ドラのいつどこでも ドラマ思想展開

 「おはよう~こんにちわ!こんばんわ!おやすなさい~」なチワワなドラ10年以上前くらいからCS(スカパー)でドラマ見てます。かなりの作品500タイトル以上観てきました。1960年代~70年代のドラマが特に好きです。

伝説のテレビドラマ『琴姫七変化』で活躍した男女の真相





1959年の日本電波映画株式会社と日本映画界の黄金期の逆強



日本電波映画株式会社が創立したこの1959年は日本映画界が最大の黄金期といわれる7年連続、観客動員が8億人以上の真っ只中でした。また3度目の10億人を記録した年でした。両御大を中心とした若手スターの活躍で時代劇の東映が1956年から4年連続で1位、現代劇の若者路線の日活が初の2位を獲得しました。

日活はこのときの2位が最高順位でした。その後は1960年代の全般は東映と東宝が首位争いを繰り広げていきますが、松本常保日本電波映画株式会社は1959年の時点、映画界からするとテレビドラマは陽の目を受けることがあまりない状況であり、大きな逆強の中で歩み出したのです。


映画黄金期の思い出―私の交友録
田中絹代、高峰三枝子や清水宏は誰が知るほどの有名な人物ですが、ほかはかなりの通心をくすぐる名前がずらりの中、
佐々木啓祐があり、彼は松竹の知る人ぞ知る監督です。




わかりやすいえくらん社の枝分かれの流れ


                
えくらん社(映画製作の会社 1949年) 
        
   ↓  ↓1959年に枝分かれ、1と2の2つに分れる
1、日本電波映画(テレビ・映画製作の会社)
2、エクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)

松本常保によるえくらん社は1949年に創立し、日本電波映画とエクラン社に枝分れしました。
その後、松本常保日本電波映画でテレビドラマを製作していきました。


*当時はテレビドラマをテレビ映画とも言う




日本のテレビドラマの初期を代表する作品の一つ 琴姫七変化


日本電波映画の多くのテレビドラマは日本テレビ系で放送されている作品が大半を占めていた部分も特徴です。日本電波映画といえば、美空ひばりの主題歌でも知られる同名曲の柔は、『柔(1964)』(1964~1965)の主題歌で使用されたことでも有名作ですが、日本電波映画のテレビドラマ制作の草分けとして流れを切り開いた作品『琴姫七変化』(1960~1961)は重要なテレビドラマでした。


柔 (MEG-CD)
当時のバージョンが一番説、わたくしこと、ドラも唱えていたりします。




琴姫七変化』はテレビドラマがスタートした初期の代表作の一つであり、時代劇ドラマでした。放送当時は1958年の『月光仮面』などと含めて、初期のテレビドラマのヒット作の一つに数えられる作品であり、松本常保の日本電波映画株式会社が製作していました。

ドラは『琴姫七変化』もほとんど見たことがあり、全105話の全話数が現存していたものと記憶しています。CS放送で放送された2000年代の前半に放送された全話数をビデオに録画していました。日本電波映画は松竹と関わりがある会社であり、著作権は松竹が所有している作品のようです。その証拠の一つとして、2000年代前半に『琴姫七変化』が放送されたホームドラマチャンネルは松竹のCSチャンネルの一つです。




琴姫を演じた松山容子と相手役で出演した松本錦四郎



主役の琴姫を演じた松山容子という女優がこの作品で知られ、ある種のスターとなって、有名なボンカレーのCMなどで起用されました。デビュー当時は松竹映画で松山清子の名義で活動していました。

ですが、その後の女優としても活動をしていきますが大きな代表作にはあまり恵まれずに、出世作の『琴姫七変化』が生涯の最大の代表作となってしまいました。


『琴姫七変化』は松本錦四郎という俳優も相手役で出演していました。松本錦四郎は松竹映画を中心に活動&売り出していた若手俳優でしたが、映画ではあまりブレイクせずにテレビドラマへ新しい活躍の場を移してきた俳優です。松本錦四郎の出演映画はここ数年で数作を視聴していますが、演技や癖に特徴がなく、残念ながら若い以外の部分に個性や魅力を見出すことはできませんでした。

松本錦四郎は松竹の時代劇映画でデビューしたため、歌舞伎俳優を思わせる芸名であるだけで、歌舞伎俳優の松本幸四郎とは別人です。

甦るヒーローライブラリー 第7集 ~ヒロイン編~ 琴姫七変化 HDリマスターDVD-BOX  Part1
TCエンタテインメント (2014-02-28)
売り上げランキング: 62,077
『琴姫七変化』はドラマファンなら観ておきたいタイトルです。



裏通りも公開しました。↓↓ ・エクラン演技集団4人衆と時代劇の未来について裏展開
エクラン演技集団4人衆と海外にも誇れる文化 時代劇の未来のため

姉妹サイト↓ ↓テレビが伝えない芸能や映画に迫る、こちらもよければご覧ください。
国民栄誉賞は過大評価!! 日本映画最大の黄金期の片岡千恵蔵VS長谷川一夫の7ラウンド勝負

高倉健が10年連続主演×作に到達しなかった原因 そびえ立つ大山脈
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : えくらん社, 柔(1964), 月光仮面, 松本常保, 日本電波映画, , 琴姫七変化, 松本錦四郎, 松本幸四郎, 松山清子,

[ 2017/04/29 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男





渡辺邦男が映画監督としての烙印を押された大きな原因


1950年代の後半から本格的にテレビ放送がスタートし、番組制作の延長でテレビドラマを作っていた製作者と映画からテレビドラマの製作を行うことが求められた製作者たちの競い合いが生まれていきました。渡辺邦男も映画監督としてはある意味の烙印を押されてしまったと言われています。その理由は悪循環でした。


渡辺邦男の黄金期の1000万人ヒットは2作であり、1000万人ヒットの数は松田定次と比べると大きく劣りますが、安定した作品を手がける能力を持ち合わせていました。それでも安定感をぶち壊すほどのめまぐるしい変化が起こります。

1960年代に入ると大ヒット作が減少、映画業界全体の観客動員の急減、同時に1950年代から1960年代に掛けての大きな実積から給料が膨大に跳ね上がっていたことも、渡辺邦男が映画界から烙印を押された大きな原因だといわれています。映画会社側にとってヒットの減少と高額給料は大きな負担のかかる要因となっていきました。


