「ただそのー、焼き場行ってその、親父のあれが、その、中に入ってた。扉が閉まりますよね。鉄の、その時、すごく泣いたなーっていうアレですね」 残「んー」




>”親父のあれ”というフレーズが独特な表現、あえて遺骨だといわないことに重みや思いを感じさせます。遺骨といわないことが逆に生々しささえ感じてしまいます。考えすぎでしょうか。




23.08 

ナレ「阪妻の最期の作品となったあばれ獅子(じし読み)はここ、京都映画撮影所で撮影された。

テロップ 京都映画撮影所
ナ「しかし、作品は未完のまま」 (間)
ナ「突然、この世を去った阪東妻三郎の葬儀は、この撮影所でたくさんの映画人がも守る中、執り行われた」




葬儀のフィルムが残されています。もちろんニュース映画以外のものもあります。


阪東妻三郎 あばれ獅子 阪東妻三郎の葬儀





正和の父の遺作『あばれ獅子』 大作家・子母澤寛の功績 新選組と座頭市と股旅物 さらにあの忠治も顔を出す?!






あばれ獅子』、個人的にハイビジョン版も視聴しています。もちろんネタバレはしません。阪東妻三郎が、現代劇の代表作の『無法松の一生(1943)』や『王将(1948)』でみせた人間性を押し出した演技の流れを継承していえる作品です。『あばれ獅子』はいわゆる勝海舟や親子鷹としても有名な話、時代小説の大成功者の一人の子母澤寛(子母沢寛)の原作です。



子母澤寛 子母沢寛 無法松の一生(1943)  王将(1948)



映像化だと、勝新太郎の「座頭市シリーズ」の元となる随筆『ふところ手帖』、片岡千恵蔵の戦前戦後の「弥太郎笠」(1934~1955の計3本)と1954年に『新選組鬼隊長』(近藤勇主演)として映像化された「新選組始末記」も代表作、「座頭市」、「弥太郎笠」や「天狗の安」、「紋三郎の秀」などの複数の股旅物の代表作、新選組題材の主に3つに貢献した人物です。また「国定忠治」の原作も代表的です。


ふところ手帖 座頭市シリーズ 片岡千恵蔵 弥太郎笠 新選組鬼隊長 近藤勇 新選組始末記 新選組題材 国定忠治


ふところ手帖 (中公文庫) Kindle版
「座頭市シリーズ」の元となる随筆『ふところ手帖』





「国定忠治」は国民的な時代劇題材や日本映画題材、舞台題材として知られ、国民舞台・新国劇の劇作家でもあった行友李風に次ぐ、作家系の人物における代表的な題材としています。国定忠治は、時代劇の父こと時代劇の大巨匠・伊藤大輔の「忠次旅日記シリーズ」(時代劇そのものや国定忠治題材の国民的な広がりに大きく貢献)などのように、映画監督兼原作兼脚本家の映画、原作ではなく脚本家のみの映画(原作表記が存在しない映画)が多いところも特徴です。



行友李風 時代劇の父 伊藤大輔 忠次旅日記シリーズ 映画監督兼原作兼脚本家


あばれ獅子 [VHS]


貴重なVHS版、DVD版は商品化されていないようです。個人的にはCS放送のHD画質版で視聴済みです。



新国劇は戦前から戦後にかけて、数十年にわたって非常に高い人気を誇って、時代物を得意とした国民的な劇団です。特に男性ファンが多かったことでも知られています。現在はこのような日本の独自な文化に寄り添った劇団は存在しない、非常に残念です。現代は情けないことに外国被れ舞台や、アニメ系や漫画系の2.5次元舞台など、さらに女性向けばかりが大半という、「多様性ガー」のマスコミが無視する悲惨な現実、「多様性ガー」をうたいながら客は女性中心、日本にとって悲しい現実を浮き彫りにさせます。この点からも新国劇はさらに評価されるべき、見習う部分がある劇団です。



