歴代でも最大のヒットメーカーがテレビドラマで監督をするときが近づく
テレビドラマへつながる丹下左膳や大岡越前守に貢献した大河内伝次郎と渡辺邦男の大きな関わり⇒前回記事⇒
美空ひばりの大ヒット曲・柔のドラマと名作ドラマ・天皇の世紀をつなぐ丹下左膳前回の記事の丹下左膳や大岡越前守の16作をご覧いただくと気づくかと思いますが、大きな貢献をしているのが
渡辺邦男の存在です。山中貞雄の1作ながら大きな存在と言われますが、
渡辺邦男は伊藤大輔の5作に次ぐ4作で監督を担当しています。
大河内伝次郎が日活で伊藤大輔との30作以上にわたった名コンビを解消して、東宝へ移籍したときにコンビを組んだ監督が
渡辺邦男でした。東宝へ移籍する以前の日活時代から、実は
渡辺邦男と
大河内伝次郎は「煩悩秘文書」3部作など5本でコンビ作を形成していました。
大河内伝次郎が東宝に移籍した1936年の翌年の1937年に
渡辺邦男は日活から東宝へ続いて呼ばれるかように移籍していたのです。東宝は日活からの数本のコンビ経験が存在した渡辺邦男に目をつけて、作為的に
大河内伝次郎とのコンビの形成を仕立てていたとも言えそうです。渡辺邦男にとっても戦前の国民的大スター・
大河内伝次郎を任されたわけですから大きな仕事だったことが垣間見れます。
「大河内伝次郎は通産で16度の”丹下左膳”と同時に演じた7度の”大岡越前守”」下記の
茶色部分が渡辺邦男と大河内伝次郎のコンビ部分
作数、公開年 タイトル ・大河内の役名 監督
1、 1928 「新版大岡政談 第一篇」 ・丹下左膳、大岡越前守① ・伊藤大輔
2、 1928 「新版大岡政談 第二篇」 ・丹下左膳、大岡越前守② ・伊藤大輔
3、 1928 「新版大岡政談 第三篇 解決篇」 ・丹下左膳、大岡越前守③ ・伊藤大輔
4、 1933 「丹下左膳 第一篇 丹下左膳」 ・丹下左膳 ・伊藤大輔
5、 1934 「丹下左膳 剣戟の巻」 ・丹下左膳、大岡越前守④ ・伊藤大輔
6、 1935 「丹下左膳余話 百万両の壺」 ・丹下左膳 ・山中貞雄
7、 1936 「丹下左膳 日光の巻」 ・丹下左膳、大岡越前守⑤ ・渡辺邦男
8、1937 「丹下左膳 愛憎魔剣篇」 ・丹下左膳、大岡越前守⑥ ・渡辺邦男
9、1937 「丹下左膳 完結咆吼篇」 ・丹下左膳、大岡越前守⑦ ・渡辺邦男
10、1938 「新篇 丹下左膳 妖刀篇」 ・丹下左膳、千葉周作 ・渡辺邦男11、1939 「新篇 丹下左膳 隻手篇」 ・丹下左膳、千葉周作 ・山本薩夫
12、1939 「新篇 丹下左膳 隻眼の巻」 ・丹下左膳 ・中川信夫
13、1940 「新篇 丹下左膳 恋車の巻」 ・丹下左膳 ・中川信夫
14、1953 「丹下左膳(1953)」 ・丹下左膳 ・マキノ雅弘
15、1953 「続丹下左膳」 ・丹下左膳 ・マキノ雅弘
16、1954 「丹下左膳 こけ猿の壺」 ・丹下左膳 ・三隅研次
映画で丹下左膳と同時に大岡越前守を代表的な役とした大河内伝次郎や渡辺邦男の丹下左膳と大岡越前守が数多くテレビ時代も多くの映像化されているところから、テレビドラマへ多大な影響を与えていることがわかります。
日本映画で上位のヒットメーカー渡辺邦男渡辺邦男は総監督を勤めた嵐寛寿郎の「明治天皇と日露大戦争」(新東宝、1957公開)と長谷川一夫の「忠臣蔵(1958)」(大映)の2作(両作ともオールスター)を残したことでも知られています。「忠臣蔵(1958)」は2000万人ほど、「明治天皇と日露大戦争」は2500万人以上を動員したのではないだろうかと考えられています。、「明治天皇と日露大戦争」の観客動員では歴代でナンバーワンです。これが事実ならば、あの
宮崎駿の「