日本映画黄金期の影武者たち渡辺邦男も影響を受けた影武者たち



急激な変化が追い風、上手いが高いベテランよりもある程度の安い若手


膨大な給料を払うなら、ある程度の能力を持つ若手にチャンスを与えようと映画会社側は考えた理由です。渡辺邦男や他のベテラン監督らは映画界を解放され、表向きは若手にチャンスを譲って再スタートを図るために新しい分野のテレビドラマへ踏み出しました。当時はテレビ映画という言葉が使われていましたが、その後のテレビドラマといわれている年数が圧倒的に長いため、後者を採用していきます。

渡辺邦男は10作以上で長年コンビを組んだ俳優の1人、美空ひばりの主演映画『民謡の旅 秋田おばこ』(1963年公開)を最後に東映を離れました。その後、たどり着いた先のテレビ製作会社でドラマの監督や監修を手がけることとなります。

DVD民謡の旅シリーズ(4) 青森の唄とおどり(カセットテープ付き)
*『民謡の旅 秋田おばこ』は商品化されていないため、写真はイメージです。




知られざる美空ひばりの真実 世界ナンバーワン女優の真相


美空ひばりはテレビやラジオなどのメディアで多くの場合、国民的な歌手として取り上げられることが多いですが、女優としても1949年から1970年代の前半までの黄金期の映画界を中核として160作以上に出演しました。出演数の割には代表作はあまり多くありませんが主演数は110作強、ヒロイン数は135作ほど、戦後の映画女優では共に世界ナンバーワン主演数です。

存命の映画出演55年強の吉永小百合のヒロイン数が95作ほどです。40作も差が存在しているわけであり、いかに美空ひばりが膨大な主演をしたのかが伺い知れます。

美空ひばり メモリアルBOX [DVD]



渡辺邦男=日本電波映画株式会社松本常保


渡辺邦男が日本電波映画株式会社で出会ったのが松本常保という人物でした。実はこの二人はこの日本電波映画株式会社のドラマ時代以前の1950年代から知り合いでした。その映画時代以来の共同制作をドラマで行うことになりました。映画時代のつながりがあったからこそ、渡辺邦男は日本電波映画株式会社へやってきたのでしょう。



最新裏側リンク⇒メディアが取り上げない巨匠・佐々木康がテレビドラマに至るまでの大きな貢献の数々



松本常保の主な活動と「えくらん社」の存在


松本常保は戦前から映画関係者としての経験を積んだと伝えられています。戦後の1948年に映画製作や俳優養成を目的に「えくらん社」として設立していました。えくらん社による映画作品は4作のみで挫折してしまいましたが、えくらん社は残しながら新東宝の映画製作者として活動、「すがお集団」を立ち上げて主宰するものの、2作の映画のみの製作に留まりました。


えくらん社は1959年から2つに枝分かれしていました。えくらん社の俳優養成はエクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)
として残りましたが、映画制作部門は日本電波映画株式会社として生まれ変わることとなります。その後の松本常保はテレビドラマを中心として製作会社映画界から主に遠ざかることとなります。


あばれ行燈 [DVD]  STD-103
あばれ行燈 [DVD] STD-103
posted with amazlet at 17.03.26
新東宝映画 オフィスワイケー (2008-01-11)
売り上げランキング: 21,917
1956年の『あばれ行燈』は渡辺邦男(監督)と松本常保(製作=プロデューサー)の映画時代のコンビ作です。


にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 美空ひばり, 吉永小百合, 松本常保, 渡辺邦男, えくらん社, 日本電波映画株式会社, 松田定次, 民謡の旅, すがお集団, あばれ行燈,

[ 2017/03/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

4大巨匠へ襲いかかるテレビドラマの荒波と砂嵐



テレビVS映画の図式が招いた悲劇の始まり


かつて『柔』、『続柔』、『柔道水滸伝』、『姿三四郎」などの柔道を題材としたテレビドラマが1960年代から1970年代の前半を中心に存在していました。映画界の巨匠・渡辺邦男がテレビドラマで監督や監修で制作へ参加した作品たちです。渡辺邦男がテレにドラマに進出した理由には”やむを得ない”部分が存在していました。



1960年代はテレビドラマの形成に大きな役割を成した時期でした。テレビドラマ自体は1950年代からも作られていましたが、1960年代の中盤くらいまでは映画に劣る分野という認識が大きかったと多くの映画関係者の証言から判断できます。そのため映画関係者から敬遠させていました。また、石原裕次郎は1970年代の前半の『太陽にほえろ!』に出演するまでは、テレビドラマが”やりたいことができる場”だとは考えていなかったといいます。


テレビVS映画という図式が1960年代には当然のように展開されていました。現代のテレビと映画はWin-Winの関係として定着していますが、当時はまだ互いが客を取り合うためのライバル的な存在が強かったのです。東映も他の映画会社と同時期に映画の観客動員や興行収入の低迷を打開するためにテレビ製作を本格的にさせました。東映はいち早く1960年からの児童向け時代劇『風小僧』や1961年からの刑事もの『特別機動捜査隊』などのテレビドラマを制作していましたが、映画で大きな実積を残した俳優や監督などのテレビ進出は少数でした。


*Win-Winの関係=互いに弱いところを補って良い結果や勝ちが得られる円滑な関係



4大巨匠へ襲い掛かるテレビドラマの荒波と嵐


1960年代の中盤になると東映映画で80作近い主演数を誇る大スターの大川橋蔵が本格的にテレビドラマへの進出を果たしました。このテレビ時代劇『銭形平次』(1966~1984)は全般的に若いスタッフが中心でしたが、時折は巨匠・佐々木康(ささきやすし)などの大ベテランも参加していました。このように映画の巨匠がテレビドラマに参加した経緯には、テレビドラマの製作に乗り出した映画会社や監督たちの苦渋の決断がありました。


1965年からの東映のテレビドラマ製作の本格的な始動は、映画の巨匠たちにある決断を迫りました。4名共が160作以上~270作の映画監督本数、映画の代表作が50作以上のマキノ雅弘佐々木康松田定次渡辺邦男は東映の事実上の4大巨匠でした。


*ほかにも内田吐夢(うちだとむ)や田坂具隆(たさかともたか)などの監督も巨匠がいましたが、この記事では上記の4名を4大巨匠として進行します。




映画プレスシート 大川橋蔵「銭形平次」
アットワンダー
売り上げランキング: 194,782
佐々木康がのちに参加するテレビドラマ『銭形平次』の映画の情報が満載、レアものです。
橋蔵(大川橋蔵)、1960年代に青春スターとして人気を博した舟木(舟木一夫)の初顔合わせが目を引きます。



4大巨匠の明日の行方はどっちだ!