外国被れ舞台 2.5次元舞台



股旅物というと、長谷川伸(全体が股旅物の代表作)がいますが、この股旅形成と牽引の長谷川に次ぐ、股旅物の代表作が多いのが子母澤寛だという事実は何故かあまり知られていません。これは映画化における功績が強いため、置き去りにされてきた部分があるのでしょうか、未だにきちんと評価されていないようです。

映画化数は日本映画歴代ベスト10入りの約120本の超大作家です。これは同時に、単一の作家における生前中、または死後も含めた映画化作品数の世界歴代上位を意味しています。この時点で、記録として世界的作家ともいえます。


長谷川伸 股旅物






大作家・子母澤寛の功績 受賞後にさらに功績上昇 今や「菊池寛賞」くらいでは足りないのだ!!






受賞歴は1962年の功労賞の一つ「菊池寛賞」までが最高です。これは受賞系としてはかなり高い評価です。この受賞時は新選組や股旅物や親子鷹の評価がありましたが、座頭市が世間的に定着する前や、新選組題材における先駆な功績が大きくなる前の時期であり、現在としてはさらに高い評価といってよいでしょう。なので受賞では一概に評価できません。ましては受賞歴のみで評価するのは完全なナンセンスです。これは彼の功績からもわかります。


菊池寛賞


新選組物は千恵蔵を明確な最初の成功として、1963年に市川雷蔵の『新選組始末記』として主人公を山﨑丞(やまざきすすむ)の視点を変えて映画化、テレビドラマは中村竹弥主演版と平幹二朗主演版の「新選組始末記」(いずれも主演は近藤勇)として1960年代と1970年代に大ヒットまでとはいえませんが、好評を博しました。


中村竹弥 平幹二朗 市川雷蔵 山﨑丞


国民的大衆作家の司馬遼太郎が「新選組血風禄」や「燃えよ剣」」や「燃えよ剣」で影響を受けるなど、「新選組始末記」は後世に続く新選組物題材の流れも作りました。また映像作品としても貢献、2004年の大河ドラマ『新選組!』の脚本の三谷幸喜が、東映の千恵蔵の新選組映画にヒントを受けたと遠回しに話すなど、子母沢寛の影響も受けています。

子母澤寛は、片岡千恵蔵と戦前戦後通じて題材数においてもっとも大きな縁がありますが、阪妻は数度のみの縁があり、「天狗の安」を1934年と1951年に主演で映画化しています。そしてこの遺作で未完の『あばれ獅子』に至ります。

司馬遼太郎 新選組血風録 燃えよ剣 新選組!  三谷幸喜


菊池寛賞」の菊池寛は大衆小説・、戯曲、伝記も得意、上位の代表作に含まれる時代物の『忠直卿行状記』(1918年)は、片岡千恵蔵主演で1930年に千恵プロオールスター映画として公開され、1960年に市川雷蔵でもリメイクされています。『藤十郎の恋』(1919年)は、長谷川一夫で1938年と1955年にオールスター映画で公開、

現代物の『真珠夫人』(1920年)は、1927年~1950年の間に計4度の映画化、2002年のテレビドラマ(昼ドラ版)も話題になりました。また文藝春秋社を興し、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設者としての二刀流の功績の持ち主です。

そして近代史をテーマにした内容も残しています。

【稀少復刻版】菊池寛「大衆明治史(全:国民版)」ーGHQ発禁の明治近代化史 (響林社文庫) Kindle版

「大衆明治史」は戦中の1943年のが刊行とされています。現時点で270円で読めます。通には評価されています。「大衆明治史(全:国民版)」製品のレビューから、オリジナルは戦後GHQにより禁書にされ、「上・下巻」2冊で発行の下巻しか残っていなく、国立国会図書館のデジタルコレクションに収められて誰でも読むことができるが、この「大衆明治史(全:国民版)」は下巻のカット部分もあるが、上巻も含まれているものと考えられるようです。





