このころのドラマの数種類あります。今でいうと、大河ドラマやテレビ小説のように、脚本家が全話の脚本を書くドラマとそうではないドラマがありました。大河ドラマも一時期は、数名の脚本家がいる作品もありました。全般的には一人になっています。(前回から続いています)
現代で、わかりやすくいいますと、「
相棒シリーズ」などの連続の刑事ドラマ作品は脚本が何人もいます。「
シークレット部隊」は、今でいうとこちらに近いということになります。東映のドラマは、東映の最初の刑事ドラマシリーズ「
特別機動捜査隊」の頃から、現代劇も時代劇、ほとんどが一人で全話の脚本ということはなく、
宇津井健が主演の役割の「シークレット部隊」のように数名は最低限いる作品が多いです。
しかし一人で脚本を任された異例の人物も存在します。有名どころでは、ドラがたびたび名前を出している
結束信二(けっそくしんじ)という人(東映の時代劇の映画で160作に迫る脚本を手がけ、連続ドラマ時代劇でもいくつかの代表作がある名脚本家)

結束信二は、ドラマでは、名作「
新撰組血風録(1965)」や今観ても革命的秀作である「
俺は用心棒シリーズ」(1967~1969)、用心棒シリーズの外伝的要素がある「
天を斬る」(1970)、名作・秀作ともいわれる新撰組の「
燃えよ剣」(1971)などを残しました。
俺は用心棒シリーズは第1シリーズが「俺は用心棒」であることから「俺は」をつけて、
黒澤明監督の「用心棒2部作」(「
用心棒(1961)」、「
椿三十郎(1962)」)との差別化してるところもあります。両方見ていますが、内容は全然似ていません。超大俳優の
片岡千恵蔵の主演映画で1950年公開「
俺は用心棒(1950)」脚本・
伊丹万作、監督・
稲垣浩、音楽・
伊福部昭撮影・
伊藤武夫製作者・
マキノ光雄という豪華なメンバーで制作された東横映画の(のちの東映)映画があります。製作が同じ東映でもあることからも、これとも関連があるとも言われています。
結束信二は今でいえば、悪いとは言いませんが、タレントも兼任している
三谷幸喜や
宮藤官九郎のように顔とかテレビに出しません。人前でニヤニヤ笑いません。時代上、出てくれというのが恐れ多い脚本家でもあったんです。結束信二は本当の脚本家でもありました。話すと長くなるのですが、正直どんな人だったのか、細かくは謎の人なんです。でも、それがまたいいんです。手がけたドラマを見てるとわかりますが、連続ドラマをトータルで考えてバランスの違いも付ける脚本家でもあり、パターンも持たせつつ、引き出しの多さは異常です。映画を約160作を手がけてる人は図抜けてるということです。

当時は、脚本家が今のようにテレビに出る時代ではなかったし、今のようにネットや雑誌にインタビューやコメントが簡単に載らない時代が全盛期であった事実。全盛期は作品を通して
視聴者と脚本家つながっていたんです。これも全盛期のドラマならではの楽しさです。
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