マキノ雅弘高倉健の『日本侠客伝』シリーズ(1964~)の200万人ほどのヒットなどによって、かろうじて監督として東映で映画を撮ることを許されました。1960年代になると観客動員とヒット作が減っていた佐々木康は東映のテレビドラマの製作への道を求められ、承諾したことで東映に残りました。一方、1950年代から1960年代にかけて1000万人ヒットを7作(日本歴代1位)も放った大巨匠の松田定次は、東映側と契約などのさまざまなことで揉めたと考えられますが、東映を離れて、最終的には外部の松竹などのドラマ制作の道へ向かうことになりました。松田定次佐々木康と同様に東映のテレドラマ制作を打診されていたのかもしれません。そして渡辺邦男の行方です。つづく



裏通りリンク⇒裏通り『4大巨匠へ襲い掛かるテレビドラマの荒波と砂嵐』
たった1年2年が運命を左右

にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 渡辺邦男, 大川橋蔵, 銭形平次, 佐々木康, マキノ雅弘, 松田定次, 舟木一夫, 高倉健, 風小僧, 特別機動捜査隊,

[ 2017/02/26 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

歴代で最大のヒットメーカーがテレビドラマの監督をする


歴代でも最大のヒットメーカーがテレビドラマで監督をするときが近づく




テレビドラマへつながる丹下左膳や大岡越前守に貢献した大河内伝次郎渡辺邦男の大きな関わり


⇒前回記事⇒美空ひばりの大ヒット曲・柔のドラマと名作ドラマ・天皇の世紀をつなぐ丹下左膳


前回の記事の丹下左膳や大岡越前守の16作をご覧いただくと気づくかと思いますが、大きな貢献をしているのが渡辺邦男の存在です。山中貞雄の1作ながら大きな存在と言われますが、渡辺邦男は伊藤大輔の5作に次ぐ4作で監督を担当しています。大河内伝次郎が日活で伊藤大輔との30作以上にわたった名コンビを解消して、東宝へ移籍したときにコンビを組んだ監督が渡辺邦男でした。東宝へ移籍する以前の日活時代から、実は渡辺邦男大河内伝次郎は「煩悩秘文書」3部作など5本でコンビ作を形成していました。

大河内伝次郎が東宝に移籍した1936年の翌年の1937年に渡辺邦男は日活から東宝へ続いて呼ばれるかように移籍していたのです。東宝は日活からの数本のコンビ経験が存在した渡辺邦男に目をつけて、作為的に大河内伝次郎とのコンビの形成を仕立てていたとも言えそうです。渡辺邦男にとっても戦前の国民的大スター・大河内伝次郎を任されたわけですから大きな仕事だったことが垣間見れます。



「大河内伝次郎は通産で16度の”丹下左膳”と同時に演じた7度の”大岡越前守”」

下記の茶色部分が渡辺邦男と大河内伝次郎のコンビ部分
作数、公開年  タイトル        ・大河内の役名     監督
1、 1928 「新版大岡政談 第一篇」  ・丹下左膳、大岡越前守① ・伊藤大輔
2、 1928 「新版大岡政談 第二篇」  ・丹下左膳、大岡越前守② ・伊藤大輔
3、 1928 「新版大岡政談 第三篇 解決篇」  ・丹下左膳、大岡越前守③ ・伊藤大輔
4、 1933 「丹下左膳 第一篇 丹下左膳」  ・丹下左膳 ・伊藤大輔
5、 1934 「丹下左膳 剣戟の巻」   ・丹下左膳、大岡越前守④ ・伊藤大輔
6、 1935 「丹下左膳余話 百万両の壺」   ・丹下左膳 ・山中貞雄
7、 1936 「丹下左膳 日光の巻」    ・丹下左膳、大岡越前守⑤ ・渡辺邦男
8、1937 「丹下左膳 愛憎魔剣篇」   ・丹下左膳、大岡越前守⑥ ・渡辺邦男
9、1937 「丹下左膳 完結咆吼篇」   ・丹下左膳、大岡越前守⑦ ・渡辺邦男
10、1938 「新篇 丹下左膳 妖刀篇」   ・丹下左膳、千葉周作 ・渡辺邦男

11、1939 「新篇 丹下左膳 隻手篇」   ・丹下左膳、千葉周作 ・山本薩夫
12、1939 「新篇 丹下左膳 隻眼の巻」    ・丹下左膳 ・中川信夫
13、1940 「新篇 丹下左膳 恋車の巻」    ・丹下左膳  ・中川信夫
14、1953 「丹下左膳(1953)」  ・丹下左膳   ・マキノ雅弘
15、1953 「続丹下左膳」  ・丹下左膳   ・マキノ雅弘
16、1954 「丹下左膳 こけ猿の壺」 ・丹下左膳  ・三隅研次


映画で丹下左膳と同時に大岡越前守を代表的な役とした大河内伝次郎や渡辺邦男の丹下左膳と大岡越前守が数多くテレビ時代も多くの映像化されているところから、テレビドラマへ多大な影響を与えていることがわかります。




日本映画で上位のヒットメーカー渡辺邦男


渡辺邦男は総監督を勤めた嵐寛寿郎の「明治天皇と日露大戦争」(新東宝、1957公開)と長谷川一夫の「忠臣蔵(1958)」(大映)の2作(両作ともオールスター)を残したことでも知られています。「忠臣蔵(1958)」は2000万人ほど、「明治天皇と日露大戦争」は2500万人以上を動員したのではないだろうかと考えられています。、「明治天皇と日露大戦争」の観客動員では歴代でナンバーワンです。これが事実ならば、あの宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を上回る観客動員数です。

