fc2ブログ

チワワドラのテレビドラマ愛好世界

「おはよう~こんにちわ~こんばんわ~おやすなさい~」のチワワドラがドラマや映画の明るい未来のために愛好世界の精神で盛り立てる新世界ブログ

「回想・田村正和伝説2」 おば様たちが襲った正和VS長嶋茂雄は完敗?祖母ドアップの衝撃 兄の田村登司磨さんと愛娘さきちゃん成城学園の恩師の金さん






「回想・田村正和伝説2」 おば様たちが襲った正和VS長嶋茂雄は完敗?祖母ドアップの衝撃 兄の田村登司磨さんと愛娘さきちゃん成城学園の恩師の金さん






今回は、驚愕のカメラはとらえていたおば様たちが襲った正和の瞬間、さらに成城学園の恩師の金さん、突如アップの田村の祖母の顔の表情、田村の実兄の田村登司磨さんと田村の愛娘のさきちゃんの謎、さらにさらに、長嶋茂雄と田村の貴重なツーショットの瞬間をカメラはとらえていました。


さらに千恵蔵御大の子供の、日本人が、どぉーしても~、わすれちゃ~ならねぇ~日本映画史上を代表する男女名子役の植木基晴植木千恵と正和についても迫ります。





前回記事「回想・田村正和伝説」 敷地1000坪邸宅の坂本龍馬おやじ VS近所に居そうな西岡おっちゃんさんスゴイ人 名優・佐分利信自ら格下アピール





日本の芸能史に記録と記憶の両方を残す「歴代・親子対決」 田村正和阪東妻三郎 最大のライバル片岡千恵蔵植木基晴植木千恵 記録か芸歴か







息子・田村正和と父・阪東妻三郎の親子は、互いが2023年は生誕120年の記念年の片岡千恵蔵と共演しています。

正和とは2クールの26本のテレビドラマ『世なおし奉行』、阪妻とは現存含むと映画15本ほどの共演、『忠臣蔵 天の巻・地の巻』、『維新の曲』など多数、日本の映像系ナンバーワン主演俳優の千恵蔵に関しては映画ブログの方で取り上げています。

リンク→片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」

片岡千恵蔵は、長男・植木基晴、戦後の日本映画や最盛期でもっとも活躍した男児の子役、子役の主要キャスト数は最盛期の日本映画で最多の9本を記録、また主演や主要の千恵蔵2本の1000万人観客動員の映画に出演、出演は20本強

植木千恵は、戦後の日本映画や最盛期でもっとも活躍した女児の子役、基晴の妹、映画史上最多の男児役を多数演じる。千恵蔵が主演や主要の1000万人観客動員を記憶した映画に子役最多の5本出演など大記録、子役史上戦後最多の映画約50本に出演、千恵蔵の子供は、映画史上に記録と記憶を残した大物の男児と女児の子役でしたが、残念ながら両名とも子役時代が終わるころに芸能界を引退しています。

その点、阪妻の息子・田村正和は中学生の少年期にデビューしており、子役時代を経験しないことで、活動をやめる機会に至ることがありませんでした。子役として映画史上の歴代記録を残した息子と娘、テレビドラマ最多のヒット作に主演した息子、どちらも記録と記憶の功績は消えません。果たして子供においては、どちらが功績を残したといえるのでしょうか


芸能は年数よりも、その中身が上だからです。50年活動しても中身がない場合はろくな評価を受けませんし、たった5年間でも多くの記録や大功績、知名度を誇るほうが世間体は上になってしまうものだからです。たとえば山口百恵など、活動年数が短く、1970年代の女性系の上位の功績を数路線で残しており、この部類の入りそうです。


田村正和 阪東妻三郎 

片岡千恵蔵 世なおし奉行 忠臣蔵 天の巻・地の巻 維新の曲 山口百恵




極論・芸歴60年強の正和は負けたのか 日本芸能史に燦然と残る大物子役スター兄妹の大衝撃砲 植木基晴植木千恵の驚愕




田村正和は、芸歴60年ほどだったが、生涯で40本強の映画出演、主演は10本、明確な出演の代表作は助演の『永遠の人』『風林火山』などの数本、主演はなし、さらに深く迫ることも出来ますが、映画ではほとんど結果が残せませんでした。一方、植木千恵は子役のみの活動ながら映画出演50本弱、しかもヒット作は20本以上、代表作は軽く10本を越す。これも現実です。


