チワワドラのテレビドラマ愛好世界

「おはよう~こんにちわ~こんばんわ~おやすなさい~」のチワワドラがドラマや映画の明るい未来のために愛好世界の精神で盛り立てる新世界ブログ

【三船プロ秘録】金の種亡き父親にすがる息子 野武士に稲垣ドラマの全真相



ようやく、テレビドラマに関して取り上げることができますが、稲垣浩は藤木弓名義でテレビドラマに参加していました。それは戦後の三船敏郎との縁が招いたテレビドラマの関与でした。




大河ドラマの『西郷どん』(せごどん)がスタートしました。チワワドラマとりあえずは視聴しました。
詳しくは裏側で⇒大河ドラマの『西郷どん』に稲垣浩が貢献していた真実



前回記事⇒稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群




大巨匠のテレビドラマ参加の履歴をまさぐる




・主な稲垣浩のテレビドラマ参加の履歴

・ドラマタイトル  (放送期間と話数の範囲)        主演               
    *稲垣浩の作品への関わり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・桃太郎侍(1967~1968 2クール範囲)          尾上菊之助(現在の尾上菊五郎)  
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で脚本
・昔三九郎(1968、1クール強)                林与一   
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で原作と脚本、主題歌の作詞 
五人の野武士(1968~1969 2クール)           宝田明など複数 
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で脚本
・長谷川伸シリーズの旅の風来坊(1972 全体は2クール)    片岡千恵蔵 
   *稲垣浩は監督、藤木弓の名義で脚本
・旗本退屈男(1973~1974 2クール)            市川右太衛門  
   *稲垣浩は監督2回で参加
女・その愛のシリーズの滝の白糸(1973 全体は2クール)  岡田茉莉子、田村 正和 
   *稲垣浩は監督のみ



*桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士は東宝の関係者が製作側、俳優などを含めて多く参加
*東宝の製作協力は昔三九郎と五人の野武士
三船プロ製作は桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士の3作です。
*東映の制作は長谷川伸シリーズの旅の風来坊、旗本退屈男、女 その愛のシリーズの滝の白糸
*長谷川伸シリーズは全30話のオムニバス時代劇、股旅もの
女・その愛のシリーズは全26話で13エピソードの前後編、文学時代もの
女・その愛のシリーズの滝の白糸は名脚本家の依田義賢とのコンビ


上記の通り、稲垣浩は監修と監督の参加、藤木弓の名義で脚本と原作の参加で6つのテレビドラマに関りました。桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士の3作で稲垣浩の名義で監修、藤木弓の名義で脚本3つの中では昔三九郎のみで原作
長谷川伸シリーズの旅の風来坊に稲垣浩名義で監督と藤木弓の名義で脚本、旗本退屈男(1973)と女・その愛のシリーズの滝の白糸で稲垣浩名義の』2度の監督参加を果たしました。


チワワドラの個人情報ですが、『桃太郎侍』、『五人の野武士』、『長谷川伸シリーズ』、『旗本退屈男』、『女・その愛のシリーズ』は再放送されており、視聴と録画済です。ドラマは現存しています。『昔三九郎』は放送され、見た記憶が薄々ありますが録画できていません。そこは残念な限りです。



映画チラシ 大殺陣 イメージフォーラム 夢野京太郎・監督 マキノ雅弘・稲垣浩・監修

斬新な「大殺陣 にっぽん剣優列伝」のポスターです。マキノ雅弘と稲垣浩の時代劇2大巨匠による共同監修とあります。いわゆる独立プロによる映画ということがいえそうです。ナレーションは西村晃とあります。戦前の数多くの映画の時代劇俳優の場面場面をまとめたものだと確認できます。

併映は戦前の時代劇映画で活躍した名脚本家・山上伊太郎の名前が確認できます。







関与した黄金期はオムニバスのドラマが充実





この頃のテレビドラマは今以上に多彩で幅の広さがありました。オムニバスドラマが充実していたからです。今はスポンサーに左右される部分が強く規制が強しぎてしまい面白みや幅の広さに欠けています。

現代のオムニバスドラマが時代劇と現代劇を含めてほとんど存在していない状況です。なのでテレビドラマ黄金期にオムニバス方式のドラマが数多く作られていたことさえ知らないドラマ視聴者が存在しています。そのことを知っていただく、または再認識していただくためにもこの部分を少し取り上げました。



ほとんどが連続方式と設定を維持する1話完結方式のばかりなので視聴者が飽きてしまいます。稲垣浩は『長谷川伸シリーズ』と『女 その愛のシリーズ』に数回のみですが参加していました。『長谷川伸シリーズ』の旅の風来坊は日本映画の総明記と黄金期を牽引した大スターで、盟友の片岡千恵蔵と稲垣浩の映画時代から続く、映像作品の最後のコンビ作品としても知られています。映画で50作以上の名コンビの最後はテレビドラマです。



稲垣浩が片岡千恵蔵の映画会社千恵プロで監督デビューしてから1928年からこの『長谷川伸シリーズ』の旅の風来坊の1973年まで約46年間の縁がありました。1970年代前半は現在のように高齢化が進んでいない時期であり、当時ではもっとも長いコンビ、互いの大きな功績の一つです。このこともきちんと伝えるべきことです。




監督と俳優―三船プロ、石原プロ、東映で五百本の作品を監督!宮越澄直筆のドラマツルギー
宮越澄、なつかしい名前です。チワワドラらもこれを見つけるまではこの人の存在を忘れていました。この人は参加本数は多いですが、作品への機能としてあまり印象に残らない人物だからです。何故ならチーフの役割はほとんどありません。重要な話数の担当は少なく、主な参加作、事実上の代表作は『大江戸捜査網』や『西部警察』シリーズ、『特捜最前線』、『はぐれ刑事純情派』が主です。


何故この人をここで登場させたのか、三船プロが『大江戸捜査網』に製作で関与していたときに宮越澄はドラマ監督で参加しているためです。ですが、稲垣浩がテレビドラマで関わった三船敏郎と関りはありますが、稲垣浩とは大きなつながりはないようです。






野武士とこの製作プロダクション 今も金の種の亡き父親にすがる息子の姿







稲垣浩がテレビドラマに参加した主な6作の中でも『五人の野武士』は少し異色度が高めであり、五人の野武士は話数に応じてメインキャストや主演が変わることがあるテレビ時代劇でした。三船プロのテレビ時代劇は本数の割にはあまり成功しませんでした。テレビや映画製作に行き詰まって倒産しています。

最近になって息子の三船史郎が仕事を求めて、父親の力を借りようと再び三船プロをスタートさせました。三船史郎は言うまでも無いですが俳優でぜんぜん成功できませんでした。






俳優は東宝の宝田明が中心としての主役でしたが、時々は三船敏郎が登場して主演の役割を悪く言ってしまうと奪ってしまうのです。彼の映像制作会社の三船プロが五人の野武士の製作に関与しているため、仕方ないことでしょう。三船敏郎は1話と最終話を含む重要な話数に登場しています。



東宝映画の中心俳優は宝田明、三船敏郎のほかにも東宝映画の脇役俳優として知られる人見明や堺左千夫もメインで出演しています。メインキャストでいうと中山仁は松竹関連の俳優でしたが、全体的なメインは東宝系でした。各話のゲストは松竹、東映、東宝やそれ以外など比較的にバラバラです。





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『五人の野武士』なので影は5人のはずですが、なぜ上記には7人のものを選んだのでしょうか。やはり映画の影響があるといいたいのでしょうか。そんなパッケージです。




テレビが無視 ウラの裏に迫る⇒戦後の稲垣浩と黒澤明の東宝のみの時代劇の監督数と電通の優遇証拠




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関連タグ : 西郷どん, オムニバスドラマ, 三船プロ, 三船敏郎, 女・その愛のシリーズ, 五人の野武士, 宮越澄, 稲垣浩, 三船史郎, ,