渡辺邦男はは監督デビューを果たした1928年から通産で230作以上の映画監督を務め、戦前から多数のヒット作を生み出し、戦後の映画の黄金期の形成にも大きく尽力しました。また、戦後の年間ベストテンへランクインすることのなかった、数百万人ヒットも多く手がけたと言われています。

前回も書いていますが、大河内伝次郎や片岡千恵蔵や長谷川一夫、市川右太衛門、美空ひばり、榎本健一、岡譲二ら多数の映画スターとコンビを組みました。大スターとの監督本数は歴代でも上位の数です。




6年連続で8億人の時に現代劇と時代劇映画で観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは渡辺邦男だけ



さらにテレビドラマから反れてしまいますが、東映のナンバーワンといわれた監督・松田定次は渡辺邦男よりも多くの1500万人作を多く残していますが、そのすべてが時代劇映画でした。驚くことに1956年から1961年までの6年連続で8億人の時に、観客動員1500万人以上のヒット作を記録したのは現代劇と時代劇の両方では監督・渡辺邦男だけでした。

例えば当時の1000万人と現在の1000万人の到達はそのまま同じではありません。500万人ヒットが年に数十作もあった黄金期の当時と、2016年の「君の名は。」と「シン・ゴジラ」の2本のみではレベルが異なりすぎて比較は困難でしょう。さらに現在はヒット作や一般映画が極端に少ないため、テレビやSNSによって上位の話題作へ客足が集中しやすい場合やマスコミが総出で大きく宣伝活動を行うことで、上位に更なる観客動員が集中しています。

現代は、渡辺邦男が6年連続で8億人を記録した時に観客動員1500万人以上のヒット作を残した頃とは大きく異なり、年間で400作台から500作以上の一般映画が公開されていました。巨匠、名匠、大スターが数十名存在した当時の高い競争力の中で多くの人数を記録していることの方が、現代に人数を記録することよりも困難です。現在の日本映画はポルノ映画やB級映画の方が一般映画の数を上回っている状況です。

ここでは観客動員のことを取り上げましたが、映画も観客動員で内容の良し悪しは決まりませんし、テレビドラマの視聴率の高い低いだけでは判断できません。ですが、極端に観客動員が少ないことや視聴率が低すぎるのは大きな問題点です。


丹下左膳
丹下左膳
posted with amazlet at 17.01.26
Beaglee (2016-11-25)
大河内伝次郎と渡辺邦男がコンビを組んだ丹下左膳が
漫画家・小澤さとるによって、漫画として登場していたことに驚かされました。
2016年11月25日から取り扱いされているようです。



日本映画上位のヒットメーカー・渡辺邦男が映画からテレビドラマの旅路へ向かうとき


渡辺邦男が戦後に多く監督をしていた東映や大映の観客動員も年間で1億人を切るほどになったときに、大映を1962年、東映を1963年に後にします。そのときたどり着いたのが日本電波映画社でした。

日本電波映画社は松本常保という人物が創立し、現在の見れる作品という面ではテレビドラマを中心に多くの作品を残していきました。渡辺邦男と松本常保には意外な関わりが存在しています。     つづく・・


裏通りブログも公開、現在はこれ↓ ↓
沢島忠「”映画界の天皇”とも言われていた」~歴代ヒットメーカーがドラマの監督をするの裏通り

その前も残します↓ ↓
悲壮美と死相美 忠臣蔵の浅野内匠頭悲壮美でも活躍した俳優3名に迫る。



にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 渡辺邦男, 大河内伝次郎, 観客動員1500万人, 千と千尋の神隠し, シン・ゴジラ, 宮崎駿, 片岡千恵蔵, 松田定次, 君の名は。,

[ 2017/01/26 19:20 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

テレビドラマと映画のカンケイに遠山の金さんの桜吹雪がグランドクロスするとき

~テレビドラマと映画のカンケイに遠山の金さんの桜吹雪がグランドクロスするとき~

堀雄二といえば、息子が声優や俳優などの活動をしています。特に堀秀行は声優で代表作があり、テレビアニメの代表作と役柄が存在しています。わたくしドラはドラマ、映画はもちろんアニメファンでもあって視聴済みですが、「聖闘士星矢」のフェニックス一輝、「魁!!男塾」の剣桃太郎の二つは声で演じた代表的なキャラクターといえます。

不思議なことに、この「聖闘士星矢」「魁!!男塾」は2作とも父親である堀雄二が「警視庁物語シリーズ」などの多数の映画で世話になった、東映の制作によるテレビアニメです。言うまでもなく、これは偶然であり必然(クロス1)です。

今回もドラマと映画の関係で進行していこうと思います。”なぜドラマブログで映画の話なのか”と思われる方もいらっしゃると思われますが、日本のテレビドラマの黄金期は、映画の黄金期の影響が絶大からです。俳優や製作者、特に東映は映画の流れをテレビドラマに受け流した要素が多数存在しています。だから日本の黄金期のドラマのことをちゃんと話すと映画とのつながり(クロス2)を絶つことは難しくなります。

テレビドラマの忠臣蔵、水戸黄門も大岡越前、遠山の金さん、新撰組、探偵、刑事の題材は東映の映画時代の流れや影響などが、大きな関わりがあります。東映の映画からテレビドラマにつながったところが大きい特徴が存在しています。特に水戸黄門(戦後は14作の月形龍之介)も大岡越前(戦後は市川右太衛門、月形龍之介などが東映で数度)、旗本退屈男(市川右太衛門のみで東映で21作)、特に片岡千恵蔵の存在は絶大といえます。

忠臣蔵(出演23作以上で歴代最長の35年の主演・片岡千恵蔵、戦後11で東映で10作)、遠山の金さん(歴代最多・通算19作、東映で18作・片岡千恵蔵)、新撰組(東映で戦後最多7作の主演・片岡千恵蔵)、探偵(金田一、多羅尾伴内であわせて22作ほどの探偵最多・片岡千恵蔵)、刑事(戦後初めてヒットした刑事映画シリーズのにっぽんGメン、地獄シリーズで片岡千恵蔵