正和出演の「徹子の部屋」とつながる阪妻と千恵蔵の友情の「天狗の安」 テレビドラマ初の伝説の時代劇スター中村竹弥の「親子鷹」






1934年の「天狗の安」は阪妻の阪妻プロ時代の数多くある代表作と一つといってよいでしょう。1951年版は東映で映画化、阪妻プロの元敷地を、片岡千恵蔵が主演大スター兼取締役時の東映が引き継ぎ、阪妻を迎えた映画『天狗の安(1951)』が実現しています。阪妻と千恵蔵の両名の友情や、元自分の会社があった古巣、さらに子母沢寛という意味でも深いつながりを感じさせます。田村正和も千恵蔵と阪妻のつながりは比較的理解していたようです。



天狗の安 天狗の安(1951) 片岡千恵蔵=主演大スター兼取締役


田村正和が2011年に放送されたテレビ朝日系列の「徹子の部屋」の出演時、映画の子連れ狼のPR出演以来の18年ぶりの番組出演、父親の話となり、「千恵蔵さん、右太衛門さん~」(共に日本映画史上最大の最盛期を形成)と一言を発しています。千恵蔵とは1970年代前半のテレビドラマで半年間の相手役を演じています。ですが市川右太衛門とは、息子の北大路欣也との少ない共演を通じて薄いつながりに留まっています。田村正和の活動が路線に乗り始めた1970年代前半の頃、映像路線をほぼ引退していたこともありますが、市川右太衛門と共演はできませんでした。



徹子の部屋 北大路欣也 市川右太衛門


二大巨匠の伊藤大輔や溝口健二などと共に阪妻の葬儀への映像記録が残る右太衛門、良きライバルであり、正和の父を尊敬していたというエピソードの残る右太衛門の話は聞いていたことでしょう。


溝口健二


映画『あばれ獅子』は、のちの勝海舟の父・勝小吉と、のちの勝海舟・当時は勝麒太郎、そこに小吉の妻(海舟の母)のお信、いわゆる時代劇の家族の話でもあります。阪妻とお信役の山田五十鈴(日本歴代を代表する女優の一人)の掛け合いの個性、事実上4番手の島田虎之助役の超名優・月形龍之介の好演も光ります。『あばれ獅子』は映画としては名作や秀作とは言い難いと判断していますが、阪妻の遺作としての意味、価値がある作品です。



勝海舟 勝小吉 勝麒太郎 山田五十鈴 島田虎之助 月形龍之介



テレビドラマは中村竹弥主演版の『親子鷹(1964)』も制作されています。中村竹弥は、テレビドラマ生まれの初の時代劇スターと称され、多数の高評価作やスマッシュヒット作に主演しました。

『親子鷹(1964)』は怪談物など時代劇の巨匠・中川信夫も複数回にわたって監督として参加しています。これも意味があるものです。中川信夫は、現在の監督の一部の先人の真似と違い、現在に監督にできないほどに時代劇の雰囲気作りが非常に上手です。戦前からの時代劇の名手たちはやはり違います。


親子鷹(1964) 中川信夫


その雰囲気がテレビドラマを通じて伝わってきた印象が残っています。時代劇は、装飾やリアルさ、時代考証の細かさ以前に、本物の時代劇としての雰囲気も重要なのです。雰囲気を作るための監督の演出、現場作り、特に俳優やその演技は重要です。

信念のために人のために命さえも捨てる男として、良き夫として、またのちの勝海舟の父親としての顔、たまにみせる男の度胸と愛嬌、映画ではほぼ省かれた見せ場に至る中間的な以外の部分を長く描き、全体的には物足りない話数も感じましたが、部分的に評価できるテレビドラマです。