こうした現実から目を背けてはいけません。事実は事実です。


長男・植木基晴
戦後の日本映画や最盛期でもっとも活躍した男児の名子役、片岡千恵蔵の長男、子役の主要キャスト数は最盛期の日本映画で最多の9本を記録、また主演や主要の千恵蔵2本の1000万人観客動員の映画に出演、出演は20本強 日本映画史上の大巨匠の内田吐夢の監督作に5本出演の功績、『血槍富士』、『黒田騒動』、『逆襲獄門砦』(主要で千恵蔵の息子役を好演)、『暴れん坊街道』、『どたんば』、子役概念の時期が終わる頃の1959年に芸能界を引退

長女・植木千恵
戦後の日本映画や最盛期でもっとも活躍した女児の名子役、片岡千恵蔵の長女、基晴の妹、最盛期の映画史上、女児の子役の最多数の男児役を演じる。千恵蔵が主演や主要の1000万人観客動員を記憶した映画に子役最多の5本出演の大記録子役の戦後最多の映画50本強の出演数も大記録、また美空ひばりの名作『ひばりの森の石松』に上位キャストで出演、掛け合いも披露、小学校卒業時期の1960年に芸能界を引退


植木基晴 植木千恵 

内田吐夢 美空ひばり ひばりの森の石松 逆襲獄門砦 血槍富士 黒田騒動 暴れん坊街道 どたんば




植木千恵の計5本の計1000万人以上の観客動員映画

1956『赤穂浪士 天の巻 地の巻』  =大石の娘のおくう役 千恵蔵は立花左近役 準主役的
1956『曽我兄弟 富士の夜襲』 =箱王役  千恵蔵は源頼朝役 主演の東千代之介、中村錦之助に次ぎ3番手の主要
1957『任侠清水港』 =清吉役 千恵蔵は清水次郎長役=主演
1958『任侠東海道』  =千代吉役 千恵蔵は清水次郎長役=主演
1959『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』 =大石の娘のお空 千恵蔵は大石内蔵助=主演


赤穂浪士 天の巻 地の巻  立花左近 曽我兄弟 富士の夜襲 源頼朝 東千代之介 中村錦之助 任侠清水港 清水次郎長 任侠東海道 忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻 源頼朝




千恵蔵の長女の植木千恵は、1950年代に日本人が映画館でもっとも観た子役です。なんと出演した映画50本近くで観客動員は軽く1億人を越していたと考えられるためです。1億人よりは1億5000側に近いとも言えます。これは1億人越えは日本映画の子役史上、植木千恵だけだと考えられます。また同時に映画子役の通算最多観客動員です。千恵蔵の凄さは、子供二人が歴代上位の子役、しかも男女、コレもあります。


戦後の日本映画や最盛期でもっとも活躍した実の子供の名子役が男女の二ついる大記録に貢献した千恵蔵と、テレビドラマ史を代表する多作のヒット本数を記録した阪妻の息子の田村正和、果たしてどちらが、どちらとも別な土俵でナンバーワンの記録と記憶の両方を残しています。

正和の兄・田村高廣(映画やテレビドラマの上位の助演をメインとして長く活躍)は長く活動のクレジット表記のトリが任さられた名優ですが、残念ながら、歴代1位の記録や1位の功績や上位も特にありません。田村亮は名優までは・・・疑問符が付きます。

芸能の評価上、テレビよりも、映画のほうが活躍すると評価が格上という事実において、子役のみの10年に満たない芸歴であっても、今後に困難な大記録を2人の男児と女児の子役が残したわけで、千恵蔵側の親子に軍配があるといえます。


現在もマスコミやテレビがこの芸能の大功績の事実を無視(テレビ局が好きな芸能人のみを忖度する事実上の隠蔽)していることも驚きです。歴代子役の超大スター・植木基晴や植木千恵に関しては、詳しく映画ブログの方でもとりあげようと考えています。