千恵蔵の新撰組⇒「近藤勇が現代によみがえる」大俳優はそれも背負い続けた。

遠山の金さん~火の玉奉行~ [VHS]千恵蔵の「火の玉奉行」は遠山金四郎役の通算では14作目、東映版のいれずみ判官(遠山金四郎)シリーズでは、通算13作目に該当します。千恵蔵の遠山は、CSでは10作ほどが放送されており、個人的にはブルーレイディスクに全て録画しています。VHSの魅力もありますが、DVDは残念ながら発売されていません。個人的には遠山といえば、映画は千恵蔵、ドラマは中村梅之助で、2番手は杉良太郎という判断をしています。

2016年5月上旬のCS放送の時代劇専門チャンネルにさだまさしが出演していました。さだまさしの進行による「遠山の金さん」の特番で、片岡千恵蔵の話を取り上げていました。遠山の金さんこと遠山金四郎が裁きで桜吹雪の刺青を見せるシーンは、片岡千恵蔵が映画の見せ場として自らが考えたと話していました。

この映画の名シーンは、テレビドラマの「遠山の金さん」の題材にも長年にわたって引き継がれています。(クロス3)片岡千恵蔵の遠山の金さん役の映画は戦前から戦後にかけて、1938年の「弥次喜多道中記」から1962年の「さくら判官」まで、通算24年間で19作の主演作が作られています。

ちょっとというか、「特別機動捜査隊」からはだいぶそれましたが、大切な映画とドラマがクロスする部分です。残念ながら、堀雄二という名優は現在においては、ちゃんと評価されていない部分がある人物です。映画「警視庁物語シリーズ」とテレビドラマ「七人の刑事シリーズ」は日本の刑事作品を代表する作品であり、紛れもない出演の代表作となる2つです。

映画「警視庁物語シリーズ」は、のちに作られるテレビドラマ「特別機動捜査隊」や「七人の刑事シリーズ」など多数の日本の刑事ドラマに結果的にも含めて影響を与えているからです。堀雄二に関しても上記の”なぜドラマブログで映画の話なのか”とも関わりがあります。映画からテレビドラマへの流れを知ることでドラマの新しい魅力にもつながるはずです。

実説・遠山の金さん―名町奉行 遠山左衛門尉景元の生涯
大川内 洋士
近代文芸社
売り上げランキング: 838,743


ちなみに片岡千恵蔵と堀雄二は東映の時代劇と現代劇の映画と東映のテレビドラマの「大岡越前」の1~2部でも共演(クロス4)しています。

にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 遠山の金さん, , 堀雄二, 堀秀行, 聖闘士星矢, 魁!!男塾, 特別機動捜査隊, 水戸黄門, さだまさし, 片岡千恵蔵,

[ 2016/05/26 20:53 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

THE刑事俳優の存在と「特別機動捜査隊」「七人の刑事」への激震影響

映画「警視庁物語シリーズ」には長田刑事という役名の刑事が作品には登場しています。この役柄を全24作を通してシリーズを兼任した俳優が堀雄二です。「警視庁物語シリーズ」の出演を特に大きな代表作にしている名優です。全24作に唯一出演していますが、3作目から昇進によって長田部長刑事に役柄が変わります。

24作についてはこちらをご覧ください⇒ 大ヒット作「特別機動捜査隊」と東映の歴代最多の刑事映画や奥深き脇役俳優の良縁

堀雄二は映画時代は新東宝でデビューして、一時的に大映に在籍していましたが、1954年に東映に移籍して、ついに大きな代表作や役柄に恵まれます。「警視庁物語シリーズ」などの刑事役です。堀雄二東映の映画だけでも、ドラの確認では最低でも30作ほどの刑事役(主演、助演)を演じており、歴代の東映の映画では最多数といえます。ドラが確認してる限りでは”堀雄二が歴代の日本映画の中で、一番多くの刑事役を演じている”ものと考えています。(*端役は除く)

堀雄二は映画に関していえば、数を多く演じているという意味ではTHE刑事俳優ともいえるでしょう。

堀雄二は映画だけではなく、テレビドラマでも刑事と縁がありました。「七人の刑事」シリーズの赤木係長を演じ、芦田伸介と共に長年にわたって出演し、テレビドラマの代表作にしています。また、時代劇ドラマでは「大岡越前」の初期シリーズの1部と2部に大岡忠相(大岡越前)の妻となる、雪絵の父親役・吉本作左ヱ門で出演しており、これも印象に残っています。

東映・NET(現テレビ朝日)の制作の「特別機動捜査隊」とTBSの制作の「七人の刑事」シリーズは、1961年から70年代にかけて10年以上の期間で同時期に放送されていた刑事ドラマのライバル同士でした。堀雄二は映画時代に世話になった東映に背を向けて彼は、TBS制作の「七人の刑事」シリーズに出演を続けました。ある意味、ライバルがライバルを育てた部分もあったのではないでしょうか。

大岡越前 第一部 [DVD]
大岡越前 第一部 [DVD]
posted with amazlet at 16.04.27
竹書房 (2006-03-24)
売り上げランキング: 51,817
堀雄二を見ることができる、数少ない商品化されているドラマ

この二作は互いに高視聴率を獲得した刑事ドラマですが、「特別機動捜査隊」の出演者やスタッフは、「七人の刑事」の出演者やスタッフを意識して、より良いものを作ろうと尽力した。「七人の刑事」側も「特別機動捜査隊」を意識して、長くなるのでここでは説明は避けますが、、さまざまな内容的な違いを工夫した刑事ドラマに仕上げていきました。

つまり堀雄二は、刑事映画「警視庁物語シリーズ」で刑事ドラマ特別機動捜査隊」への流れに関与しただけではなく、刑事ドラマ七人の刑事」シリーズに出演して、ライバルとして、「特別機動捜査隊」も影響を与え続けたということもいえるかと考えられます。ダブルで「特別機動捜査隊」の形成に関与していた事実が判明しています。
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : THE刑事俳優, 特別機動捜査隊, 七人の刑事, 堀雄二, 警視庁物語, 大岡越前, , 刑事ドラマ, 高視聴率, 東映,

[ 2016/04/27 18:59 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

大ヒット作「特別機動捜査隊」と東映の歴代最多の刑事映画や奥深き脇役俳優の良縁

特別機動捜査隊」は最盛期には30パーセント以上の視聴率を何度も記録した作品といわれていますが、このテレビドラマは主役という概念が薄めである点も特徴です。

特別機動捜査隊」は映画「警視庁物語シリーズ」の影響を作風に色濃く残しています。カラー制作や放送になってからはモノクロの頃よりはその影響は薄れつつありますが、300話付近までのモノクロの時期の「特別機動捜査隊」に影響を与えたのが東映が映画の全盛時代に製作したのが「警視庁物語シリーズ」です。

