230作の映画に出演した名俳優・海江田譲二と『琴姫七変化』
『
琴姫七変化』(1960~1961)の主人公の琴姫の父である江戸幕府の第11代征夷大将軍の
徳川家斉役は
海江田譲二でした。
海江田譲二(かいえだじょうじ)は時代劇映画を中心に230作以上の映画へ出演しています。テレビが取上げてるレベルの低い大物とは違い真の意味の大物俳優です。
海江田譲二は代表作が少ないながらも1930年代から1939年代後半をピークに約10年ほどで主演スターとしても活躍し、それ以降は助演、戦後になると脇役俳優として活動していました。主演数は戦前でも30位近辺の90作を越しています。戦前の事実上のトップ6である、時代劇六大スターが平均主演数が150作近辺であることから考えても、
海江田譲二は代表作は少ないながらも主演本数的にそこそこなスターだったといえるでしょう。
『
琴姫七変化』では映画時代の実積を買われて
徳川家斉であり、主人公の父親役の重要な役柄を演じていました。また、
海江田譲二にとって『
琴姫七変化』はテレビドラマの唯一といえる代表作だからです。
230作以上の映画出演は2017年時点で現役の仲代達矢が150作強、2010年代に亡くなった高倉健が200作強だったことからも、海江田譲二の230作以上の出演数は大きなものです。
海江田譲二は1939年から松竹の時代劇映画だけでも105作以上(東映10作以上)への出演を果たしており、松竹映画へ多数出演していた流れでテレビドラマの『
琴姫七変化』へ出演したものと考えられます。
琴姫七変化は松竹の関連俳優が他にも多く出演しており、メインキャストの
松山容子と松本錦四郎も松竹映画から羽ばたいた俳優でした。また、松竹に縁がある名優・海江田譲二も出演していたことも必然といえば必然です。
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右の写真は男装で赤穂浪士の特定の人物に別れを告げにやって来る”おみの役の高峰三枝子”です。左は歌舞伎俳優で前進座のリーダーでもあった主演の河原崎長十郎??海江田譲二は『元禄忠臣蔵 前後編』(1941~42)で堀部安兵衛を演じていますが、残念ながら写真へ映り込んではいません。原作は歌舞伎で知られる真山青果、監督は巨匠・溝口健二がが手がけ、剣戟を省いたことも影響しているかもしれませんが堀部安兵衛の出番が極端に少ないことも特徴の忠臣蔵映画です。
現実に存在していた徳川家斉の娘 琴姫の悲劇
『琴姫七変化』へ登場する
徳川家斉には現実に琴姫という娘が存在していました。ですが、生まれてまもなく亡くなったと記録が残されています。『琴姫七変化』の琴姫は、もしも琴姫が生きていたら、こんな活躍をしたのかもしれないという話であり、時代劇だからできる良きデフォルメ部分が存在しています。また、
徳川家斉の娘の二十二女の琴姫は1815年生まれ~1816年に没と残されています。
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歴史好きでもあるのでいくつかは存じていますが、いろいろな面で逸話が残されている征夷大将軍でした。
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森繁久彌 東宝の多角経営の過大評価とゴジラ映画のパクリ疑惑テレビドラマでも代表作を残した映画の巨匠・松田定次と松山容子
松山容子といえば映画のことも少し触れておく必要があります。
主演映画の代表作である『
めくらのお市』シリーズは東映映画を去った
松田定次が監督を務めているものがあります。大映時代、東映の聡明記から黄金期を形成や牽引し、監督数は約170作、主な代表作は日本映画ナンバーワンの約100作,、『
めくらのお市』は巨匠・
松田定次の映画の遺作になりました。ちなみに
黒澤明は監督数31作、代表作10ほどであり、数のみでは10倍の差が存在し、両名は監督として違うタイプにしても大きな実積差であることも事実です。
松山容子の主演映画「めくらのお市シリーズ」
1969『めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥』 監督・松田定次
1969『めくらのお市 地獄肌』 監督・松田定次 *遺作
1969『めくらのお市 みだれ笠』 監督・市村泰一
1970『めくらのお市 命貰います』 監督・市村泰一
松田定次は戦前から数え方次第では忠臣蔵映画を10作以上を監督、ここはメインではないので大まかに済ませますが戦後は東映ナンバーワン俳優の
片岡千恵蔵の多彩な代表作を30ほど監督しました。千恵蔵とのコンビ作のみだけでも軽く1億人以上の観客動員を記録し、今後も困難なゴールデンコンビを形成していました。一言や二言で済ませられる実積ではありません。
簡単に言ってしまえば松田定次と
片岡千恵蔵のコンビは、山田洋次と渥美清よりも最低でも数千万人以上も客を呼んでいるわけです。しかも
片岡千恵蔵の場合は松田定次を含めた数多くの巨匠とコンビ数は通産で150作近くです。
「めくらのお市シリーズ」の3.4作目の監督の市村泰一は歌謡映画を多く残した松竹の映像化監督(プログラムピクチャー)として知られている部分がありますが、監督数が約50のわりには代表作が少なめでした。「めくらのお市シリーズ」の3.4作目は松田の流れを受けた映像化の内容を任せられました。
その松田定次の遺作が
松山容子の主演による1969年の『めくらのお市 地獄肌』です。松田定次は東映映画を離れて、1964年から、外部や松竹のいくつかのテレビドラマ時代劇を手がけていました。松田定次が監督で事実上のチーフを勤めた
栗塚旭が主演した1967年『風(1967)』は高く評価され、ヒロイン役の
土田早苗が1967年の京都映画祭の女優賞を受賞しています。
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1967年から1968年に放送されて好評を博した松竹時代劇の『風』、箱にプリントされているのは
栗塚旭と
土田早苗です。
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