[ 2018/01/27 00:03 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群



今回は「稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群」と題して進んでいきます。

前回の裏通りで「テレビドラマに4大巨匠と1名匠の超豪華布陣が集結 『旗本退屈男(1973)』の謎」を公開しました。この関連を今回は掘り下げて取り上げていきます。もちろんドラマブログなので、テレビドラマに関連した部分も登場させる予定です。


前回記事⇒【2大衛門劇場】中村吉右衛門と市川右太衛門のターニングポイントドラマに肉迫




比較的に簡単に説明できる履歴の時点であまりたいしたことない人物





テレビドラマ『旗本退屈男(1973)』は2クールのつまり、半年間放送されたドラマとしては異例ともいえる豪華な監督陣でした。その証拠の一端をお届けいたします。


稲垣浩と渡辺邦男、佐々木康は実積が数多くある巨匠なのでおおまかな部分が中心になります。テレビなどは一分の人間だけを優遇するやり方が中心で、きちんと取り上げないので名前さえも知らない方がいるかと思います。ですが、テレビなどが優遇している人間よりも実積が上回る部分が数多く存在しています。


最初は稲垣浩です。彼と渡辺邦男がこの監督陣の中ではもっとも説明が困難な巨匠です。困難なことは基本的に実積が数多くあることを意味している場合が多いですし、俳優はこのブログでも常連の片岡千恵蔵や月形龍之介は多彩に数多くで実積があるため大変に困難です。それだけ現代への影響や貢献も最上級です。比較的に簡単に説明でき履歴の時点でそれほどたいした人物ではありません。これはどの分野でもある程度は通じています。


映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」
映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」

映画の上映のポスター。昭和51年6月21日(土)の渋谷公会堂とあり、昭和51は西暦で1976年です。さらに「キネマと舞台構成による 堂々六時間」と書かれており、これは映画と実演の殺陣を舞台上で披露したと考えられます。映画ポスターの監修が当時まだ存命だった稲垣浩だと残されており、色々と貴重な品です。




稲垣浩の映画界やテレビドラマ界 芸能界 現代への大きな貢献





・稲垣浩 13、15話  『旗本退屈男(1973)』の担当話数
時代劇4大巨匠に数えられ、時代劇の父の伊藤大輔に次ぐレベルで、時代劇や時代劇映画の形成に大きく貢献。通産の代表数では伊藤大輔を上回る。戦前から数十の代表作や後世への多大な影響力、1920年代後半から1930年代にかけて、主演330作以上の超大スター片岡千恵蔵と戦後の映画やテレビの娯楽時代劇や東映時代劇の基本となる”明朗時代劇の形成と牽引”、その後も多くの有名題材(宮本武蔵など)や股旅映画でも大成功。


片岡千恵蔵の映画会社の千恵プロ(*1)を日本のアート監督=映画作家の草分けの巨匠の伊丹万作と共に映画スター会社のトップの大成功に導く、戦前の日本映画界に旋風を起こし、当時の映画の最大の評価の一つ、数多くのベストテン賞に千恵プロ作品のみで20作近くがランクイン(*2)、通産の千恵蔵との名コンビは主に30作の代表作とコンビ数は現存版を含めれば50作近くに及びます。



(*1)千恵プロ=片岡千恵蔵プロダクション=映画スター片岡千恵蔵の映画製作会社、伝説の映画会社、映画スターの映画会社として1920年代の終盤から1930年代にもっとも成功し、もっとも多くの代表作を残した。ライバルの阪東妻三郎や嵐寛寿郎、市川右太衛門などの映画会社の受賞数や評価においては少なくても圧倒しました。ですが、観客動員においては余り差がなかったことが考えられます。


(*2)現在の映画界でいうとこの数倍以上の映画賞の受賞数に該当します。


千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)
千恵プロは大スターの片岡千恵蔵、伊丹万作、稲垣浩の3人ばかりはクローズアップされがちですが、時代劇映画を代表する大撮影者の石本秀雄の大ブレイクに導き、助監督で戦後に大活躍する名匠の佐伯清の発掘、長谷川一夫ともっともコンビを組んだ巨匠の衣笠貞之助の弟の衣笠十四三(きぬがさとしぞう)がデビュー、さらに千恵プロの映画製作などの数々の資金管理の役割の会計係を果たしたことなど、有名な曾我正史の存在も忘れてはなりません。千恵プロを主に影で支えていた人物です。




テレビドラマの製作にもつながるチームワークの形成と稲垣浩 そして正史





曾我正史(監督名義は振津嵐峡の読み=ふりつらんきょう、曾我は別字で曽我)は、千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理監督や千恵プロの資金管理で大きく貢献した後、のちに日活の撮影所製作部長、大映京都撮影所の取締役所長などいくつかを経て、戦後にニッポンシネマコーポレーションの取締役会長などによる映画界に多くの貢献や発展に尽力しました。曾我正史の実積でもありますが、これも大人物の片岡千恵蔵がいなければ無かったことであり、彼の実積の一部にもなります。


千恵蔵はただの大映画スターではありませんでしたが、大河内傳次郎(別字で大河内伝次郎)は自分が会社を持つことがなく、自信なかったのか、才能がないと承知していたのか、タイミングを逃したのか、生涯自分の映画会社は持ちませんでした。
長谷川一夫は片岡千恵蔵などの影響を受けて戦後直後に自分の映画会社を作りましたが、成功できずに残念ながら失敗してしまいました。東宝も良い部分もあるのはあることはあるのですが、長谷川一夫が東宝の関係者だからでしょうか、マスコミはこれを都合良く無視します。今では映画会社の失敗事実が無かったことになっています。

しかし片岡千恵蔵は大成功、俳優だけではなく、リーダーやトップとしての才覚を持ち、千恵プロを真の伝説の映画会社に導きました。



曾我正史(監督名義は振津嵐峡)は千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理の監督と書きましたが、伊丹万作や稲垣浩は体が強くなかったことでも有名です。なので片岡千恵蔵は二人の脚本や原作は使用しながら、映像化してくれる代理の監督を立てることがありました。体が弱い監督とわかりながらあえて自分の映画会社にこの二人を採用と起用し、しかもメイン監督として維持させたことも一つの驚異驚愕です。それだけこの二人の才能を買っていたし、人を見る能力にも優れていました。

あえて才能を秘めた毒を起用し、毒を上手く制することで他にはない花が開くわけです。1920年代の後半からこんなことができる人物は他にほぼ誰もいませんでした。当時ならなおさらですが、自分の大事な映画会社に体が弱い監督は才能があってもなかなか起用や採用は困難です。チワワドラは片岡千恵蔵の価値観にとらわれない所も高く評価しています。




稲垣浩のテレビドラマへの影響と超大スター片岡千恵蔵の存在の大きな貢献の一つ





鴛鴦旅日記 [DVD]
上記写真の片岡千恵蔵 時代劇に合うほんと良い表情をしています。


この『鴛鴦旅日記』(1929)も稲垣浩と片岡千恵蔵の現存版含むと50作を越す、日本映画で歴代上位の名コンビの数多い代表作の一つと考えられています。『鴛鴦旅日記』は残念ながら部分的に場面が欠落しているため、オリジナル版ではありません。オリジナルと現存版の2作があります。

鴛鴦旅日記』は大当たりした時代劇のジャンルの股旅時代劇映画です。男女の恋愛要素と千恵蔵の大きな魅力である明朗要素、さらに股旅要素を散りばめています。今でいうとアニメに近い部分もこの頃の時代劇映画の魅力です。

稲垣浩と片岡千恵蔵はこの股旅時代劇映画の形成の大きな貢献とその黄金期を支え、、戦後は映画界全体の数多くのスターの後輩による股旅時代劇映画、さらにのちの股旅要素のテレビ時代劇にも大きな影響を与えました。


なんとなく承知していましたが、大巨匠の稲垣浩の大まかなすごさでさえ、一記事では取り上げられませんでした。さらに最後はちょっと反れてしまいましたが、こうした千恵プロの脅威のチームワークものちのテレビ時代劇やテレビドラマのお手本になっていたことも事実なので取り上げてみました。映画は自主なら一人で作れても、基本のテレビドラマは一人では作れないからです。




この続き↓ まさかのあのハンフリー・ボガート、早川雪洲、三船敏郎の有名俳優の夢の共演のその真相は↓
稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群


映画愛子の愛ある新ブログが始動 一直線女子の映画向上会↓ ↓
あの森繁久彌も片岡千恵蔵を大きく下回る現実を暴露投下 
                       最初はやはり歴代№1映像俳優千恵蔵なのか?