父子鷹(上)(新潮文庫) Kindle版

父子鷹の映像版は製品化されていないようです。

父子鷹(下)(新潮文庫) Kindle版

あえて小さく下巻も







そびえる父の墓「小倉山 二尊院」 田村正和は父の遺作と同じ松竹の京都映画撮影所で時代劇映画を撮影した








映像は田村の拝一刀が大五郎を抱く描写

ナ「あれから40年、同じ京都映画撮影所で田村正和は時代劇映画を撮影した」
23.32
テロップ 京都・嵯峨野

ナ「京都を訪ねると田村正和は必ずこの嵯峨野へと足を運ぶ二尊院、ここに阪東妻三郎の墓がある」

おごそかな曲

映像は小倉山 二尊院の看板の描写


↓からgoogle検索の小倉山 二尊院へ飛べます。
小倉山 二尊院



小倉山 二尊院



上で検索すると、右側に二尊院と写真が表示され、下にたどると075から始まる電話番号の下に「埋葬地: 阪東 妻三郎」と表示されます。阪東妻三郎の墓は、戦前のライバルの片岡千恵蔵の墓と同様に、映画ファンや芸能通、時代劇ファンにおなじみの有名な史跡となっています。

埋葬地: 阪東 妻三郎



<小倉山 二尊院の引用>
拝観と交通

拝観時間
9:00~16:30(受付終了)
休  日
なし
拝観料金
一般 /
大人(中学生以上):500円
小人(小学生以下):無料

団体(30名以上)/
大人(中学生以上):450円
小人(小学生以下):無料

※障害者手帳をお持ちの方は、無料で拝観いただけます。
(受付で障害者手帳をご提示ください)

【TVCM】2012年 盛秋「二尊院」そうだ 京都、行こう。




23.49
田村「ぼくがーあのーこの仕事したいと親に言ったのが、小学校親父がいる頃ですからね~」

映像=眼鏡と白っぽい茶色風な服装で花束を抱えて歩く田村

田「7つか8つですかね、なりたいといったわけです。なんでいったか知りませんけど、とりあえずいったわけです。それからずーっとそのつもりでいましたねー、ですからその、ん-今こういう、とても活気のある人がたくさん出てきて、いろんな分野で活躍してらっしゃいますけどもね、僕があくまでも、その芝居しかしない芸能人でありつづけたいというのはやはりそういくことですね」

映像=カメラが上から下を見下ろすように田村の姿をとらえている。



>やはりやりたいことの芝居だけで貫ける一つでやれるに越したことはない、田村正和は恵まれていたのだろうか?もう十年デビューがずれていたら、多くのタレント活動をやらざる得なかったもしれない・高橋英樹などの現在は、俳優というよりも年にドラマに出るか出ないか程度のほぼタレント状態になってしまった。日活の先輩の小林旭を遠回しの追いかけているのだろうか、彼は元映画俳優の歌手だが、元俳優状態の都合がよい存在でもある、なんということだろう、落ち目のテレビ業界のタレントだ・・・



田「親父の生きざまを見てはいな、いませんでしたけど、おふくろから聞いていると、それで小学校のときにせっかく、あのー阪東妻三郎の後を継ぐと言ったんですからね」


映像=歩く田村の姿と音楽



>「親父の生きざまを見てはいな、いませんでしたけど」の部分についてですが、「いな、」は間違えではなく、このように言い間違えているように感じるため、この「いな、」と書いています。言い間違えている部分が田村正和らしいといえます。後輩との共演のVTRやドラマのメイキング(ユーチューブ動画でも確認できるもの含む)ではみせていない一面です。また正確には芸名を継いだわけではありませんが、世間的には俳優と継いだことには変わりありませんし、広告などには出演が多数あったものの父とほぼ同様に俳優を貫きました。時代が変化しつつも、きちんと俳優を継げたのです。





京都好きが書いた、ほんとの京都の見どころ 京都観光シリーズ 004 二尊院 Kindle版







”親子の絆”を感じさせる「台風で川が氾濫した。父親・田村傳吉は太い竹竿とロープを持って、田村少年を学校まで迎えに来た」 「阪東妻三郎又田村伝吉氏墓」と書かれた看板⇒同一と芸名のみの墓