前半は田村正和関与の、記録系における親子対決を展開してみました。






田村四兄弟のゲ・ン・ジ・ツ 「役者を継ぐ気はなかった」阪妻の次男の正和の兄・田村登司磨さん





後半は継続系の前回記事からの流れのパートです。



5.41 テロップ 「王将」(昭和23年) 監督 伊藤大輔

前回の記事の最期の↑からの続きです。



田村正和 49歳|プライベートインタビュー

今回は上記動画の5.44からのスタートです。

5.44 ナレ「この時、膝に抱いているのが次男のとしまさん、兄弟の上と下では18歳の開きがある。これはおばあちゃんとの珍しいスナップ」

写真 祖母の顔のアップ 

<コメント>祖母の名前は不明・・・

ナレ「長男高廣さんは役者を継ぐ気はなかった。次男登司磨さんは芸能界ではない道を進んだ」
テロップ  長男 田村高廣
テロップ  次男 田村登司磨さん

ナレ「そして兄二人を追うように俳優になったのが、末っ子の亮さん、その兄弟の中で唯一役者宣言をした正和少年は、自宅での父の衣装合わせや打ち合わせに同席を許された」

テロップ 四男 田村亮

6.18 写真 小学校5年生の頃
ナレ「小学校の頃から能を学び、近所の少年たちとチャンバラごっこをして、父の真似をして遊んだという」

<コメント>小学生のときに能を学ぶことは芸能にとっては良い情操教育だとも伝えてくれています。普段の生活の言葉や音程など違うものだからこそ、感性を刺激するはずです。彼の芸能の肥やしになっていたのか?

田村登司磨さん

6.25 テロップ 京都・嵯峨野小学校 隣りの家に住んでいた 脇野善武さん

脇野「まあ遊びといいましても、当時はチャンバラばっかりでしたね、わたしなんかはちょっとやられ役でしてね。
常に、彼予約?しましたけど、なかなか助けに来てもらえなかったような記憶もありますけど・・」



6.39
テロップ 阪東妻三郎(享年51歳)

田村「僕が九つのときにいなくなってくますからね、親父の姿というものをたまに生きざまも対なものは、今はおふくろ、90歳で元気にしてますけど、おふくろから聞いたりしてそういうものを見てます。あのーおふくろにしては早くにあのー、おやじとおふくろが一つ違いですからねえ50歳の頃に、時におやじを亡くしたわけですけどねえ、やはりまあーああいう世界に生きた人でしたから、きっと、かなり~遊んだでしょう」 残間「んん~」 田「しかし、親父をほんとに尊敬してますしね、母親」 残「う~ん」


田「おふくろは尊敬してて、素晴らしいりっぱな役者のところへ嫁いできたことを、すごく、あの~まっ侍の娘なんですけどね、
えと、とっても、今でも100パーセント幸せだったと」 残「ふーん」 田「いうふうなことを聞いててね」


映像 左に田村の透明の顔のアップ、右側に引きの田村の座る描写

田「そうはいいませんけどね、話を聞いてて、ああよかったんだな、おふくろこれでと思いますね」



<コメント>6,39から部分に着目します。田村と残間のやり取りの中で、田村「きっと、かなり~遊んだでしょう」 残間「んん~」、残間も自分の父親は





田村VSミスタージャイアンツ長嶋茂雄 立教大学の校歌も覚えるほどの大ファン=小声連発のど緊張の田村は完敗か?!





7.42
テロップ 平成5年1月11日 有楽町マリオン
曲 英語曲

ナレ「母親は三男の正和が一番父親の性格に似ているという」

<コメント>大の阪妻ファンだった映画監督の大林宣彦は、高廣が阪妻似ているといっていました。これは性格は含まない見た目と雰囲気という部分だと思われます。

脇野善武さん 大林宣彦 京都・嵯峨野小学校 有楽町マリオン


ナレ「父親阪妻には人間嫌いの伝説があった。うちにかかってきた電話も本人自らが先生は只今ご不在ですときってしまったほど」

テロップ 新春特別試写会

ナレ「田村正和もまた人前が苦手」

8.3 テロップ 大五郎役 壮田優志
「さらに何事にも夢中になる集中力も父親譲り、小学校時代~」



<コメント>大五郎役の壮田優志は、セントラル子供タレントに所属し、小学校の卒業時期に芸能界を引退したようである。映画出演は『子連れ狼 その小さき手に』のみの、また田村正和とはフジテレビ系の長編時代劇の『乾いて候』(1993年)でも共演し、映画とテレビで1本ずつの共演、2023年2月時点で35歳、田村との共演を子役時代の”良い思い出”として、今も覚えていることでしょう。