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関連タグ : 稲垣浩, 真の伝説の映画会社, 石本秀雄, 長谷川一夫, 衣笠十四三, 振津嵐峡, 曾我正史, 鴛鴦旅日記, 股旅時代劇, 片岡千恵蔵,

[ 2017/12/29 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

【2大衛門劇場】中村吉右衛門と市川右太衛門のターニングポイントドラマに肉迫






【2大衛門劇場】中村吉右衛門市川右太衛門のターニングポイントドラマに肉迫と題して展開させていただきます。


前回記事の【大進撃】映画界の天皇 渡辺邦男が参加した主なテレビドラマたちを公開に登場した中村吉右衛門(2代目、2017年時点で存命)が主演したテレビドラマ『右門捕物帖(1969)』と、戦前と戦後で活躍した長期の映画スター市川右太衛門が主演したテレビドラマ『旗本退屈男(1973)』(映画で戦前と戦後を通じて30作に主演した旗本退屈男シリーズのテレビ版)は現在も全話が残されていますし、ファミリー劇場や時代劇専門チャンネルなどのCS放送で何度か再放送されています。



中村~門と市川~門の2大衛門劇場






中村吉右衛門のテレビドラマにおける活動に流れ




テレビドラマの当たり役の鬼平犯科帳の長谷川平蔵などを演じた中村吉右衛門(2代目)は、連続のテレビドラマ時代劇の主演はこの『右門捕物帖(1969)』が確認できる限りでは最初です。


中村萬之助の名義時代の1956年からテレビドラマに出演していますが、父の初代・鬼平犯科帳の長谷川平蔵を演じた父の松本幸四郎(最晩年の1981年に初代の松本白鸚を襲名、歌舞伎の名優、松竹映画でオールスターものに多く出演、長谷川平蔵を当たり役としてテレビドラマでも活躍)や2017時点で存命の実兄の現在の松本幸四郎(テレビドラマで多数の共演あった1950年代の中村萬之助の名義時代は市川染五郎の名義)との共演が多くありました。


その多くは単発の時代劇や現代劇のテレビドラマでした。この時期が1960年代の後半まで続いていきます。その後、中村吉右衛門は現代劇の代表作の『ながい坂』(全20話、1969年3月から7月にかけて放送)に主演して、続いて主演したのが『右門捕物帖(1969)』でした。


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中村吉右衛門のテレビドラマ『右門捕物帖(1969)』と映画の嵐寛寿郎版シリーズの流れ


右門捕物帖(1969)』の元となる映画「右門捕物帖シリーズ」は1930年代から1950年代にかけて製作され、戦前は評論家に支持を受けた作品がいくつか作られました。のちに数多く作られる捕物ジャンルの時代劇の源流ともいわれる右門捕物帖映画の大きくは嵐寛寿郎からの映像化の歴史があり、嵐寛寿郎の「右門捕物帖シリーズ」は「鞍馬天狗シリーズ」に次ぐ自身の最大の当たり役の一つでした。この流れや影響を大きく受けたのが中村吉右衛門の『右門捕物帖(1969)』となります。


ドラは数多くの俳優バージョンの右門捕物帖を視聴していますが、基本的には主人公の近藤右門が無口だが正義感に熱く、信頼できる上司、個性的なライバルの同心や配下などと、十手と柔術を駆使して犯人を追い詰めるシンプルだが奥が深い作品が右門捕物帖でした。


『右門捕物帖(1969)』はCS放送で2000年代前半に放送されていましたが、そのときは現存する映像を尊重した標準画質でしたが、2010年代にハイビジョンマスター化の作業が行われました。下記部分の『旗本退屈男(1973)』と同様にハイビジョン画質版が放送され、ドラは録画、標準画質を中心に視聴しています。歌舞伎や時代劇のテレビドラマの名優、中村吉右衛門に関してもいずれ機会があれば詳しく迫れたらと感じています。


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残念ながら中村吉右衛門版は商品化されていません。これは杉良太郎版の右門捕物帖(1974~1975年の東映製作版)です。

杉良太郎版の第2シリーズがテレビ番組制作会社のユニオン映画と杉良太郎の制作会社・杉友プロダクションなどにより、1982~1983年に作られましたが、ドラは東映版のほうが圧倒的に好きです。主演は同様の杉良太郎でも、やはり時代劇の名門の東映の制作が娯楽、演技の型、バランス、システム、テンポ、音楽など総合的に群を抜いて上手かったです。いくら俳優が魅力が高くあってもある程度は周囲の制作のレベルは大切だと痛感させられました。




右太衛門と映画「旗本~」とテレビドラマ『旗本~(1973)』





旗本退屈男は映画とテレビドラマの基本は同様であり、旗本の主人公の早乙女主水之介が周囲のさまざまな個性の人々と協力して、闇にはびこる悪を成敗する明朗快活な雰囲気と誰でも理解できるあらすじで、視聴者の教養の有無に関係なく、子供からお年寄りまで世代を問わずに誰でも理解できる時代劇映画として人気を博しました。


旗本退屈男の映画の観客動員は戦後の東映中心シリーズだけでも最低2000万人以上、1度の年間観客動員ベスト10入りを果たし、個人的には3000万人ほどは記録していた可能性を指摘しておきます。実は当時の日本映画の観客動員はベスト10ももちろん重要ですが、ベスト10以下も大変に重要です。何故なら今よりも何倍も観客を動員している時代ですから、500万人級の大ヒットを記録してもベスト10にランクインしない時代が、7年連続8億人のときを最大黄金期でした。





市川右太衛門の映画出演300作記念として作られたシリーズ23作目の『旗本退屈男(1958)』の映画版、東映の映画黄金期を形成に導き、支えた左下に片岡千恵蔵、右下に市川右太衛門の両御大の顔が見られます。



裏通りはさらに深く深く掘り進めたい
      ↓     ↓
『旗本退屈男(1973)』 連続テレビドラマ史希少の4巨匠1名匠の豪華布陣集結




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[ 2017/11/28 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

天皇の渡辺邦男と松本常保 映画とドラマと 時代と運命と



今回は”天皇の渡辺邦男松本常保 映画とドラマと 時代と運命と”と題して展開していきます。テレビドラマ中心の映像制作会社の日本電波映画はその後、衰退の道をたどります。

関連の前回記事⇒【テレビドラマ貢献】松本常保と映画の通産42作とテレビドラマ22作の謎






天皇の渡辺と松本 映画とドラマと 時代と運命と




映画の製作者時代から渡辺邦男と縁があった松本常保は映画の『明治天皇と日露大戦争』をテレビドラマとして再映像化した『明治天皇』を映画と同様に多額の費用で製作し、これに苦しんだといわれています。1966年の第1期はテレビ映画として製作していましたが、第2期は当時のNHKや他の放送局が製作していたドラマのように比較的に予算が安く済むVTR撮影で製作するという路線変更を余儀なくされましたが、最終的に折り合わず打ち切られました。

時間をさかのぼりますが、渡辺邦男はテレビがあまり普及していない頃の1955年に『エノケン ホームラン王』というテレビドラマの単発作品の監督をしていますが、このときは本格的なテレビドラマの参加はそませんでした。本格的な参加は1963年の松本常保の日本電波映画のテレビドラマまで待つことになります。



