1959年の日本電波映画株式会社と日本映画界の黄金期の逆強日本電波映画株式会社が創立したこの1959年は日本映画界が最大の黄金期といわれる7年連続、観客動員が8億人以上の真っ只中でした。また3度目の10億人を記録した年でした。両御大を中心とした若手スターの活躍で時代劇の東映が1956年から4年連続で1位、現代劇の若者路線の日活が初の2位を獲得しました。
日活はこのときの2位が最高順位でした。その後は1960年代の全般は東映と東宝が首位争いを繰り広げていきますが、
松本常保の
日本電波映画株式会社は1959年の時点、映画界からするとテレビドラマは陽の目を受けることがあまりない状況であり、大きな逆強の中で歩み出したのです。

田中絹代、高峰三枝子や清水宏は誰が知るほどの有名な人物ですが、ほかはかなりの通心をくすぐる名前がずらりの中、
佐々木啓祐があり、彼は松竹の知る人ぞ知る監督です。
わかりやすいえくらん社の枝分かれの流れ えくらん社(映画製作の会社 1949年)
↓ ↓1959年に枝分かれ、1と2の2つに分れる
1、日本電波映画(テレビ・映画製作の会社)
2、エクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)
松本常保によるえくらん社は1949年に創立し、日本電波映画とエクラン社に枝分れしました。
その後、松本常保は日本電波映画でテレビドラマを製作していきました。*当時はテレビドラマをテレビ映画とも言う
日本のテレビドラマの初期を代表する作品の一つ 琴姫七変化日本電波映画の多くのテレビドラマは日本テレビ系で放送されている作品が大半を占めていた部分も特徴です。日本電波映画といえば、美空ひばりの主題歌でも知られる同名曲の柔は、『
柔(1964)』(1964~1965)の主題歌で使用されたことでも有名作ですが、日本電波映画のテレビドラマ制作の草分けとして流れを切り開いた作品『
琴姫七変化』(1960~1961)は重要なテレビドラマでした。

当時のバージョンが一番説、わたくしこと、ドラも唱えていたりします。『
琴姫七変化』はテレビドラマがスタートした初期の代表作の一つであり、時代劇ドラマでした。放送当時は1958年の『
月光仮面』などと含めて、初期のテレビドラマのヒット作の一つに数えられる作品であり、
松本常保の日本電波映画株式会社が製作していました。
ドラは『
琴姫七変化』もほとんど見たことがあり、全105話の全話数が現存していたものと記憶しています。CS放送で放送された2000年代の前半に放送された全話数をビデオに録画していました。日本電波映画は松竹と関わりがある会社であり、著作権は松竹が所有している作品のようです。その証拠の一つとして、2000年代前半に『
琴姫七変化』が放送されたホームドラマチャンネルは松竹のCSチャンネルの一つです。
琴姫を演じた松山容子と相手役で出演した松本錦四郎
主役の琴姫を演じた松山容子という女優がこの作品で知られ、ある種のスターとなって、有名なボンカレーのCMなどで起用されました。デビュー当時は松竹映画で
松山清子の名義で活動していました。
ですが、その後の女優としても活動をしていきますが大きな代表作にはあまり恵まれずに、出世作の『
琴姫七変化』が生涯の最大の代表作となってしまいました。
『琴姫七変化』は
松本錦四郎という俳優も相手役で出演していました。
松本錦四郎は松竹映画を中心に活動&売り出していた若手俳優でしたが、映画ではあまりブレイクせずにテレビドラマへ新しい活躍の場を移してきた俳優です。
松本錦四郎の出演映画はここ数年で数作を視聴していますが、演技や癖に特徴がなく、残念ながら若い以外の部分に個性や魅力を見出すことはできませんでした。
*
松本錦四郎は松竹の時代劇映画でデビューしたため、歌舞伎俳優を思わせる芸名であるだけで、歌舞伎俳優の
松本幸四郎とは別人です。
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『琴姫七変化』はドラマファンなら観ておきたいタイトルです。裏通りも公開しました。↓↓ ・エクラン演技集団4人衆と時代劇の未来について裏展開
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