最高視聴率31.1%を記録した1995年の大河ドラマの『八代将軍吉宗』、22時台ながら最高視聴率23.2%の『恋も2度目なら 第1シリーズ』(1995年、明石家さんま主演)にも出演、一部のドラマファンは認知している存在かもしれません。



壮田優志 大五郎 八代将軍吉宗 恋も2度目なら 明石家さんま







田村VSミスタージャイアンツ長嶋茂雄 立教大学の校歌も覚えるほどの大ファン=小声連発のど緊張の田村は完敗か?!



「小学校時代~」からの続き

8.14 
「~立教大学出身の家庭教師と神宮球場へ行って、六大学野球に夢中になった」

テロップ 長嶋茂雄
映像 長嶋とあいさつする


ナレ「その当時活躍していたのが長嶋茂雄さん、正和少年は立教大学の校歌も覚え、
長嶋選手に熱烈な声援を送り、長嶋選手がプロ野球に進むと、正和少年も大の巨人ファンとなった。

8.38 田村正和のとって長嶋茂雄さんはそれほど、憧れの人
田村「ありがとうございます」
 

<コメント>声が非常に遠い
音 舞台あいさつで会場の拍手


8.44 長嶋「素晴らしい映画で、ほんとに、何年ぶりなんですか?」 田「13年ぶり」(小声) 長「あ、そんなアレですか、それじゃずっとその間(かん)、テレビとか」 「ええ」(小声)


<コメント>田村は長嶋を前に、かなりの緊張しているようだ。これも珍しい場面、長嶋らしい独特なしゃべりが続く、実は田村のしゃべりも影響を受けているのかも、しれないw

壮田優志 長嶋茂雄

長「大五郎とのふれあいとか、いや、敵方では烈堂そのものがね、さいごのあにー生命をたつときに、
大五郎のあの関わり合いの場面なんて泣けてきますよね」




【田村正和】一周忌 Masakazu Tamura【子連れ狼 その小さき手に Kodzure ōkami】前編①ダイジェスト 【慟哭 どうこく】修羅の道へ・・・【追悼】

これは2020年前半に騒がれている問題のあると騒がれているファスト映画とも言えますが・・・






田村親子が通った頃の成城学園中学校や高等学校 元担任・大平金次郎さんが語る 2020年映像から感じる正和少年と愛娘さきちゃんの面影





9.05
ナレ「一度こうと決めたらぜったいにゆずらない頑固さも父親阪妻さんに負けてはいない

学校ではスポーツ万能、勉強もAクラス、記念写真ではいつもいいポジションに収まる静かだが、
意志のはっきりした少年だった」


写真 成城学園中学校の頃

ナレ「中学から成城学園に通いカメラで写真を撮ることに興味を持ったようだ。今もロケ先でホームビデオをよく回している

映像 田村の様々な顔の描写の連続演出

9.37
ナレ「高校時代、兄高広の撮影現場を見学にいったことがきっかけで松竹大船と専属契約」

映像 成城学園高等学校 

ナレ「映画に出演しながらの学校生活で勉強のほうは成績が下がる一方、しかし、スポーツはバスケっとに熱中
、バスケットと映画2足のわらじで高校生活を送っていた」

10.18 ナレ「口数は少ないがいうべきことはびしっという正和少年を同級生の女生徒たちは光源氏とあだ名して
ひそかにあこがれていたという」


10.25 大平「あのー英語を担当しておりましたので」

テロップ 高校時代の担任 大平金次郎さん

大「英語はまあよくできました。読ませますとね、発音がいいんでいいし、声が低いし、渋いんで、、新橋演舞場でやるように、わたしねーよませつときこえないもんでね、もう少し、ちょっと大きいことでしゃべれっていって、それでも聞こえないんで、教壇を降りてそばまで行きましてね。