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1948年に公開された新東宝とエノケンプロの制作による 『エノケンのホームラン王』は大喜劇人&映画スター榎本健一の商品化されたエノケン×渡辺邦男(監督)の名コンビの代表作の一つであり、サトウハチローが原作です。1955年に放送されたテレビドラマの『エノケン ホームラン王』もこの映画の 『エノケンのホームラン王』のリメイクの可能性が疑われます。







両雄のテレビドラマのために避けては通れない”映画の功績”





渡辺邦男松本常保はテレビドラマで関わりを持つ前の映画時代から縁がありました。そうです。渡辺邦男と松本常保の関係に迫る前に渡辺邦男の映画の大まかな功績に光を当てることが大切だと考えています。テレビドラマのブログですが、彼の映画の功績を取上げることでいかに功績がある人物がテレビドラマに挑戦したのかを少しでも知っていただくためです。

渡辺邦男はテレビドラマに進出する前には、娯楽映画の巨匠スター映画の巨匠早撮りの巨匠オールスター監督映画界の天皇などの異名を持っていました。当時、これだけの異名を持つ映画監督は彼だけでした。

渡辺邦男は日活映画の池田富保(戦前の最多オールスター監督数、娯楽時代劇の巨匠)の助監督を6作以上勤め、1928年に監督デビューし、通産で約230作、現存の縮濃版などを含めると240作ほどの映画作品を監督しました。しかもそのほとんどが長編映画です。


アメリカの映画監督はショートムービー(アメリカのサイレント時代に多い)を含めれば200作は何名か存在していますが、長編だけでは存在していません。代表作はいくつかの理由から東映のナンバーワン監督としても知られる松田定次とほぼ近い100作、またはそれ以上の本数が存在しています。

松田定次については以前の記事にも書いています。
テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録実現など

いずれは映画ブログの方で機会を設けて大々的に取上げたいと思いますが、松田定次と渡辺邦男の大きな違いの一つは戦前の代表作は渡辺邦男の方が多いところも挙げられるでしょう。また、小規模オールスターの本数は渡辺邦男の本数が上です。例えばオールスター映画は大と小があるという捉え方をすると大規模は松田定次といえますが、小規模のオールスター映画は渡辺邦男が世界で歴代でトップの本数を監督しています。さらにテレビドラマでも200本(作数ではない)以上の監督をこなした大人物です。



忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜 [VHS]
上記は現存題『忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜』、公開時は『赤垣源蔵』の説も有り。渡辺邦男の師匠の池田富保は尾上松之助や山本嘉一、阪東妻三郎や片岡千恵蔵、大河内傳次郎(左から映画デビュー順)の歴代大スターが出演した日活映画を二桁10作以上も残しており、5大スターだけでも50作以上にのぼります。これも池田富保の功績を語る上で大きな実積の一つです。





渡辺邦男 公開順の戦前から戦後の主な代表作





渡辺邦男の戦前の主な代表的作品群(表ブログバージョン)

『さくら音頭(日活版)』  五月潤子、市川春代、夏川大二郎  現代劇 マキノ正博と共同監督  大ヒットと記録有
「丹下左膳」4作(1933~1938)  大河内傳次郎  時代劇  日活オールスターは内1作
『検事とその妹』(1937)  岡譲二と原節子 現代劇
『源九郎義経』(1937)  長谷川一夫(源義経)と大河内傳次郎(武蔵坊弁慶) 時代劇
「白蘭の歌」前後篇(1939)  長谷川一夫  現代劇 東宝オールスター2部作 大ヒットと記録有
5  9(前後や他含む)
「熱砂の誓ひ」前後篇(1940)  長谷川一夫、李香蘭  現代劇
6 10

渡辺邦男の戦後の主な代表的作品群

『麗人』(1946) 原節子  現代劇
「誰か夢なき」前後篇(1947)  藤田進  現代劇 大ヒットと記録有
エノケンのホームラン王』(1948)  榎本健一  現代劇
『向う三軒両隣り 白百合の巻』(1948)   柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの1作目
10  15
『続向う三軒両隣り スタコラ人生の巻』(1948) 柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの2作目
『いれずみ判官 桜花乱舞の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん1作目 東横オールスター
『いれずみ判官 落花対決の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん2作目 東横オールスター
『水戸黄門漫遊記 第一部 地獄の豪賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
『水戸黄門漫遊記 第二部 伏魔殿の妖賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
15  20
『飛びっちょ判官』(1952)  片岡千恵蔵 時代劇 遠山の金さん5作目  東映オールスター
『大菩薩峠』3部作(1953)  片岡千恵蔵 時代劇 東映オールスター3部作
『犬神家の謎 悪魔は踊る』(1954)   片岡千恵蔵 現代劇  片岡千恵蔵の金田一耕助5作目 東映オールスター *1
『はりきり社長』(1956)   森繁久彌  現代劇 森繁久彌の社長シリーズ3作目
明治天皇と日露大戦争』(1957)   嵐寛寿郎 時代劇 新東宝大オールスター 超大ヒットと記録有
20  27
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』前後篇(1957)  美空ひばり 時代劇 新東宝中心オールスター  大ヒットと記録有
『忠臣蔵(1958)』   長谷川一夫 時代劇  大映大オールスター 超大ヒットと記録有
『銭形平次捕物控 夜のえんま帖』(1961) 長谷川一夫  時代劇 銭形平次捕物控17作目
『水戸黄門海を渡る』(1961) 長谷川一夫  時代劇


水戸黄門海を渡る [DVD]
大手映像会社のKADOKAWA(大映映画の権利を持つ)は本当にハイスピードで商品化をしています。一方、東映はDVDの商品化があまり進んでいませんが大映作品は商品化が多い。渡辺邦男と長谷川一夫の10作を越す名コンビの晩年作『水戸黄門海を渡る』(1961)、この映画はもちろん豪華キャストですが、オールスターの判断はしていません。3大スター以外の出演俳優が弱めの作品だからです。


『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』(1961)  美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ7作目など *2
25  32
『べらんめえ芸者と大阪娘』 美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ9作目など *3
『民謡の旅 桜島 おてもやん』 美空ひばり  現代劇 ひばりの民謡シリーズ3作目
『べらんめえ芸者と丁稚社長』(1963)  美空ひばり  現代劇  べらんめえシリーズ10作目 *4
『民謡の旅 秋田おばこ』(1963)   美空ひばり  現代劇  ひばりの民謡シリーズ4作目
『「明治の風雪」より 柔旋風』(1965) 倉丘伸太郎 現代劇
30  37



*1=片岡千恵蔵の金田一耕助5作目の『犬神家の謎 悪魔は踊る』は前後や総集編などを含めると10作目、再公開含めると13作目の説あり

*2=『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』は、べらんめえ芸者シリーズ7作目、べらんめえ芸者シリーズ5作目、ひばりの民謡シリーズ1作目の3つに同時該当
*3=『べらんめえ芸者と大阪娘』は、べらんめえシリーズ9作目、べらんめえ芸者シリーズ6作目
*4=『べらんめえ芸者と丁稚社長』はべらんめえ芸者シリーズ10作目、べらんめえ芸者シリーズ7作目





上記の渡辺邦男の戦前から戦後にかけての作品群(表ブログバージョン)は厳選した代表的な部分のみを載せています。
下記のリンク先の裏ブログは他の映画タイトル(裏ブログバージョン)やこちらで公開できない要素も公開しています。

リンク⇒テレビドラマの形成に関与 大巨匠渡辺邦男の主な代表的作品群



後日談=今回は膨大な情報量のため映画が中心になってしまいましたが、これは必要なことだと考えて断行させていただきました。ドラマブログなのに申し訳ないところです。この流れはへ続く



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[ 2017/09/28 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