警視庁物語シリーズ」は1950年代にスマシュヒットして、話題となり1956年から1964年までの8年間で通算24作が制作されています。”同じ俳優が出演している東映の歴代映画の中の実写作の最多数”です。同じ俳優とは堀雄二のことです。戦後の10年以内における最多公開本数がこのシリーズであり、「警視庁物語シリーズ」は小さめな記録ですが世界記録を持っています。

警視庁物語シリーズ」(全24作・1956~1964年)
1956「警視庁物語 逃亡五分前」
1956「警視庁物語 魔の最終列車」
1956「警視庁物語 追跡七十三時間」
1957「警視庁物語 白昼魔」
1957「警視庁物語 上野発五時三十五分」
5
1957「警視庁物語 夜の野獣」
1958「警視庁物語 七人の追跡者」
1958「警視庁物語 魔の伝言板」
1959「警視庁物語 顔のない女」
1959「警視庁物語 一〇八号車」
10
1959「警視庁物語 遺留品なし」
1960「警視庁物語 深夜の130列車」
1960「警視庁物語 血液型の秘密」
1960「警視庁物語 聞き込み」
1961「警視庁物語 不在証明」
15
1961「警視庁物語 十五才の女」
1961「警視庁物語 十二人の刑事」
1962「警視庁物語 謎の赤電話」
1962「警視庁物語 19号埋立地」
1963「警視庁物語 ウラ付け捜査」
20
1963「警視庁物語 全国縦断捜査」
1963「警視庁物語 十代の足どり」
1964「警視庁物語 自供」
1964「警視庁物語 行方不明」
24

23作が東映東京の製作であり、17作目のみがニュー東映東京が製作。ドラは24作のうちのほとんどの作品を録画していますが、24作のうち数作がCS放送が行われずに映画ファンでもあるドラとしては悩みの種です。

「警視庁物語シリーズ」は中篇映画(約1時間ほどの上映時間の映画)です。今は中編という”編”の漢字を活用しますが、当時はまだ中篇も”篇”と書いているのが基本でした。当時の映画やドラマを見ているといくつかの漢字が時代の経過によって変化してきたことも知ることができます。

映画の「警視庁物語シリーズ」は2作ごとに監督が変更されています。これは2作を続けて撮影しているからであり、2作ごとに出演している刑事やゲストが交代する場合があります。たとえば、初期は今井俊二(のちの今井健二)が序盤のみ、千葉真一が終盤のシリーズのみに出演していたりなど、刑事ドラマの刑事が一定の話数から話数まで出演するという概念に関しても、「警視庁物語シリーズ」から「特別機動捜査隊」に引き継がれています。その後の東映の数多くの刑事ドラマにや他の刑事ドラマなどのも引き継がれていきます。



特別機動捜査隊」には同じゲスト俳優が何度も出演しています。東映だけではなく当時の多くの1話完結ドラマの全般的な特徴ですが、たとえば、林寛という俳優が300話に出演したとしたら、315話にも出演するなどです。ローテーション的な要素があります。1度出演していると比較的に近くの話数で、もう一度出演するというケースが存在しており、2話数分を同期間に撮影していることも考えられます。林寛は「特別機動捜査隊」に何度も出演しておりここでは例に挙げています。

林寛(はやしひろし)は戦前から活動はしていますが戦後の印象が強く、1950年代から1960年代前半の日本映画黄金期の日活、松竹、東宝、大映、東映の大手5社(左から創立順)に次ぐ、6社目の映画会社といわれた新東宝という映画会社で活躍した脇役が中心の名俳優でした。

新東宝時代はスターもの、娯楽映画の巨匠・渡辺邦男、時代劇・怪談映画の中川信夫やアクション、異色映画などの石井輝男などの監督作、丸根賛太郎や並木鏡太郎などの時代劇映画が中心の名監督の作品にも出演しています。映画出演本数はそれほど多くはなく60本ほどが確認できます。出演数以上に異色作が多く、異様に濃い印象を残しています。

巨匠・渡辺邦男に関して、興味ある方はご覧ください⇒歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠

林寛という名俳優は「特別機動捜査隊」では脇役で多く出演しています。映画の実積を知って、脇役目線で視聴する刑事ドラマは別な面白さを生み出してくれます。
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 警視庁物語, 特別機動捜査隊, 林寛, 東映, 新東宝, 堀雄二, 千葉真一, 刑事ドラマ, 中川信夫, 石井輝男,

[ 2016/03/27 22:11 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

時代劇・水戸黄門と現代劇・特別機動捜査隊に衝撃の関与。佐々木助三郎と刑事を1週間に演じた男


前回の「盟友と消え行く。消えた捜査一主任の謎と新ダブル体制」の新ダブル体制とはいっても基本的には青木義朗の出番が多めです。たとえでいうとわかりやすいと思うので活用させていただきますが、数話に1度くらいの頻度で里見浩太朗の演じる捜査主任が捜査を行う話数があります。

もちろん、5話に一度というのはたとえなので、3話ぶりや7話に登場する場合もあります。波島進中山昭二にゆる体制のときと基本は同じです。この体制で話数が作られていたころも波島進の演じる捜査主任の出番が基本であり、数話に1度などで中山昭二の演じる捜査主任が登場して捜査しています。登場頻度があえて均等に近くない部分も特別機動捜査隊の特徴といえるでしょう。

個人的にはこの2組で4名は捜査担当(登場話数)の割合は
7対3ほどの割合であると考えています。
      ↓      ↓
7割の立石主任・波島進→三船主任・青木義朗
3割の藤島主任・中山昭二→高倉主任・里見浩太朗
      または、↓
約500話まで、7割の立石主任・波島進、3割の藤島主任・中山昭二
約500話以降、三船主任・青木義朗、3割の高倉主任・里見浩太朗

という形↑で、引き継いでいると考えられます。たとえでいうと、501話から510話までだとしたら、青木義朗は7話分の捜査主任で登場する話数があり、里見浩太朗の捜査主任は3話分の担当話数に留まるということになります。ちょっと複雑ですが、この説明がなんとなくでも伝わっていたらうれしいです。

