新版
大岡政談には3名の俳優の競い合いが存在していました。それが最初の新版
大岡政談で
丹下左膳を演じた嵐長三郎(のちの
嵐寛寿郎)と
団徳麿、
大河内伝次郎の3名のスター俳優の存在です。この中で大きく成功を収めた人物が
大河内伝次郎でした。
<嵐寛寿郎の丹下左膳と映画出演200作以上の市川小文治>団徳麿による新版
大岡政談は1928年の5月から7月にかけて3部作で公開されましたが、1作目のみが”鈴川源十郎の巻”とも付けられたタイトルでした。鈴川源十郎という役に焦点が当てられていました。実は嵐長三郎(のちの
嵐寛寿郎)によるシリーズも作られていますが、2作のみで終了しています。そこには大きな評価を得ることができなかった部分があったのです。大岡越前守は全般的には脇役で活躍した
市川小文治が演じていました。
市川小文治も
団徳麿のように映画出演200作以上を記録し、数多くの主演スターと共に歩んだ映画人生でした。ですが、
市川小文治は1950年代の前半に
団徳麿よりも10年以上早い時期に映画界を去りました。
嵐長三郎の新版
大岡政談(1928年5月のみ)製作・マキノ・プロダクション
「新版
大岡政談 前篇」
「新版
大岡政談 中篇」
丹下左膳=嵐長三郎 大岡越前守=
市川小文治
<3名の中で大岡政談と丹下左膳で最大の成功者・大河内伝次郎>大河内伝次郎による同年の同時期に公開された「新版大岡政談 第一篇」監督・
伊藤大輔がヒットして、脇役として登場していた
丹下左膳が主軸として作られていくことになります。のちに原作の「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」が”
丹下左膳と改題”されており、
大河内伝次郎の丹下左膳の大きなヒットが存在したことを後世に残しています。
大河内伝次郎の新版大岡政談(1928年5~8月)製作・日活
「新版大岡政談 第一篇」
「新版大岡政談 第二篇」
「新版大岡政談 第三篇 解決篇」
丹下左膳、大岡越前守(2役) =大河内伝次郎
<同年に競合合戦を実現させた罪作りな原作者・林不忘>
丹下左膳の形成には、この
団徳麿(前回記事にあり⇒
「団徳麿らと丹下左膳、大岡越前(前編)」)、嵐長三郎、大河内伝次郎の3スターの競合合戦(1928年に競合)が生み出した部分が影響していました。原作の林不忘という人物はある意味で罪な人かもしれません。何故なら東亜キネマ、マキノ・プロダクション、日活の3つの映画会社に映像化の許可をしただけにとどまらずに主演俳優3名を競わせたことになるためです。こうした同年の映像化の競合は日本ではあまりないことです。ドラも数多くの作品を知っていますが、同一原作者による3つの映画シリーズが同じ年に公開されることはほとんどありません。前代未聞の出来事でした。
*タイトルの大岡越前と丹下左膳の原作者とありますが、
正確には大岡越前の方は元ともいわれる大岡政談の原作者でした。
タイトルとしてややこしくなるため、ああいう風に表記しました。
<大河ドラマ「太閤記」(1965)の織田信長でも知られる高橋幸治と丹下左膳>
この3名はのちの大岡越前や丹下左膳の映画やテレビドラマ影響を与えています。その一例が
高橋幸治です。
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丹下左膳は数多くの俳優によって作られてきました。テレビではNHK大河ドラマの3作目「
太閤記」(1965)の
織田信長役で人気を博した
高橋幸治も演じていました。残念ながら「
太閤記」はほとんどの話数が現存していませんが、。ドラも視聴済みの
高橋幸治の丹下左膳はすべて見られます。映画監督の市川崑が制作に関与した、テレビ時代劇「丹下左膳 乾坤篇」と「丹下左膳 こけ猿の壷篇」(1974~1975)です。
↓当ブログの裏通り記事↓あの赤塚不二夫「おそ松くん」、「おそ松さん」と千恵蔵??
赤塚不二夫や「おそ松くん」、「おそ松さん」、大河ドラマにも関与や影響の片岡千恵蔵
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