【テレビドラマ貢献】松本常保と映画の通産42作とテレビドラマ22作の謎


今回は路線を前の流れに戻して日本電波映画松本常保にスポットを当てて行こうと考えています。

その前の流れ部分⇒有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男以前に松本常保が登場した記事



テレビと映画で活躍した名製作者の存在





松本常保日本電波映画を創立して『琴姫七変化』や『姿三四郎』、『柔(1964)』などのテレビドラマのヒット作を多く世に送り出しました。ですが、その影には映画とテレビの両方向の活動が存在しています。今回はその部分を取上げていきます。


日本電波映画はテレビドラマ(テレビ映画)の制作を行っていましたが、映画の製作も行っていました。その配給は松竹でした。今回も映画のことが登場してしまいますが、松本常保はテレビドラマの関係者でもあると同時に映画の関係者であっても大きなつながりがあるものと考えています。

松本常保はテレビドラマと映画のどちらの方が活躍の比重があったのかは重要です。トータルではテレビ関係者と考えています。
それは大きな制作の代表作のほとんどがテレビドラマ側であることが挙げられるからです。






偉大な実積 映画の通産42作とテレビドラマ22作





映画の制作と企画の本数は確認できるのみで通産42作です。ドラマブログのため、映画に関することは府変えたいところですが、松本常保は1960年代を中心としてテレビドラマに大きく貢献した人物であり、名製作者(プロデューサー)です。


映画の製作者としての主な代表作は1948年『明日は日本晴れ』から1987年『舞妓物語』までの39年間にわたって製作や企画などで映画に携わっていました。テレビドラマは1960年から1974年の期間で22作強(未放映は含まない)を制作しました。



<松本常保の携わった映画とテレビドラマの製作本数と年数>
映画      42作 39年間 1948~1987  (日本電波映画の制作は6作)
テレビドラマ 22作 15年間 1960~1974 (日本電波映画と社名変更後の大和企画)

*大和企画は『白獅子仮面』、『藍は愛ゆえに』など



テレビドラマのうちの21作のうちの18作が1960~1966年の7年間に集中しています。その後の7年間で4作のみしか製作していません。この前期の7年18作以上から後期の7年3作にまで減少した理由として、このとき映画制作に力を入れていたこともテレビドラマが減少した理由だと考えられます。つまり資金的な面でも大きな打撃があったことも同時に考えられます。

*現時点で18作は確認できるのみで構成

姿三四郎と富田常雄
日本電波映画のテレビドラマ『柔』や映画『明治の風雪 柔旋風』などの原作者としても知られる柔道小説の原作者の富田常雄





日本電波映画の最大のピークの1965年から1966年の12作の実態




日本電波映画は1965年から1966年まで通産で6作の映画を製作していました。この1965から1965年のテレビドラマは9作の放映がされていました。




<主な日本電波映画の製作本数的なピークとなった1965年と1966年のテレビドラマ>

1964~ 1965年 『里見八犬伝(1964)』  日本テレビ系
1964~ 1965年 『柔(1964)』  日本テレビ系
1964~ 1965年 『坊主拳法』  読売テレビ(日本テレビ)系
1965年      『柔一筋』   日本テレビ系
1965~ 1966年 『続 柔』  日本テレビ系
1965~ 1966年 『柔道水滸伝』  日本テレビ系
1965年      『人生劇場』  フジテレビ系
1966       『青雲五人の男』   日本テレビ系
1966~1967 『明治天皇』  読売テレビ(日本テレビ)系




*すべてテレビ映画として製作



<主な日本電波映画の製作、松竹の配給の映画>
    『タイトル』          監督×主演        ジャンルの要素
1965 『明治の風雪 柔旋風』   渡辺邦男×平井昌一   柔道・青春
1965 『暴力の港 虎と狼』     土居通芳×丹波哲郎   やくざ・アクション
1965 『柔施風・怒涛の対決』   西山正輝×和崎俊哉   柔道・青春
1965 『続・柔旋風 四天王誕生』 西山正輝×倉丘伸太朗と平井昌一   柔道・青春
1966 『ド根性大将』         土居通芳×長門裕之   将棋・勝負
1966『男の顔は切り札』      マキノ雅弘×安藤昇    仁侠・アクション





上記の二つのように主な日本電波映画の製作本数的なピークとなったテレビドラマの9作と主な日本電波映画の製作の映画の6作は1965年と1966年の2年間に作られていました。テレビドラマと映画を含めて15作です。1970年代にテレビドラマ、テレビアニメと映画を同時に数多くヒットさせていた東映のように大手ではないため、日本電波映画の15作は2年間の本数としては膨大な数といえるでしょう。


CafePress – Small柔道ポスター – 16
アートと共鳴した柔道の一コマ 投げ技の瞬間は見る人を惹き付けます。 




裏側の青春と精神の清さを描いた柔道映画群  ↓  ↓
若者たちの青き春と精神の清さを描いた柔道映画群

姉妹の映画ブログ⇒8.18山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔

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[ 2017/08/27 00:03 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

ドラマスター松山容子の○もの正体 幻のテレビドラマの霧に埋もれた姫君


ドラマスター松山容子の○もの正体 幻のテレビドラマの霧に埋もれた姫君



日本電波映画株式会社は映画も作っていましたが全体的にはテレビドラマが中心の会社でした。


多くの作品群の中でも『琴姫七変化』(1960年~1962年)や『宇宙Gメン』(1964~1965年)、『柔(1964)』(1964~1965年)が主なヒット作でした。今回は海江田譲二の部分から脱して、まだ取上げ足りない部分に迫っていけたらと考えています。取り上げていない部分が松山容子に関してです。松山容子のテレビドラマに残した知られざる実積へ迫ります。







幻のテレビドラマの霧に埋もれた姫君




松竹の映画出身の女優の松山容子を主演に起用した『琴姫七変化』がテレビドラマ初期の大ヒット作の一つになりその後もタイトルに姫が含まれ、姫君が主役の30分枠のドラマが作られました。全て日本テレビ系列の放送でした。CMへもつながったことが考えられますが、姫君が困難に立ち向かって乗り越えていく姿は清楚で勇敢な印象をお茶の間に定着させました。松山容子の姫ものドラマシリーズが3作作られたこともそのヒットを示すものです。



松山容子の姫ものドラマの主演作
・タイトル・放送年数          ・主演
琴姫七変化』(1960年~1962年) 松山容子
月姫峠』(1963年)          松山容子
霧姫さま』(1963年~1965年)   松山容子




琴姫七変化』や『月姫峠』は松竹のCSチャンネルのホームドラマチャンネルにて何度か放送されたことがありますが、残念ながら『霧姫さま』は見たことがありません。商品かもされていませんし、1度も再放送もされていないようです。それなので見たくても主張が叶いません。素人にはどうにもならない生き地獄です。


東映の1960年代の近衛十四郎の『柳生武芸帳』(1965)や中野誠也の『次郎長三国志』(1968)など、テレビ時代劇も現在観ることができずに同様なことがいえますが、事実上の著作がある松竹関連や放送した日本テレビの関連にフィルムが存在していないのかもしれません。


霧姫さま』は第1シリーズ(1963年~1964)と第2シリーズ(1964年~1965年)があったと考えられています。『琴姫七変化』や『月姫峠』は視聴が可能なため、詳細を確認することが可能ですが、『霧姫さま』のスタッフは不明です。『霧姫さま』の制作スタッフは、事実上の前作『月姫峠』のスタッフが中心であったものと考えられます。



俺は用心棒(9) [VHS]
栗塚旭の代表作シリーズの用心棒シリーズの1作目の『俺は用心棒』、松山容子は上記写真の9巻の18話にゲスト出演しています。
また、主演の栗塚旭とはこの作品の他にも助演同士でいくつかの共演作がありました。
『俺は用心棒』はDVD化されていないのは残念なところですが、個人的には再放送の全話数を録画しています。