里見浩太朗といえば、当時は同時期に東野英治郎の主演による水戸黄門にも出演しています。提供の関連から「ナショナル劇場 水戸黄門」とも言われています。この水戸黄門の東映版は第1、2部の佐々木助三郎は杉良太郎であり、里見浩太朗は第3部以降からの佐々木助三郎を引き継ぐ形で出演しています。この水戸黄門と特別機動捜査隊には意外な関わりがあります。

里見浩太朗の特別機動捜査隊の場合は毎回の出演ではありませんが、東映の大先輩である片岡千恵蔵は映画ですが、東映の現代劇の東京の撮影と時代劇の京都の撮影を主演スターとして、12年以上にわたって行き来しています。里見浩太朗の意識はしていないはずですが、自然と大先輩の影響を受けていたともいえるのかもしれません。

上記の里見浩太朗が日本テレビのスペシャルドラマで主演した忠臣蔵です。演じた大石内蔵之助、大先輩の片岡千恵蔵は映画で5作を演じています。片岡千恵蔵は忠臣蔵の題材を長年で牽引してきた俳優です。映画で35年にわたって、戦前から討ち入りのある本伝や関連作に22作も出演、主演は1930~1963年にわたって20作があります。

片岡千恵蔵の忠臣蔵に関しては映画ブログの方に詳しく書いているので興味ある場合はご覧ください→映画4つの時代(サイレント~戦前音声付~戦中~戦後カラー作)で、ただ一人の大スター。(主演18になっていますが、20です。近いうちに諸々のデータを更新予定)

里見浩太朗は水戸黄門と特別機動捜査隊の両作品を掛け持ちしてる時期があります。撮影期間と放送期間という意味においても掛け持ちになっています。この両作に出演している1971年以降は、同じ週に里見浩太朗が登場しています。TBS系列の里見浩太朗は佐々木助三郎、NET系列(現・テレビ朝日)では捜査主任の高倉刑事で姿を現しています。

水戸黄門の初期の頃は基本として、2クールの半年分から3クールの9ヶ月の範囲で一区切りとなるため、次の部までの休止の期間に、特別機動捜査隊の出演の半年分を撮影している可能性もあります。でも、可能性が低いことだと考えています。半年や数ヶ月寝かしておくことは映画ではないドラマであるので考えがたいことのようです。

特別機動捜査隊は1977年まで続いています。水戸黄門とは約6年ほどの期間で重複しています。つまり、同じ週に2作の撮影をしてこともあったのではないでしょうか。ドラマで長期間にわたって”佐々木助三郎と刑事を1週間に演じた男”ということも考えられます。 にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : , 波島進, 中山昭二, 青木義朗, 里見浩太朗, 島宇志夫, 片岡千恵蔵, 水戸黄門, 東野英治郎, 佐々木助三郎,

[ 2016/02/27 17:01 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

盟友と消え行く捜査一主任。消えた謎と新ダブル体制


鈴木志郎が姿を消した原因には「特別機動捜査隊」は500話台に突入し、オープニングもカラーになった直後以来に変更されたことも関連があります。これと同時に出演者にも大幅な変更がありました。伊沢一郎は評価を得ていることも多少は影響しているのでしょう。伊沢一郎は500話以降も継続して出演していますが、畑野刑事・宗方勝己や水木刑事・水木襄などの刑事も登場して出演者も全体的に若返りました。

立石主任・波島進と藤島主任・中山昭二のダブル体制から三船主任・青木義朗や高倉主任・里見浩太朗の新ダブル体制になった500話台の本作には鈴木志郎の姿はありません。

鈴木志郎波島進中山昭二と同時期に「特別機動捜査隊」を卒業しています。消えた理由は作品の卒業です。作品を去りました。少しそれますが、気になるのは新しいダブル体制の主任の名前です。三船主任は三船敏郎から高倉主任は高倉健から名前をとったのではないかと推測しています。三船、高倉の二人は映画で何度か刑事を演じています。青木義朗三船敏郎をイメージして、里見浩太朗は東映の先輩の高倉健をイメージして主任刑事役を演じていた部分もあったのか、名前だけかもしれないです。

鈴木志郎はWikipediaが存在していない俳優です。「特別機動捜査隊」に出演する前は、高倉健が主演し、監督・石井輝男のニュー東映(東映の子会社)の映画「花と嵐とギャング」(1961)に出演履歴が残されています。この頃の高倉健は評価はされていましたが、まだ脇役が多い頃でもあり、1964年に主演として大ブレイクする前の時期です。その後の鈴木志郎は1964年の「夜の魔性」という成人映画にも出演履歴が残されています。1970年代前半の「特別機動捜査隊」の卒業以後は、消息が不明な謎の俳優となっています。

「特別機動捜査隊」物語の検証 1961‐1977

特別機動捜査隊」は1961年(昭和36年)10月11日にスタートしています。「花と嵐とギャング」の公開は1961年の6月23日とされています。”鈴木志郎の演じる西本捜一主任”は27話から出演がスタートしています。この時期は1962年の1月過ぎと考えられます。映画「花と嵐とギャング」の公開から半年が経過しており、東映による抜擢が行われています。

当時のテレビドラマは今ほど市民権が得られていない時代でした。まだまだ映画に権力があった時代です。当時の映画俳優たちの多くはテレビドラマという安っぽいものに出演することを敬遠しています。当時はまだ根付いていない分野であり、安っぽいものという考え方がありました。「特別機動捜査隊」の放送開始の当初(1961年)の時点で波島進は映画でそこそこ活躍していたスターですが、全般的な意味で映画活躍した俳優はまだテレビドラマに出演していない時期でした。そのため、ほぼ無名な俳優たちにもチャンスがあり、鈴木志郎の抜擢も可能だったのでしょう。
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 特別機動捜査隊, 鈴木志郎, 伊沢一郎, 青木義朗, 里見浩太朗, 波島進, 中山昭二, 三船敏郎, 高倉健, 石井輝男,