あのーお嬢さんにさきちゃんというお嬢さんがありますが、たまたま私のクラスになりまして、親子そろって担任したわけですけど、とくにあのー先ほど言いました英語なんか読ませますとね、読み方が正和君そっくりなんですよね、さきちゃんが、先生、今日今日誕生日よなんていっで、そうかいってお花送ったりしましたりしてねー」




<コメント>田村親子そろって、生涯の自慢場足になってしまった元先生、この話をどこでどれくらいしているやら、この映像の時70歳以上なのだろうか 娘のさきちゃん、当時は田村さき(漢字不明)だったようだ。

<コメント>田村正和の愛娘は田村早紀 田村沙紀、田村沙希なのか、それともこれ以外なのかはわかりませんが、よみは「さき」です。芸能系のレポータや芸能関係者などは漢字をご存じかもしれませんが、芸能デビューしておらず、一般人のようなのでこれ以上の詮索はやめておきます。



成城学園中学校高等学校 2020

田村親子が別年代に通ったころの成城学園中学校や高等学校と、この動画の2020年の映像は、大きく違う景色だと思われますが、そのどこかに必ず面影が残っているはずです。



成城学園中学校 成城学園高等学校 大平金次郎さん 新橋演舞場 さきちゃん


さんぽガール 神原もえさん 成城学園前編 Kindle版


この美女?ん。美女なのか!の神原もえさんと田村親子のの成城学園を巡れます。
彼女が美女なのかの疑惑もスッキリ




神原もえ







おば様たちの群れに囲まれる田村 まさに目の前にある危機 まるでいいたいけな少女が狼たちに迫られた






11.16
テロップ 平成5年1月15日 三越日本橋店
「田村正和が成人式の日、母と娘の記念日に招かれた、田村正和にも同世代の一人娘がいる
彼は阪妻さんのように子供に直接意見はしない、しつけや教育はすべて妻にゆだねているそうだ

ドラマでは家族とだんらんする父親、娘と散歩をするシーンを演じることがあるが」


テロップ 「成人式を迎えるお嬢様の集い」

「田村正和はそれをいっさいしない、家庭の中では娘と一切しゃべらず、部屋にこもって、一人で本を読んでいることが多い
自ら出たドラマを家族と一諸に観ることもない、しれぞれの部屋で見た後その感想を聞く、田村正和は家族の中でも、そえほどシャイで照れ屋な夫である」


<コメント>当時で、主催側からお嬢様というのが(笑) しかも引きこもりてきな父親だと伝えるようなナレーションが独特~家庭の中では娘と一切しゃべらず、部屋にこもって、一人で本を読んでいることが多い~から

三越日本橋店 成人式を迎えるお嬢様の集い


12.20 握手する田村
田村「ありがとう」

映像 おばさんたちに囲まれる田村

<コメント>まさに目の前にある危機で、ホラー 少女が狼たちに



ナレ「ちゃんって女の人にもてるだね、拝一刀の子役を演じた大五郎をはあまりの人の多さに驚いていたという」

12.41 聞いている男「魅力を一言でいうと」 女性1「あのワンポーズですよ」

女性2「全部、すべて、性格とか、用紙とか、芝居とか、特に素敵なんで」





子連れ狼 その小さき手に [VHS]



貴重すぎるVHS DVD版やブルーレイ版が求められます。





残間里江子戦 田「さーどうでしょうかー」(小声) 残「気になりませんか?」 田「なりまー、せん」(気になっているように言う)はドローなのか?