1960年代を代表するテレビドラマの名女優「松山容子」の代表作たち





松山容子は1960年代を代表するテレビドラマの女優でした。1960年代の前半は映画俳優がテレビドラマに出演する時代ではなく、映画で成功できなかった俳優や大きくピークを越した俳優、、新しい活動場所を求めて挑戦する俳優が出演している傾向がありました。松山容子は芸名が松山清子の時代に映画『紅蝙蝠(1958)』などへ出演しましたが、映画で活躍できなかった女優の1人でした。


松山容子は主演作の大きな代表作は『琴姫七変化』(1960~1962)のみでしたが、主演作は『月姫峠』(1963)、『霧姫さま』(1963~1965)、『旅がらすくれないお仙』(1968~1969)、『めくらのお市(テレビドラマ版』(1971)など代表作な作品群がありました。その中でも『めくらのお市』は映画も松山容子の主演で4作が制作され、ドラマと映画を通じた代表作の一つとも考えられます。『めくらのお市(テレビドラマ版』は1971年で1970年代ですが、トータルの活躍は1960年代でした。




『めくらのお市』映画は前々回記事にあり↓
テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録実現




松山容子の助演の代表作は1964~1965の倉丘伸太郎(のちの倉岡伸太朗)の『里見八犬伝』や柔道ブームを巻き起こした1964~1965の『柔』、『柔一筋』(1965)、『柔道水滸伝』(1965~1966)、『続 柔』(1965~1966)への事実上の柔道シリーズの助演でも知られています。




松山容子や倉丘伸太郎に関する今回の裏記事↓
2大ドラマスター倉丘伸太郎の波乱の芸能人生と松山容子の女○○の正体
波乱の芸能人生と女○○の正体


甦るヒーローライブラリー 第10集 ~ヒロイン編~ 月姫峠 HDリマスターDVD-BOX
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刀を持つ松山容子の姿、クリアな画質でモノクロ作品が見られます。
やっぱり時代劇はテレビドラマも映画も含めてモノクロにもよさがあり、
現代に見るとすごく新鮮な世界です。現在では美貌の女剣士役が様になるような女優はなかなかいません。



映画の姉妹ブログ⇒【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突


その裏側⇒NHKの『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰な煽り番組は問題だらけ


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[ 2017/07/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

テレビドラマ黎明期列伝 徳川家斉を演じた大名優の暴かれる闘いの日々


テレビドラマ黎明期列伝 徳川家斉を演じた大名優の暴かれる闘いの日々


琴姫七変化』の部分をもう少し展開していきます。『琴姫七変化』で主人公の琴姫の父の徳川家斉を演じた海江田譲二は、映画の主演スターや助演、脇役で230作の映画に出演し、現在以上に激しい競い合いの中で長期間にわたって活躍しました。日本のテレビドラマの形成や発展には多くの映画俳優が関与していますが、彼もその1人でした。海江田譲二のテレビドラマへの出演数は少なかったわけですが、『琴姫七変化』の大ヒット作への出演はテレビドラマの唯一の代表作といえるでしょう。


現在では取上げられる機会が激減しましたが、海江田譲二は戦前から長期間にわたって活躍した映画ファンに有名な俳優です。テレビドラマの初期の貢献した人物でもあるため、映画時代のことを取上げてみようと思います。あくまでテレビドラマのブログであるが、反れていると考えられる部分もあると思いますが、あくまでテレビドラマの初期の功労者であるという面で目をつぶっていただければ幸いです。





国民的大作家の吉川英治やあの超大物作家の映画へ主演





1930年代前半から、日活の時代劇部門の俳優として活動をはじめ、15作以上の主演作を残し、中山安兵衛(のちの堀部安兵衛)役で『新釈高田の馬場』、長谷川伸の有名な原作の『沓掛時次郎(1932)』、時代劇スター・沢田清とダブル主演した吉川英治原作の代表作の一つの「隠密七生記」の映画作『隠密七生記 静中動篇』と『隠密七生記 動中静篇』へ主演しました。吉川英治は映画化が通産で1位の205を越した日本でもっとも大衆的な大作家、長谷川伸も日本の歴代上位の150作を越しています。

『隠密七生記』は戦後の最大の黄金期の東映で、東千代之介、中村錦之助、美空ひばりの主要キャスト、監督は巨匠の松田定次で再映画化されたことでも知られています。股旅もの作品の代名詞の一つ『沓掛時次郎』は、存命の平岩弓枝や故人の村上元三、山手樹一郎などの師匠としても知られる大作家の長谷川伸の作品群の中でも上位に含まれる代表作です。





歴代上位の大スター大河内と千恵蔵へ貢献 助演の活躍




また、1930年には大スター・大河内伝次郎が主演の名匠・辻吉郎によるオールスター『荒木又右衛門(1930)』にメインキャストの河合又五郎で出演、1931年は映画会社の片岡千恵蔵プロダクションと日活で、のちの巨匠・稲垣浩の『男達ばやり』で大スター・片岡千恵蔵の相手役を務め、1932年は大作家の子母澤寛のもっとも有名な股旅作『弥太郎笠 去来の巻』と『弥太郎笠 独歩の巻』では、片岡千恵蔵(主演の弥太郎役)の昔馴染みの友人の桑山盛助を演じました。デビューから3年ほどで全国的に相手役やメインキャスト、助演として存在感を示しました。


*『男達ばやり』=読み・だてばやり


昭和29年映画パンフレット 新選組鬼隊長 片岡千恵蔵 中村錦之助 月形龍之介
片岡千恵蔵の戦後の新撰組映画の主演7作のうちの1作
『新選組鬼隊長』の貴重なパンフレット



裏側リンク⇒海江田譲二の『平手造酒 新撰組 大岡政談』 そびえ立つ大都映画のトップスター・阿部九州男の影
リンク先は上の記事と下の記事との間を埋めています。







裕次郎や旭を生み出した人物と驚きのコラボレーション





1937年に東宝の関連会社の今井映画へ移籍し、『平手造酒(1937)』で『平手造酒 一刀流酒供養』(1933)以来の再び地獄の剣豪と称される平手造酒を主演で演じました。平手造酒は1910年代から数多くの映画スターが主演で演じてきた有名な役柄の一つです。


さらに清水次郎長にも登場する有名な役柄、吉良の仁吉役で『吉良の仁吉』へ主演、残念ながら清水次郎長を主演で演じることはありませんでした。この映画は後の日活の名映画プロデューサー、名企画者として知られる児井英生(こい えいせい)が監督を務めています。児井英生は監督から映画界へ飛び込んで、入江たか子と月形龍之介がダブル主演した東宝映画『白い壁画』から監督を退いて、現場以外の制作畑へ本格的に足を踏み入れました。


海江田譲二の『吉良の仁吉』の時の児井英生は映画プロデューサーや企画者の活動に向かう前であり、今井映画の監督でした。児井英生は戦後の日活で石原裕次郎小林旭の映画スターとしての活躍へ貢献した人物として知られています。


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石原裕次郎小林旭、吉永小百合、石原裕次郎の上、
全体の右上の人物は果たして誰??






