今回は
『旗本退屈男(1973)』 連続テレビドラマ史希少の4巨匠1名匠の豪華布陣集結の「2大巨匠の
稲垣浩と
渡辺邦男」部分で取り上げた
稲垣浩、
渡辺邦男、
佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の内、
稲垣浩に関しては
稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群や
稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群などで取り上げていましたが、他の部分はまだでした、そのため今回はその続きに迫ります。
歴代大スターだからこそ実現す。稲垣浩、渡辺邦男、佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の豪華な監督陣
渡辺邦男に関しては以前に取り上げています。
天皇の渡辺邦男と松本常保 映画とドラマと 時代と運命とや
【大進撃】映画界の天皇 渡辺邦男が参加した主なテレビドラマたちを公開で取り上げていましたが、新しく書いてしまったので別なものを投稿します。
その前に改めてテレビ時代劇の『
旗本退屈男(1973)』に関する続きです。テレビ時代劇の『
旗本退屈男(1973)』は稲垣浩、渡辺邦男、
佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の豪華な監督陣で制作されました。そこに至るには長い、実に苦しい流れがありました。43年です。
当時の平均寿命が70歳ほどのときの43年はほんと長期間です。しかも映画時代は映画会社の専属制度なので負担も現代のような気軽さはなく、倍の締め付けがあり、10年のレべルで長期間活躍するだけでも、現在でいう30年以上に相当すると考えています。現在はある程度でも地位があれば長くやれてしまう時代ですが、当時は結果を出さないと常に切られる要素が今以上に激しく強い時代でした。改めてこの43年が今回のキーワードです。
事実上の世界歴代3位の映画スター
旗本退屈男は
市川右太衛門の最大の当たり役で、数多くの役を演じた中でも突き抜けたイメージが定着した役柄(今で言うキャラクター)でした。
市川右太衛門の主演映画300作強、この数字はサイレントのみで活躍した日本最初の映像大スター尾上松之助、
市川右太衛門のライバルの一人でもあり、戦後は映画会社東映の重役兼同僚の時期もあった最大のライバルの
片岡千恵蔵に次ぐ、
世界歴代3位です。
現代や過去のハリウッドスターやそれ以外の地域俳優が一生懸命にやっても圧倒的に及ぶことがない異次元の金字塔に到達、彼や彼らはまさに世界を代表する映画界や映画スターを代表する一人といえるでしょう。
市川右太衛門の自分の映画会社の通称・右太プロで『
旗本退屈男(1930)』として製作がスタートし、舞踊をモチーフにしたとされる独自に追求したといわれる華やかな立ち回りや独自なしゃべりと言い回し(スタート時はサイレント映画)、キメ台詞、知識に問わず分かりやすい内容などで大きく評判になりましたが、右太プロを畳んで松竹傘下の新興映画に移籍したときの通算9作目の1938年『宝の山に入る退屈男』で製作がストップしてしまいます。
佐々木味津三 イッパツ屋じゃない真実の大原作者に迫れ
旗本退屈男 01 第一話 旗本退屈男小説家の佐々木味津三(ささきみつぞう)は旗本退屈男の原作者です。
佐々木味津三の代表作は「旗本退屈男シリーズ」だけでなく、「右門捕物帖シリーズ」の原作者としても知られています。この二つは死後も数多く作られ、生涯の2大代表作となりましたし、両方のシリーズが戦前から戦後にかけて同時期に国民的な作品となりました。つまり
現代も漫画などで原作者が一つのシリーズだけが突き抜けている人は数多くいますが、それは最低限、佐々木味津三はそれを余裕で上回る
二つの国民的作品の原作者だったわけです。
同時期に国民的な作品になったこともものすごいことなのですが、二つの国民的作品の原作者として高く評価すべき点でしょう。所詮一つくらいの代表作は他にも大勢いるある程度レベルなのです。今後も日本でも海外でも一つくらいの国民的作品を生み出す人物は数多く出てくることでしょうが、二つは極端に人数が減少します。突き抜けた代表作が一つだけではなく二つあることの凄さ、これぞ本物です。
テレビドラマでも1950年代後半から2000年代前半にかけて「右門捕物帖」は6度の機会、「旗本退屈男」は5度の機会で何度も映像化されました。つまり二つをあわせると映画とドラマで1920年代後半から2000年代まで70年強にわたって「右門捕物帖」と「旗本退屈男」の2大代表作は繰り返し映像化されているのです。これは嘘ではなく真実です。これも十分に世界レベルの大記録でしょう。
主演俳優の試練 変貌を求められた苦闘の日々
戦後の1950年まで約13年を待つことなり、最低でも2000万人以上、個人的には最低でも3000万人は動員したと考えています。1950『旗本退屈男捕物控 七人の花嫁』で再スタートしたものに、まだアメリカに敗戦後の日本は
GHQ統制下であり、自由な作品が作れない状況でした。まさに予期せぬとおせんぼ、欧米人の圧力というどうしようもない到来の嵐に屈するしかない状況が初演俳優を襲ったのです。
正確にはただ娯楽映画を作りたいだけだったわけですが、アメリカ側の勘違いですが、過激や反抗を煽ると考えられていた剣戟シーンまでも封じられ、剣戟を取り入れ成敗を魅力とする部分が集団劇、裁きや捕物要素を持つ作品へ一時的に変貌、しかし1952年にGHQ統制が解除され、本来の旗本退屈男の魅力が戦後風に戻っていくこことなりました。
その中でも1956年の
年間観客動員第5位に『旗本退屈男 謎の幽霊船』(監督は巨匠・
松田定次)がランクインしました。この『旗本退屈男 謎の幽霊船』は通算20作目&カラー1作目です。カラーを魅力を活かし、色彩の華やかさを全面に作品に押し出し、当時に話題を呼んで観客動員がシリーズ最多を記録したのだと考えられます。これまでにない新しい旗本退屈男を観客に提示したわけです。

GHQの日本洗脳を説いた書籍 表上は開放されたことになっていますが、何代をふてもその呪縛はとかれることがなく、今喪何らかの支配が続いているのかもしれません、
テレビドラマというよりも映画が多めですがさらに裏側に続く
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