芸能高額年俸が報ずる先輩男の背中を追う後輩女 二大刺青から
アメリカの顔VS日本の顔
先輩は後輩に色々なことを教え、後輩はそのような先輩の姿を見て尊敬の気持ちを持つようになる意味も持つ長幼の序ということわざがありますが、
後輩は知らず知らずのうちの先輩の後をたどっていく、そこに男女の違いはありません。今回はその部分や名作ドラマのルーツの隠された名作映画2本にも触れています。そしてあの動画の考察と解説に迫ります。
マスコミが伝えない、日本人や外国人に知っていただきたい部分だからです。
前回のこの動画の考察と事実を含めてテレビドラマにも迫ります。
前回記事
遠山桜だけじゃなかった半太郎の刺青に輝く芸能人年俸20億男 映画ドラマ歌舞伎から飛ぶ御大肌花火全盛期の東映俳優のギャラが凄い!片岡千恵蔵御大が年収20億!松方弘樹談 Japanese movieの謎に迫る
下記の動画は
松方弘樹が
テリー伊藤と女性アシスタントと話しています。
全盛期の東映俳優のギャラが凄い!
片岡千恵蔵御大が年収20億!
松方弘樹談 Japanese movie
動画内の話に出てくる堺駿二、トータルは喜劇俳優の名優ですが、動画内の年間映画80本、90本は出ていません。データをすべて確認していますが、堺駿二の映画は通産300本ほどです。しかもメインキャストもありますが、全般は脇役です。脇役は本数を伸ばしやすいため、数字は伸びやすい傾向が主演の数倍ありました。
片岡千恵蔵 堺駿二 松方弘樹 テリー伊藤この動画音声について=確定ではありませんが、ニッポン放送の「
テリー伊藤のってけラジオ」(2002年9月30日から2008年3月28日、月曜日~金曜日 13:00~15:30、関東ローカルの放送)の音声のように考えられます。
テリー伊藤のってけラジオ ニッポン放送もちろん助演も脇役も素晴らしい役割です。1950年代のテレビの登場から、未来はテレビが大衆的になることが経済動向的に予想されていたため、1960年付近くらいからだんだんと低迷の雰囲気があり、斜陽ともいわれました。
松方弘樹はそのことも触れています。
松方弘樹は、遠山の金さんを自身の演じたもっとも大きな当たり役(彼の金さんは視聴率的にヒットはしていないが一定の支持があった)としましたが、映画でもっとも当たり役としたのが
片岡千恵蔵(現存含む20本、題材の名作多数と最多本数、最多観客動員)です。
千恵蔵の直後輩の
三田佳子(東映東京撮影所でデビュー、この頃の千恵蔵は東映京都撮影所と東映東京撮影所のトップ俳優)は長者番付、高額所得の1位は4年でしたが、
片岡千恵蔵は確実に5年以上の芸能系トップの高額所得だったと考えられます。
三田佳子 長者番付け 高額所得戦前の大きなキャリアと戦後の東映の5年を越す連続1位は彼の力がもっとも大きいからです。1956年から60年代中盤、少なくても1964年くらいまで確実といえるでしょう。主演を中心から離れたあとの可能性としてさらに数年は考えられ、個人的には10年の可能性も示唆します。60年代後半くらいから、徐々に中堅やベテランになった石原裕次郎や美空ひばり、鶴田浩二、三船敏郎などだったともいえるでしょう。
石原裕次郎 美空ひばり 鶴田浩二 三船敏郎片岡千恵蔵は、生涯年俸歴代1位の戦前と戦後含め、現在のお金で言うと数百億だったと考えられます。
日本の歴代数名だけの時代劇と現代劇の両方において大きく活躍、歴代1位の時代劇と現代劇の両方40本を越す代表作の大成功、成功した巨匠数は主演系歴代最多、日本の歴代の主演俳優の通算最多観客動員など、細かいものを含めると40つを越す膨大な記録数の持ち主です。
また映画会社の通称・千恵プロは映画俳優の映画会社でもっとも成功を収め、一国における世界でもっとも成果を残した個人のみの映画製作会社です。戦後は東映の重役兼主演俳優として、御大とも言われ、日本映画界に多大な貢献を果たしました。好き嫌いは人によりますが、この事実があるわけです。