海江田の『雲霧仁左衛門 鼠小僧次郎吉 坂本竜馬 銭形平次 大岡越前守 堀部安兵衛』





1937年『雲霧仁左衛門 前篇』、『雲霧仁左衛門 後篇』、庶民のヒーロー・鼠小僧次郎吉の題材の『鼠小僧初鰹』に主演しました。雲霧仁左衛門は作家の池波正太郎で1972年から『週刊新潮』で連載される30年以上前の題材作でした。海江田は1938年に今井映画が松竹に買収されたことで、配給元の東宝へ移籍しました。


東宝時代は岡本綺堂の有名題材『相馬の金さん』が有名作でした。その後は1年も経たずに松竹へ移籍し、海江田譲二が坂本竜馬を演じた『坂本竜馬の妻』、野村胡堂の有名原作の『銭形平次捕物控』(1939)の2作へ主演しました。銭形平次を映画で演じた俳優は関操、嵐寛寿郎、小金井勝に次いで4人目が海江田譲二でした。1939年から坂東好太郎や高田浩吉などの松竹の生え抜きの大スターの助演が増えていき、海江田譲二の主演映画は1940年が最後となってしまいます。


その後も松竹の出演作が続き、助演俳優としての活動が全体となります。その頃の有名作は坂東好太郎と高田浩吉のダブル主演作『権三と助十』の3番手的な役柄で大岡越前守を演じた部分といえるでしょう。さらに1941年の巨匠・溝口健二の歌舞伎の演目を基にした真山青果の原作『元禄忠臣蔵 前篇』、1942年『元禄忠臣蔵 後篇』には出番はかなり少ないながらも堀部安兵衛を演じていました。堀部安兵衛は助演であっても有名な役柄であり、これもこれまでの映画スターとしての実積の末の大役でした。



元禄忠臣蔵 前後編(全2巻セット)[VHS]
男装で赤穂浪士の特定の人物に別れを告げにやって来る、後半の鍵を握る”おみの役”は高峰三枝子です。右の写真の女性です。海江田譲二は堀部安兵衛で出演、商品化されているものが少なく悲しい現実があります。



こうした海江田譲二の映画時代の数々の有名な役柄や目上の大スターとの関わり、ライバルとの競い合いの長年の実積が、『琴姫七変化』で演じた徳川家斉役につながっていきました。



姉妹ブログの新記事⇒映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする


姉妹ブログの裏記事⇒忘れ去られた児童文学作家 高垣眸と頭巾もの有名映画たち

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[ 2017/06/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

テレビドラマの松田定次 海江田譲二 松山容子 豪華3競演録実現




230作の映画に出演した名俳優・海江田譲二と『琴姫七変化



琴姫七変化』(1960~1961)の主人公の琴姫の父である江戸幕府の第11代征夷大将軍の徳川家斉役は海江田譲二でした。海江田譲二(かいえだじょうじ)は時代劇映画を中心に230作以上の映画へ出演しています。テレビが取上げてるレベルの低い大物とは違い真の意味の大物俳優です。


海江田譲二は代表作が少ないながらも1930年代から1939年代後半をピークに約10年ほどで主演スターとしても活躍し、それ以降は助演、戦後になると脇役俳優として活動していました。主演数は戦前でも30位近辺の90作を越しています。戦前の事実上のトップ6である、時代劇六大スターが平均主演数が150作近辺であることから考えても、海江田譲二は代表作は少ないながらも主演本数的にそこそこなスターだったといえるでしょう。


琴姫七変化』では映画時代の実積を買われて徳川家斉であり、主人公の父親役の重要な役柄を演じていました。また、海江田譲二にとって『琴姫七変化』はテレビドラマの唯一といえる代表作だからです。


230作以上の映画出演は2017年時点で現役の仲代達矢が150作強、2010年代に亡くなった高倉健が200作強だったことからも、海江田譲二の230作以上の出演数は大きなものです。


海江田譲二は1939年から松竹の時代劇映画だけでも105作以上(東映10作以上)への出演を果たしており、松竹映画へ多数出演していた流れでテレビドラマの『琴姫七変化』へ出演したものと考えられます。琴姫七変化は松竹の関連俳優が他にも多く出演しており、メインキャストの松山容子と松本錦四郎も松竹映画から羽ばたいた俳優でした。また、松竹に縁がある名優・海江田譲二も出演していたことも必然といえば必然です。



元禄忠臣蔵 前後編(全2巻セット)[VHS]
右の写真は男装で赤穂浪士の特定の人物に別れを告げにやって来る”おみの役の高峰三枝子”です。左は歌舞伎俳優で前進座のリーダーでもあった主演の河原崎長十郎??海江田譲二は『元禄忠臣蔵 前後編』(1941~42)で堀部安兵衛を演じていますが、残念ながら写真へ映り込んではいません。原作は歌舞伎で知られる真山青果、監督は巨匠・溝口健二がが手がけ、剣戟を省いたことも影響しているかもしれませんが堀部安兵衛の出番が極端に少ないことも特徴の忠臣蔵映画です。




現実に存在していた徳川家斉の娘 琴姫の悲劇




『琴姫七変化』へ登場する徳川家斉には現実に琴姫という娘が存在していました。ですが、生まれてまもなく亡くなったと記録が残されています。『琴姫七変化』の琴姫は、もしも琴姫が生きていたら、こんな活躍をしたのかもしれないという話であり、時代劇だからできる良きデフォルメ部分が存在しています。また、徳川家斉の娘の二十二女の琴姫は1815年生まれ~1816年に没と残されています。


徳川十一代家斉の真実―史上最強の征夷大将軍
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歴史好きでもあるのでいくつかは存じていますが、いろいろな面で逸話が残されている征夷大将軍でした。




姉妹サイトの裏⇒森繁久彌 東宝の多角経営の過大評価とゴジラ映画のパクリ疑惑



テレビドラマでも代表作を残した映画の巨匠・松田定次松山容子




松山容子といえば映画のことも少し触れておく必要があります。

主演映画の代表作である『めくらのお市』シリーズは東映映画を去った松田定次が監督を務めているものがあります。大映時代、東映の聡明記から黄金期を形成や牽引し、監督数は約170作、主な代表作は日本映画ナンバーワンの約100作,、『めくらのお市』は巨匠・松田定次の映画の遺作になりました。ちなみに黒澤明は監督数31作、代表作10ほどであり、数のみでは10倍の差が存在し、両名は監督として違うタイプにしても大きな実積差であることも事実です。


松山容子の主演映画「めくらのお市シリーズ」
1969『めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥』 監督・松田定次
1969『めくらのお市 地獄肌』 監督・松田定次 *遺作
1969『めくらのお市 みだれ笠』 監督・市村泰一
1970『めくらのお市 命貰います』 監督・市村泰一



松田定次は戦前から数え方次第では忠臣蔵映画を10作以上を監督、ここはメインではないので大まかに済ませますが戦後は東映ナンバーワン俳優の片岡千恵蔵の多彩な代表作を30ほど監督しました。千恵蔵とのコンビ作のみだけでも軽く1億人以上の観客動員を記録し、今後も困難なゴールデンコンビを形成していました。一言や二言で済ませられる実積ではありません。

簡単に言ってしまえば松田定次と片岡千恵蔵のコンビは、山田洋次と渥美清よりも最低でも数千万人以上も客を呼んでいるわけです。しかも片岡千恵蔵の場合は松田定次を含めた数多くの巨匠とコンビ数は通産で150作近くです。


「めくらのお市シリーズ」の3.4作目の監督の市村泰一は歌謡映画を多く残した松竹の映像化監督(プログラムピクチャー)として知られている部分がありますが、監督数が約50のわりには代表作が少なめでした。「めくらのお市シリーズ」の3.4作目は松田の流れを受けた映像化の内容を任せられました。


その松田定次の遺作が松山容子の主演による1969年の『めくらのお市 地獄肌』です。松田定次は東映映画を離れて、1964年から、外部や松竹のいくつかのテレビドラマ時代劇を手がけていました。松田定次が監督で事実上のチーフを勤めた栗塚旭が主演した1967年『風(1967)』は高く評価され、ヒロイン役の土田早苗が1967年の京都映画祭の女優賞を受賞しています。



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1967年から1968年に放送されて好評を博した松竹時代劇の『風』、箱にプリントされているのは栗塚旭土田早苗です。




裏記事⇒裏通り沿い~テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録~


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[ 2017/05/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

伝説のテレビドラマ『琴姫七変化』で活躍した男女の真相





1959年の日本電波映画株式会社と日本映画界の黄金期の逆強



日本電波映画株式会社が創立したこの1959年は日本映画界が最大の黄金期といわれる7年連続、観客動員が8億人以上の真っ只中でした。また3度目の10億人を記録した年でした。両御大を中心とした若手スターの活躍で時代劇の東映が1956年から4年連続で1位、現代劇の若者路線の日活が初の2位を獲得しました。