12.51 田村と残間の再び対面シーンへ

残間「父親がね田村さんだとあの、うれしい反面制約されることも当然ありますよね」

田村「ですからあのー、一緒に出掛りません。向こうが嫌がります」 残「あーそうですかー」

田「歩いてても離れていきます」 残「んー」 田「ですから、あのーんー、あと日本では一緒に手をつないで、どこか行くみたいなことはまずないですね」 残「んー」 田「したがってだから最初にいったように、ニューヨークに行ったときとかね」 残「えー」 田「ロケで、ローマにいったり、そういうときには必ず呼んで、まその、日本でできない、一緒に、ね!デパートいったり、どこかいったり、というようなことはいろいろ楽しいですけどね」

残「お父さんの仕事はそれこそ、継ぎたいっていう気持ちは?」 田「全然ないですよ」 残「ないですか、もうそろそろあの」 田「今珍しいですよね、みんな仕事持つでしょ」

残「えー」 田「彼女の本だしもなんか」 残「今大学生でしたよね」 田「大学出たらどっかで働くみたいなことを、もう大学出てちょっと遊んだら結婚したいっていってますね」 残「まあそういう意中の人がいるん」 田「さーどうでしょうかー」(小声) 残「気になりませんか?」 田「なりまー、せん」(気になっているように言う)

残「あははは、そうですか、どんな人でもいい連れてくれば?」  田「一応面接はします」、 顔が笑う田村 残「うふふふ」



<コメント>娘のことに対しては自由にしたらいいという気持ちと、良い人生を歩んでほしいという気持ちが交錯する父親の気持ちを感じ取れるやり取りです。田村も俳優ではあるが、普通な父親でもあることが感じ取れます。こうした普通な素顔は知りたくない人もいるかもしれません。







田村正和インタビューで直接対峙した残間里江子の書籍は阪妻親子を語る?





もう一度 花咲かせよう-「定年後」を楽しく生きるために (中公新書ラクレ) 残間里江子 (著)

残間里江子の書籍「もう一度 花咲かせよう-「定年後」を楽しく生きるために」の特に「もう一度 花咲かせよう-」の部分は田村や阪妻とつながる部分があります。

阪妻は稲垣やそのコンビを組んできたライバルの千恵蔵の大影響で再ブレイク、田村正和は1984年からの『うちの子にかぎって…』(田村は小学校の教師役)で再ブレイクし、その後数多くのヒット作へ、1980年代から2000年代の活躍につなげています。



14.08 ナレ「田村正和は・・F1観戦に行くほどの車好きである。愛車を走らせてどこへともなく一人旅を楽しむ」

映像 高速道路をサングラスをかけて運転する車内の描写




>果たして、高速道路をサングラスをかけて運転としゃれこみ、テレビドラマを代表する大スター田村正和の行き先に、何が訪れるのか?






姉妹ブログの新記事 片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」







伝説の?田村正和のインタビュー後の残間里江子は一体、どっちへ向かったのか!!







フリーアナウンサーなのか、プロデューサーなのか、それとも…

田村とのインタビュー対決を無事にこなしたその後の彼女は一体どうなった。



残間里江子さん(プロデューサー)9月29日OA

引用

静岡放送のアナウンサーを経て、編集記者、会社設立。山口百恵さんの「蒼い時」や、2007年ユニバーサル五輪国際大会のプロデュース。そして、現在は会員制ネットワーク「クラブ・ウィルビー」を運営している。山口百恵さんとの交流や、生島ヒロシさんとの番組のエピソードなど。





田村正和のインタビュー後の彼女は一体どうなったのか。動画の音声は何を伝えてくれるのでしょうか。




にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 田村正和, 長嶋茂雄, 残間里江子, 阪東妻三郎, 成城学園, 壮田優志, 田村登司磨さん, 植木基晴, 植木千恵, 片岡千恵蔵,

関連記事
[ 2023/02/25 19:24 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(7)
チワワドラのタグクラウド