映像=「田村家累代墓」と墓に書いてある

24.52
「台風で川が氾濫した。父親・田村傳吉は太い竹竿とロープを持って、田村少年を学校まで迎えに来た」

映像は墓の側面に年数と「田村傳吉」と書かれている

映像=ほうきで墓の周りをはき

ナ「時代は無声映画からトーキーへと移り変わった」





田村家累代墓


>「台風で川が氾濫した。父親・田村傳吉は太い竹竿とロープを持って、田村少年を学校まで迎えに来た」、この下りはぐっと胸に来るものがあります。父親の芸名阪東妻三郎が一人の父親としての田村傳吉として、映画の役でもみせていないことでしょう。現実に息子と向き合った”親子の絆”を感じさせるエピソードを短文で伝えています。



映像=田村が墓に花を添える描写

ナレ「阪妻は夜明けから大声をあげて丹念した」

映像=墓の前にしゃがんで手を合わせる田村

田村正和にとってこれが父親と偉大な役者、二つの忘れられない姿である。



25.20
間と曲

「阪東妻三郎又田村伝吉氏墓」と書かれた看板



>「阪東妻三郎又田村伝吉氏墓」という表記が何とも言えない、阪妻は本名と芸名の墓が同一です。実はほとんどの芸能人が同じです。実は片岡千恵蔵は芸名の墓と、本名の植木正義の墓が異なるようです。芸名の墓は京都にあって公に知られています。また、美空ひばりは本名の加藤和枝名義の墓、石原裕次郎は芸名と本名が同じのため石原裕次郎の墓です。

>一概に言えませんが、2023年に生誕120年の片岡千恵蔵(主演は現存含む390本=長編系映画世界最多など膨大)はなんと二つの墓、それだけ格上、真に功績があると考える説もあります。芸名の墓はファンなどの大衆向け、本名の墓は家族や親類向け、知人などと考えられます。芸名と本名が同じ人もいますが・・・それは抜きとしての場合です。千恵蔵は、姉妹ブログの映画のほうでもその一端を取り上げています。


阪東妻三郎又田村伝吉氏墓 植木正義  美空ひばり 加藤和枝 石原裕次郎

リンク→


25.41

田村「一度抜いちゃった跡があるんだから」 男の声(スタッフか?)「はい?いつのまにか」 田「要するにほら、あんのんぞくっていうの」 男の声「はい?」 田「が、できて、すごい観光ルートになっちゃったのね。お墓参りに来てもゆっくりできないでしょ」


>突然、スタッフとのやりとり、決まりきったのみではない独直な展開です。



<引用>

アンノン族(アンノンぞく)とは、1970年代中期から1980年代にかけて流行した現象を表す語。 ファッション雑誌やガイドブックを片手に一人旅や少人数で旅行する若い女性を指した。 旅行の主役として女性客が重視される最初の契機となった現象



アンノン族



二尊院 : Nison-in Temple - Kyoto Saga Arashiyama

2019年にされた動画、外国人と思われる人物が投稿しています。Annaという名前だけで日本人かもしれません。この方は日本の多くの観光地を訪れており、抑えた分数で投稿しています。この動画は3分36秒と全体の中でもかなり短めです。

果たして正和が訪れた阪妻の墓は登場するのか、よく見ると終盤に1993年のVTRの登場と同じ道、さらに・・・?








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関連タグ : 田村正和, 阪東妻三郎, 二尊院, 子母澤寛, あばれ獅子, 菊池寛賞, 新選組始末記, 中村竹弥, 大谷翔平, 植木正義,

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「七剣聖の映画ポスター」リンク集
  • 世の中に多様な映像スターの概念を定着させ、映画だけではなくテレビドラマ、時代劇映画、時代劇のテレビドラマ、映像芸能の世界に大きな足跡と幅広い影響を賞賛して「七剣聖の出演映画のポスター」を作成

  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(時代劇形成の戦前1920年代後半から1940年代かけてトップ6の意味と大きな活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
  •  
  • 特に観客動員1位の東映は片岡千恵蔵と市川右太衛門のトップ、長谷川一夫は大映のトップとして戦後の映画黄金期(特に7年連続観客動員8億人の1955~1961)に多大な貢献と活躍、多くの後輩やテレビドラマにも大きく影響
  • これらは未来や海外に伝えるべき重要な事実
  • チワワドラからの旅立ち