日活はこのときの2位が最高順位でした。その後は1960年代の全般は東映と東宝が首位争いを繰り広げていきますが、松本常保日本電波映画株式会社は1959年の時点、映画界からするとテレビドラマは陽の目を受けることがあまりない状況であり、大きな逆強の中で歩み出したのです。


映画黄金期の思い出―私の交友録
田中絹代、高峰三枝子や清水宏は誰が知るほどの有名な人物ですが、ほかはかなりの通心をくすぐる名前がずらりの中、
佐々木啓祐があり、彼は松竹の知る人ぞ知る監督です。




わかりやすいえくらん社の枝分かれの流れ


                
えくらん社(映画製作の会社 1949年) 
        
   ↓  ↓1959年に枝分かれ、1と2の2つに分れる
1、日本電波映画(テレビ・映画製作の会社)
2、エクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)

松本常保によるえくらん社は1949年に創立し、日本電波映画とエクラン社に枝分れしました。
その後、松本常保日本電波映画でテレビドラマを製作していきました。


*当時はテレビドラマをテレビ映画とも言う




日本のテレビドラマの初期を代表する作品の一つ 琴姫七変化


日本電波映画の多くのテレビドラマは日本テレビ系で放送されている作品が大半を占めていた部分も特徴です。日本電波映画といえば、美空ひばりの主題歌でも知られる同名曲の柔は、『柔(1964)』(1964~1965)の主題歌で使用されたことでも有名作ですが、日本電波映画のテレビドラマ制作の草分けとして流れを切り開いた作品『琴姫七変化』(1960~1961)は重要なテレビドラマでした。


柔 (MEG-CD)
当時のバージョンが一番説、わたくしこと、ドラも唱えていたりします。




琴姫七変化』はテレビドラマがスタートした初期の代表作の一つであり、時代劇ドラマでした。放送当時は1958年の『月光仮面』などと含めて、初期のテレビドラマのヒット作の一つに数えられる作品であり、松本常保の日本電波映画株式会社が製作していました。

ドラは『琴姫七変化』もほとんど見たことがあり、全105話の全話数が現存していたものと記憶しています。CS放送で放送された2000年代の前半に放送された全話数をビデオに録画していました。日本電波映画は松竹と関わりがある会社であり、著作権は松竹が所有している作品のようです。その証拠の一つとして、2000年代前半に『琴姫七変化』が放送されたホームドラマチャンネルは松竹のCSチャンネルの一つです。




琴姫を演じた松山容子と相手役で出演した松本錦四郎



主役の琴姫を演じた松山容子という女優がこの作品で知られ、ある種のスターとなって、有名なボンカレーのCMなどで起用されました。デビュー当時は松竹映画で松山清子の名義で活動していました。

ですが、その後の女優としても活動をしていきますが大きな代表作にはあまり恵まれずに、出世作の『琴姫七変化』が生涯の最大の代表作となってしまいました。


『琴姫七変化』は松本錦四郎という俳優も相手役で出演していました。松本錦四郎は松竹映画を中心に活動&売り出していた若手俳優でしたが、映画ではあまりブレイクせずにテレビドラマへ新しい活躍の場を移してきた俳優です。松本錦四郎の出演映画はここ数年で数作を視聴していますが、演技や癖に特徴がなく、残念ながら若い以外の部分に個性や魅力を見出すことはできませんでした。

松本錦四郎は松竹の時代劇映画でデビューしたため、歌舞伎俳優を思わせる芸名であるだけで、歌舞伎俳優の松本幸四郎とは別人です。

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『琴姫七変化』はドラマファンなら観ておきたいタイトルです。



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[ 2017/04/29 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男





渡辺邦男が映画監督としての烙印を押された大きな原因


1950年代の後半から本格的にテレビ放送がスタートし、番組制作の延長でテレビドラマを作っていた製作者と映画からテレビドラマの製作を行うことが求められた製作者たちの競い合いが生まれていきました。渡辺邦男も映画監督としてはある意味の烙印を押されてしまったと言われています。その理由は悪循環でした。


渡辺邦男の黄金期の1000万人ヒットは2作であり、1000万人ヒットの数は松田定次と比べると大きく劣りますが、安定した作品を手がける能力を持ち合わせていました。それでも安定感をぶち壊すほどのめまぐるしい変化が起こります。

1960年代に入ると大ヒット作が減少、映画業界全体の観客動員の急減、同時に1950年代から1960年代に掛けての大きな実積から給料が膨大に跳ね上がっていたことも、渡辺邦男が映画界から烙印を押された大きな原因だといわれています。映画会社側にとってヒットの減少と高額給料は大きな負担のかかる要因となっていきました。


日本映画黄金期の影武者たち渡辺邦男も影響を受けた影武者たち



急激な変化が追い風、上手いが高いベテランよりもある程度の安い若手


膨大な給料を払うなら、ある程度の能力を持つ若手にチャンスを与えようと映画会社側は考えた理由です。渡辺邦男や他のベテラン監督らは映画界を解放され、表向きは若手にチャンスを譲って再スタートを図るために新しい分野のテレビドラマへ踏み出しました。当時はテレビ映画という言葉が使われていましたが、その後のテレビドラマといわれている年数が圧倒的に長いため、後者を採用していきます。

渡辺邦男は10作以上で長年コンビを組んだ俳優の1人、美空ひばりの主演映画『民謡の旅 秋田おばこ』(1963年公開)を最後に東映を離れました。その後、たどり着いた先のテレビ製作会社でドラマの監督や監修を手がけることとなります。

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*『民謡の旅 秋田おばこ』は商品化されていないため、写真はイメージです。




知られざる美空ひばりの真実 世界ナンバーワン女優の真相


美空ひばりはテレビやラジオなどのメディアで多くの場合、国民的な歌手として取り上げられることが多いですが、女優としても1949年から1970年代の前半までの黄金期の映画界を中核として160作以上に出演しました。出演数の割には代表作はあまり多くありませんが主演数は110作強、ヒロイン数は135作ほど、戦後の映画女優では共に世界ナンバーワン主演数です。

存命の映画出演55年強の吉永小百合のヒロイン数が95作ほどです。40作も差が存在しているわけであり、いかに美空ひばりが膨大な主演をしたのかが伺い知れます。

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渡辺邦男=日本電波映画株式会社松本常保


渡辺邦男が日本電波映画株式会社で出会ったのが松本常保という人物でした。実はこの二人はこの日本電波映画株式会社のドラマ時代以前の1950年代から知り合いでした。その映画時代以来の共同制作をドラマで行うことになりました。映画時代のつながりがあったからこそ、渡辺邦男は日本電波映画株式会社へやってきたのでしょう。



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松本常保の主な活動と「えくらん社」の存在


松本常保は戦前から映画関係者としての経験を積んだと伝えられています。戦後の1948年に映画製作や俳優養成を目的に「えくらん社」として設立していました。えくらん社による映画作品は4作のみで挫折してしまいましたが、えくらん社は残しながら新東宝の映画製作者として活動、「すがお集団」を立ち上げて主宰するものの、2作の映画のみの製作に留まりました。


えくらん社は1959年から2つに枝分かれしていました。えくらん社の俳優養成はエクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)
として残りましたが、映画制作部門は日本電波映画株式会社として生まれ変わることとなります。その後の松本常保はテレビドラマを中心として製作会社映画界から主に遠ざかることとなります。


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1956年の『あばれ行燈』は渡辺邦男(監督)と松本常保(製作=プロデューサー)の映画時代のコンビ作です。


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[ 2017/03/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)
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「七剣聖の映画ポスター」リンク集
  • 世の中に多様な映像スターの概念を定着させ、映画だけではなくテレビドラマ、時代劇映画、時代劇のテレビドラマ、映像芸能の世界に大きな足跡と幅広い影響を賞賛して「七剣聖の出演映画のポスター」を作成

  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(歴代トップ6の意味、時代劇形成の戦前1930年代に活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
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