今からでも、文化勲章や国民栄誉賞は当然の人物です。
主演の手取の半太郎を演じた
刺青奇偶は1933年と1936年に2本が製作されています。
手取の半太郎 刺青奇偶刺青奇偶(1933)の評判の良さから まさかの再映画化
テレビドラマにおいて、1957年から63年まで
中村勘三郎(17代目)が確認は3度や1973年に菅原文太が演じた長谷川伸の名作
刺青奇偶、歌舞伎やテレビドラマに繋がる前回記事の千恵蔵映画の
刺青奇偶(1933)の好評から、なんと、続編が作られています。
これは
刺青奇偶(1933)が好評だったことの明確な証拠です。
刺青奇偶(1936) *刺青奇偶(1933)の評判の良さからまさかの再映画化
製作=千恵蔵プロダクション 配給=日活
監督衣笠十四三(巨匠衣笠貞之助の弟)、脚本泉次郎吉(衣笠貞之助のペンネーム) 原作長谷川伸、撮影石本秀雄
手取の半太郎=片岡千恵蔵
お仲=千早晶子、荒木田の熊介=瀬川路三郎、鮫の政五郎=松本泰輔、角兵衛又=矢野武男、目明し久六 =阪東国太郎、半太郎の母=伊藤すゑ、駄菓子屋女房お竹=滝沢静子、女衒金八=志村喬、役名不明(友情出演や特別出演的)の香川良介と原健作
好評から自分主演でもう一度のリメイクが実現、名優瀬川路三郎は2度荒木田の熊介を演じています。あえて同じ役を演じせたわけです。
400本の9割主演の片岡千恵蔵、映画のみで710本ほどの香川良介、450本以上の大名助演俳優の志村喬と原健作、300本の瀬川路三郎、250本以上のの松本泰輔、6名の大名優が出演
衣笠十四三 衣笠貞之助の弟 泉次郎吉 衣笠貞之助 長谷川伸 石本秀雄千早晶子 瀬川路三郎 矢野武男 阪東国太郎 伊藤すゑ 滝沢静子 松本泰輔 志村喬 香川良介刺青奇偶(1936)出演の主な名優たち 千恵蔵のライバルのヒロインが出演する破天荒 敵も取り入れる荒業
千早晶子は基準ともいえる100本は越していないが名優といえる活躍と判断、滝沢静子は千恵プロに22本(現存含むと約30本)出演の助演女優、千恵プロの名作に10本以上も出演、90本を越す映画出演(10番手前後が多い)、事実以上の名優、100は越していませんが、彼女も妻役や母親役を多く演じました。
千恵蔵との戦前の良縁から、戦後は東映の前身の東横映画の初代金田一耕助シリーズのヒット作「獄門島」(総集編、前後作で4本とも、千恵蔵主演)にも出演しています。
初代金田一耕助シリーズ 獄門島千早晶子は林長二郎(のちの長谷川一夫)のヒロインや助演を多く務めたことで知られる名女優です。松竹時代劇中心に、90本を越す映画、林長二郎との狂犬だけで代表作は20本ほどになります。林長二郎のヒロイン女優がライバルの千恵蔵映画に出演するという破天荒の実現、当時の活動の中心は松竹の衣笠貞之助が、千恵プロ映画で脚本を書いていることから、千早晶子の出演が決まった部分があると考えられます。
林長二郎 長谷川一夫松本泰輔、志村喬、矢野武男、阪東国太郎、伊藤すゑ 他は千早晶子、滝沢静子は同じ内容ですが、長いので、こちらの記事に公開します。名優たちの水戸黄門や伝説の忠臣蔵映画も微量に登場、よければご覧ください
*その裏記事
最大ライバルのヒロインが出演する破天荒や敵の身内も取り込む荒業後輩の映画人の黒澤明(起用の俳優以外も影響)や三船敏郎も千恵蔵映画のおかげも大きいことが事実です。
ちなみに黒澤明が大きく起用した名優の山本礼三郎も、千恵蔵映画で活躍が大きい俳優、これも知っていることは芸能系の常識です。
黒澤明 三船敏郎劇団花吹雪 名作劇場「刺青奇偶」
劇団花吹雪という大衆演劇の題材としても演じられています。映像化は映画からテレビドラマ、舞台系は歌舞伎、大衆演劇になっています。
劇団花吹雪 大衆演劇 桜京之介アメリカの顔も七つの顔の男の足元 多数のテレビドラマにも繋がる名作映画の刺青奇偶(1933)と刺青奇偶(1936)の俳優や製作系の比較
刺青奇偶(1933) *刺青奇偶の最初の映像化の功績がある映画
製作=千恵蔵プロダクション 配給=日活