[ 2016/01/27 19:52 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

二人の長さんと消えた捜査一主任の行方


伊沢一郎は「特別機動捜査隊」の劇中では一番ベテランの年長からだと思われますが、”長さん”と呼ばれています。1972年に開始の「太陽にほえろ!」において、下川辰平が演じた野崎刑事も”長さん”と呼ばれていますが、伊沢一郎の関根部長刑事が”長さん”と呼ばれているのは1960年代後半からなので、下川辰平よりも先になります。

伊沢一郎は1930年代にデビューしているので、「特別機動捜査隊」の事実上の主役に該当する刑事の立石主任役・波島進と藤島主任役・中山昭二よりも20年近く先輩になります。1950年代に東映でデビューした波島進や新東宝でデビューした中山昭二よりもかなりベテランです。ドラマの作風は全然違いますが、「太陽にほえろ!」でいえば、風貌や雰囲気は違いがありますが、役柄の作品に対する機能は下川辰平のような存在に位置しています。1972年のスタートの「太陽にほえろ!」も1961年のスタートの「特別機動捜査隊」の影響は少なからずの内容に受けているのです。

作ってしまったので映画の部分も取り上げます。ちょっとドラマと関与しています。
伊沢一郎の映画時代の主なスター共演者(共演順)
・戦前(1930年代~1945年)
山本嘉一、花井蘭子、轟夕起子、原節子、
滝口新太郎、岡譲二、入江たか子、花柳小菊、
小杉勇、江川宇礼雄、片岡千恵蔵、阪東妻三郎、
嵐寛寿郎、月形龍之介

・戦後(1945年~1960年代)
三益愛子、長谷川一夫、勝新太郎、市川雷蔵、
折原啓子 、若原雅夫、片岡千恵蔵、美空ひばり、
大川橋蔵、鶴田浩二、高倉健


伊沢一郎は映画時代には、年数では片岡千恵蔵とは約20年にわたって共演していますが、数では市川雷蔵が一番になっています。ドラも詳しいほうですが、映画時代の芸能は激動の時代でした。つっこみどころ満載ですが主演系だけでもそうそうたる共演者です。この共演した基本的にスター以上の俳優の中で、滝口新太郎という俳優は知らない方が多いと思います。1930年代に現代劇を中心にで人気を得て、数は100作も出ていませんが、人気はそこそこあったといわれています。

片岡千恵蔵の1938年「人生劇場 残侠篇」(人生劇場の初の映画化)や同年の日活オールスターキャストの「忠臣蔵 地の巻」、「忠臣蔵 天の巻」、「忠臣蔵 天の巻地の巻(総集編)」などの有名作にも出演しています。これらの映画より前の1932年・松竹の「忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻」、「忠臣蔵 後篇 江戸の巻」にも出演。大石内蔵之助の息子・大石主税を表記した映画で通産5度も演じています。これは誇れることでしょう。

大物俳優ではなかったため、1943年に徴兵されて満州からシベリア抑留となって、戦後には戦前に活躍した映画スターだった岡田嘉子とロシア(当時・ソ連)で結婚しています。滝口新太郎の死後、岡田嘉子は日本に帰国後して「太陽にほえろ!」のゲストや「東芝日曜劇場」などの単発テレビドラマにもちょくちょく出演しているのを確認しています。岡田嘉子は驚いたはずです。日本に帰国して活動したら映画時代は終了してドラマ時代になっていたわけです。



伊沢一郎のほかにも「特別機動捜査隊」を彩る俳優たちがいます。鈴木志郎という俳優も出演しています。アナウンサーの鈴木史朗とは別人です。素人らしいベテランさが他にない雰囲気がある俳優で、西本捜査一主任役をドラマ初期のころから演じています。各班に捜査などの指示を出す仕事の役柄です。

西本は毎回登場するものの、出番がすごく少ない定められた出番だからこそ、一番の機能といえます。出番が少数に限られてることが味であり、作品にとって大事になっています。出番が無駄に多いようなでしゃばってはいけない、ましてや西本のプライベートが一際出てこないのがよいの部分です。出てきたら役柄の作品に対するイメージや空気を崩してしまいます。そんな西本捜査一主任は、とある出来事で「特別機動捜査隊」から消えてしまいます。 にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへにほんブログ村人気ブログランキングへ
励みのポチヨロシク↑→
  

関連タグ : 特別機動捜査隊, 太陽にほえろ!, 伊沢一郎, 下川辰平, 鈴木志郎, 岡田嘉子, 波島進, 中山昭二, 片岡千恵蔵, 忠臣蔵,

[ 2015/12/28 22:45 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)
タグクラウド

過去ログ +
ドラのすべてを↓でご覧ください

2017年 04月 【1件】
2017年 03月 【1件】
2017年 02月 【1件】
2017年 01月 【1件】
2016年 12月 【1件】
2016年 11月 【1件】
2016年 10月 【1件】
2016年 09月 【1件】
2016年 08月 【1件】
2016年 07月 【1件】
2016年 06月 【1件】
2016年 05月 【1件】
2016年 04月 【1件】
2016年 03月 【1件】
2016年 02月 【1件】
2016年 01月 【1件】
2015年 12月 【1件】
2015年 11月 【1件】
2015年 10月 【2件】
2015年 09月 【1件】
2015年 08月 【1件】
2015年 07月 【1件】
2015年 06月 【1件】
2015年 05月 【1件】
2015年 04月 【1件】
2015年 03月 【1件】
2015年 02月 【1件】
2015年 01月 【1件】
2014年 12月 【2件】
2014年 11月 【1件】
2014年 10月 【1件】
2014年 09月 【2件】
2014年 08月 【2件】
2014年 07月 【2件】
2014年 06月 【1件】
2014年 05月 【1件】
2014年 04月 【1件】
2014年 03月 【3件】
2014年 02月 【1件】
2014年 01月 【2件】
2013年 12月 【3件】
2013年 11月 【1件】
2013年 10月 【2件】
2013年 09月 【2件】
2013年 08月 【2件】
2013年 07月 【2件】
2013年 06月 【1件】
2013年 05月 【3件】
2013年 04月 【4件】
2012年 02月 【1件】
2011年 12月 【7件】
2011年 11月 【29件】
2011年 10月 【32件】
2011年 09月 【32件】
2011年 08月 【32件】
2011年 07月 【32件】
2011年 06月 【27件】

ドラの最近記事
ドラの生き様(全記事)
旅立ち