千と千尋の神隠し」を上回る観客動員数です。
渡辺邦男はは監督デビューを果たした1928年から通産で230作以上の映画監督を務め、戦前から多数のヒット作を生み出し、戦後の映画の黄金期の形成にも大きく尽力しました。また、戦後の年間ベストテンへランクインすることのなかった、数百万人ヒットも多く手がけたと言われています。
前回も書いていますが、大河内伝次郎や
片岡千恵蔵や長谷川一夫、市川右太衛門、美空ひばり、榎本健一、岡譲二ら多数の映画スターとコンビを組みました。大スターとの監督本数は歴代でも上位の数です。
6年連続で8億人の時に現代劇と時代劇映画で観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは渡辺邦男だけさらにテレビドラマから反れてしまいますが、東映のナンバーワンといわれた監督・
松田定次は渡辺邦男よりも多くの1500万人作を多く残していますが、そのすべてが時代劇映画でした。驚くことに1956年から1961年までの6年連続で8億人の時に、
観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは現代劇と時代劇の両方では監督・渡辺邦男だけでした。
例えば当時の1000万人と現在の1000万人の到達はそのまま同じではありません。500万人ヒットが年に数十作もあった黄金期の当時と、2016年の「
君の名は。」と「
シン・ゴジラ」の2本のみではレベルが異なりすぎて比較は困難でしょう。さらに現在はヒット作や一般映画が極端に少ないため、テレビやSNSによって上位の話題作へ客足が集中しやすい場合やマスコミが総出で大きく宣伝活動を行うことで、上位に更なる観客動員が集中しています。
現代は、渡辺邦男が6年連続で8億人を記録した時に
観客動員1500万人以上のヒット作を残した頃とは大きく異なり、年間で400作台から500作以上の一般映画が公開されていました。巨匠、名匠、大スターが数十名存在した当時の高い競争力の中で多くの人数を記録していることの方が、現代に人数を記録することよりも困難です。現在の日本映画はポルノ映画やB級映画の方が一般映画の数を上回っている状況です。
ここでは観客動員のことを取り上げましたが、映画も観客動員で内容の良し悪しは決まりませんし、テレビドラマの視聴率の高い低いだけでは判断できません。ですが、極端に観客動員が少ないことや視聴率が低すぎるのは大きな問題点です。
大河内伝次郎と渡辺邦男がコンビを組んだ丹下左膳が
漫画家・小澤さとるによって、漫画として登場していたことに驚かされました。
2016年11月25日から取り扱いされているようです。
日本映画上位のヒットメーカー・渡辺邦男が映画からテレビドラマの旅路へ向かうとき渡辺邦男が戦後に多く監督をしていた東映や大映の観客動員も年間で1億人を切るほどになったときに、大映を1962年、東映を1963年に後にします。そのときたどり着いたのが日本電波映画社でした。
日本電波映画社は松本常保という人物が創立し、現在の見れる作品という面ではテレビドラマを中心に多くの作品を残していきました。渡辺邦男と松本常保には意外な関わりが存在しています。 つづく・・
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沢島忠「”映画界の天皇”とも言われていた」~歴代ヒットメーカーがドラマの監督をするの裏通りその前も残します↓ ↓
悲壮美と死相美 忠臣蔵の浅野内匠頭悲壮美でも活躍した俳優3名に迫る。
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