チワワドラの過去ログ +
ドラのすべてを↓でご覧ください

2023年 05月 【1件】
2023年 04月 【1件】
2023年 03月 【1件】
2023年 02月 【1件】
2023年 01月 【1件】
2022年 12月 【1件】
2022年 11月 【1件】
2022年 10月 【1件】
2022年 09月 【1件】
2022年 08月 【1件】
2022年 07月 【1件】
2022年 06月 【1件】
2022年 05月 【1件】
2022年 04月 【1件】
2022年 03月 【1件】
2022年 02月 【1件】
2022年 01月 【1件】
2021年 12月 【1件】
2021年 11月 【1件】
2021年 10月 【1件】
2021年 09月 【1件】
2021年 08月 【1件】
2021年 07月 【1件】
2021年 06月 【1件】
2021年 05月 【1件】
2021年 04月 【1件】
2021年 03月 【1件】
2021年 02月 【1件】
2021年 01月 【1件】
2020年 12月 【1件】
2020年 11月 【1件】
2020年 10月 【1件】
2020年 09月 【1件】
2020年 08月 【1件】
2020年 07月 【1件】
2020年 06月 【1件】
2020年 05月 【1件】
2020年 04月 【1件】
2020年 03月 【1件】
2020年 02月 【1件】
2020年 01月 【1件】
2019年 12月 【1件】
2019年 11月 【1件】
2019年 10月 【1件】
2019年 09月 【1件】
2019年 08月 【1件】
2019年 07月 【1件】
2019年 06月 【1件】
2019年 05月 【1件】
2019年 04月 【1件】
2019年 03月 【1件】
2019年 02月 【1件】
2019年 01月 【1件】
2018年 12月 【1件】
2018年 11月 【1件】
2018年 10月 【1件】
2018年 09月 【1件】
2018年 08月 【1件】
2018年 07月 【1件】
2018年 06月 【1件】
2018年 05月 【1件】
2018年 04月 【1件】
2018年 03月 【1件】
2018年 02月 【1件】
2018年 01月 【1件】
2017年 12月 【1件】
2017年 11月 【1件】
2017年 10月 【1件】
2017年 09月 【1件】
2017年 08月 【1件】
2017年 07月 【1件】
2017年 06月 【1件】
2017年 05月 【1件】
2017年 04月 【1件】
2017年 03月 【1件】
2017年 02月 【1件】
2017年 01月 【1件】
2016年 12月 【1件】
2016年 11月 【1件】
2016年 10月 【1件】
2016年 09月 【1件】
2016年 08月 【1件】
2016年 07月 【1件】
2016年 06月 【1件】
2016年 05月 【1件】
2016年 04月 【1件】
2016年 03月 【1件】
2016年 02月 【1件】
2016年 01月 【1件】
2015年 12月 【1件】
2015年 11月 【1件】
2015年 10月 【2件】
2015年 09月 【1件】
2015年 08月 【1件】
2015年 07月 【1件】
2015年 06月 【1件】
2015年 05月 【1件】
2015年 04月 【1件】
2015年 03月 【1件】
2015年 02月 【1件】
2015年 01月 【1件】
2014年 12月 【2件】
2014年 11月 【1件】
2014年 10月 【1件】
2014年 09月 【2件】
2014年 08月 【2件】
2014年 07月 【2件】
2014年 06月 【1件】
2014年 05月 【1件】
2014年 04月 【1件】
2014年 03月 【3件】
2014年 02月 【1件】
2014年 01月 【2件】
2013年 12月 【3件】
2013年 11月 【1件】
2013年 10月 【2件】
2013年 09月 【2件】
2013年 08月 【2件】
2013年 07月 【2件】
2013年 06月 【1件】
2013年 05月 【3件】
2013年 04月 【4件】
2012年 02月 【1件】
2011年 12月 【7件】
2011年 11月 【29件】
2011年 10月 【32件】
2011年 09月 【32件】
2011年 08月 【32件】
2011年 07月 【32件】
2011年 06月 【27件】

チワワドラ最近記事
チワワドラ生き様(全記事)
「七剣聖の映画ポスター」リンク集
  • 世の中に多様な映像スターの概念を定着させ、映画だけではなくテレビドラマ、時代劇映画、時代劇のテレビドラマ、映像芸能の世界に大きな足跡と幅広い影響を賞賛して「七剣聖の出演映画のポスター」を作成

  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(時代劇形成の戦前1920年代後半から1940年代かけてトップ6の意味と大きな活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
  •  
  • 特に観客動員1位の東映は片岡千恵蔵と市川右太衛門のトップ、長谷川一夫は大映のトップとして戦後の映画黄金期(特に7年連続観客動員8億人の1955~1961)に多大な貢献と活躍、多くの後輩やテレビドラマにも大きく影響
  • これらは未来や海外に伝えるべき重要な事実
  • チワワドラからの旅立ち