鈴木志郎が姿を消した原因には「
特別機動捜査隊」は500話台に突入し、オープニングもカラーになった直後以来に変更されたことも関連があります。これと同時に出演者にも大幅な変更がありました。
伊沢一郎は評価を得ていることも多少は影響しているのでしょう。
伊沢一郎は500話以降も継続して出演していますが、畑野刑事・宗方勝己や水木刑事・水木襄などの刑事も登場して出演者も全体的に若返りました。
立石主任・
波島進と藤島主任・
中山昭二のダブル体制から三船主任・
青木義朗や高倉主任・
里見浩太朗の新ダブル体制になった500話台の本作には
鈴木志郎の姿はありません。
鈴木志郎は
波島進や
中山昭二と同時期に「
特別機動捜査隊」を卒業しています。消えた理由は作品の卒業です。作品を去りました。少しそれますが、気になるのは新しいダブル体制の主任の名前です。三船主任は
三船敏郎から高倉主任は
高倉健から名前をとったのではないかと推測しています。三船、高倉の二人は映画で何度か刑事を演じています。
青木義朗は
三船敏郎をイメージして、
里見浩太朗は東映の先輩の
高倉健をイメージして主任刑事役を演じていた部分もあったのか、名前だけかもしれないです。
鈴木志郎はWikipediaが存在していない俳優です。「
特別機動捜査隊」に出演する前は、
高倉健が主演し、監督・
石井輝男のニュー東映(東映の子会社)の映画「花と嵐とギャング」(1961)に出演履歴が残されています。この頃の
高倉健は評価はされていましたが、まだ脇役が多い頃でもあり、1964年に主演として大ブレイクする前の時期です。その後の
鈴木志郎は1964年の「夜の魔性」という成人映画にも出演履歴が残されています。1970年代前半の「
特別機動捜査隊」の卒業以後は、消息が不明な謎の俳優となっています。

「特別機動捜査隊」物語の検証 1961‐1977
「
特別機動捜査隊」は1961年(昭和36年)10月11日にスタートしています。「花と嵐とギャング」の公開は1961年の6月23日とされています。”
鈴木志郎の演じる西本捜一主任”は27話から出演がスタートしています。この時期は1962年の1月過ぎと考えられます。映画「花と嵐とギャング」の公開から半年が経過しており、東映による抜擢が行われています。
当時のテレビドラマは今ほど市民権が得られていない時代でした。まだまだ映画に権力があった時代です。当時の映画俳優たちの多くはテレビドラマという安っぽいものに出演することを敬遠しています。当時はまだ根付いていない分野であり、安っぽいものという考え方がありました。「特別機動捜査隊」の放送開始の当初(1961年)の時点で
波島進は映画でそこそこ活躍していたスターですが、全般的な意味で映画活躍した俳優はまだテレビドラマに出演していない時期でした。そのため、ほぼ無名な俳優たちにもチャンスがあり、鈴木志郎の抜擢も可能だったのでしょう。
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