監督伊丹万作、脚色伊丹万作、原作長谷川伸、撮影石本秀雄
配役
手取の半太郎=片岡千恵蔵
お仲=高津慶子、荒木田熊介=瀬川路三郎、鮫の政五郎=高木永二、角兵衛又=林誠之助、半太郎の父 =実川延一郎、半太郎の母=明津江、女衒金八ー香川良介、隣の女房お竹=常盤操子、医師香伯=成松和一、御家人=山本礼三郎
刺青奇偶(1936) *刺青奇偶(1933)の評判の良さからまさかの再映画化
製作=千恵蔵プロダクション 配給=日活
監督衣笠十四三(巨匠衣笠貞之助の弟)、脚本泉次郎吉(衣笠貞之助のペンネーム) 原作長谷川伸、撮影石本秀雄
手取の半太郎=片岡千恵蔵
お仲=千早晶子、荒木田の熊介=瀬川路三郎、角兵衛又=矢野武男、目明し久六 =阪東国太郎、半太郎の母=伊藤すゑ
駄菓子屋女房お竹=滝沢静子、鮫の政五郎=松本泰輔、女衒金八=志村喬、役名不明(友情出演や特別出演的)の香川良介と原健作
この2本だけでも、20名を近い名優が出演しています。千恵プロは阪妻プロなど多くのライバルたちを上回り、もっとも多くの名優が出演したスタープロダクションとしても知られています。
アメリカの顔といわれたアメリカの国民的映画スターの
ジョン・ウェインでさえ、スタープロダクションを作って最低限な結果しか残せず、名優数は少数に留まっています。
スタープロダクション ジョン・ウェインジョン・ウェインは観客動員はアメリカの最盛期トップといえ、1950年代から1970年代の俳優別の年間ベスト10にもっともランクインするなどの証拠の記録が残されていますが、実は当時のアメリカの映画スターよりも、日本の映画スターのほうが人数が多く、競い合いも映画本数も日本が世界1位でした。俳優別の年間ベスト10にもっとも含まれていても、日本より競争力が大きく下、さらに年間の映画本数も日本のほうが数百本も上でした。
スタープロダクションだけではなく、結果や名優数などは、
アメリカの顔も日本の”七つの顔の男”、七つの顔、日本の顔の足元でした。
*膨大な量になるのでその細かい比較は控えますが、姉妹ブログの映画のほうで、取り上げていきたいところです。
*七つの顔の男=片岡千恵蔵の現代劇の当たり役の一つ、7役を演じ、日本の戦後生まれの初のヒットシリーズ映画の多羅尾伴内シリーズの別名は、七つの顔の男シリーズ、戦後直後の大映4本と東映7本の全11作、観客動員は2000万人ほどとも考えられる、千恵蔵はこの七つの顔の男や戦前からの多彩な演技と関連させ、七つの顔の映画俳優と称される場合もあります。
荒木田の熊介 七つの顔の男 多羅尾伴内千恵蔵と路三郎、香川の3名は2本共出演している特徴があり、映画300本出演(340本以上を確認)の名優の瀬川路三郎は”荒木田の熊介”を2度、あえて同じ役を演じさせていることの破天荒を行っています。これは当時すでに名匠(のちの巨匠)の衣笠貞之助を含む、千恵プロ側の制作上の意向があったと考えられます。
1961年東映作品しおり 半七捕物帖 三つの謎 B5サイズ・2つ折りタイプ 片岡千恵蔵 鶴田浩二 東千代之介 映画パンフレット・兼用
千恵蔵と瀬川路三郎の戦後の晩年の共演作の一つ『半七捕物帖 三つの謎』(1960年公開)の貴重なパンフレット=しおりです。
映画は三つの謎のオムニバス3本で構成され、当時としては斬新な時代劇映画です。
千恵蔵の有名な捕物の親分の半七を主演に、鶴田浩二(戦後世界最多の映画主演160本を記録、戦後を代表する映画スター、ドラマでも活躍)や沢村訥升(数年間に東映の映画スターだった歌舞伎俳優、映画スターとしての人気はイマイチでした)、東千代之介(戦後時代劇映画の最盛期の流れにも貢献の大スター)の4名の顔が表紙を飾っています。
製品紹介に1961年とありますが、映画の公開は1960年10月、出品者が間違えているようです。
瀬川路三郎は端役の20番手付近で出演しています。
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