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稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群



今回は「稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群」と題して進んでいきます。

前回の裏通りで「テレビドラマに4大巨匠と1名匠の超豪華布陣が集結 『旗本退屈男(1973)』の謎」を公開しました。この関連を今回は掘り下げて取り上げていきます。もちろんドラマブログなので、テレビドラマに関連した部分も登場させる予定です。


前回記事⇒【2大衛門劇場】中村吉右衛門と市川右太衛門のターニングポイントドラマに肉迫




比較的に簡単に説明できる履歴の時点であまりたいしたことない人物





テレビドラマ『旗本退屈男(1973)』は2クールのつまり、半年間放送されたドラマとしては異例ともいえる豪華な監督陣でした。その証拠の一端をお届けいたします。


稲垣浩と渡辺邦男、佐々木康は実積が数多くある巨匠なのでおおまかな部分が中心になります。テレビなどは一分の人間だけを優遇するやり方が中心で、きちんと取り上げないので名前さえも知らない方がいるかと思います。ですが、テレビなどが優遇している人間よりも実積が上回る部分が数多く存在しています。


最初は稲垣浩です。彼と渡辺邦男がこの監督陣の中ではもっとも説明が困難な巨匠です。困難なことは基本的に実積が数多くあることを意味している場合が多いですし、俳優はこのブログでも常連の片岡千恵蔵や月形龍之介は多彩に数多くで実積があるため大変に困難です。それだけ現代への影響や貢献も最上級です。比較的に簡単に説明でき履歴の時点でそれほどたいした人物ではありません。これはどの分野でもある程度は通じています。


映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」
映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」

映画の上映のポスター。昭和51年6月21日(土)の渋谷公会堂とあり、昭和51は西暦で1976年です。さらに「キネマと舞台構成による 堂々六時間」と書かれており、これは映画と実演の殺陣を舞台上で披露したと考えられます。映画ポスターの監修が当時まだ存命だった稲垣浩だと残されており、色々と貴重な品です。




稲垣浩の映画界やテレビドラマ界 芸能界 現代への大きな貢献





・稲垣浩 13、15話  『旗本退屈男(1973)』の担当話数
時代劇4大巨匠に数えられ、時代劇の父の伊藤大輔に次ぐレベルで、時代劇や時代劇映画の形成に大きく貢献。通産の代表数では伊藤大輔を上回る。戦前から数十の代表作や後世への多大な影響力、1920年代後半から1930年代にかけて、主演330作以上の超大スター片岡千恵蔵と戦後の映画やテレビの娯楽時代劇や東映時代劇の基本となる”明朗時代劇の形成と牽引”、その後も多くの有名題材(宮本武蔵など)や股旅映画でも大成功。


片岡千恵蔵の映画会社の千恵プロ(*1)を日本のアート監督=映画作家の草分けの巨匠の伊丹万作と共に映画スター会社のトップの大成功に導く、戦前の日本映画界に旋風を起こし、当時の映画の最大の評価の一つ、数多くのベストテン賞に千恵プロ作品のみで20作近くがランクイン(*2)、通産の千恵蔵との名コンビは主に30作の代表作とコンビ数は現存版を含めれば50作近くに及びます。



(*1)千恵プロ=片岡千恵蔵プロダクション=映画スター片岡千恵蔵の映画製作会社、伝説の映画会社、映画スターの映画会社として1920年代の終盤から1930年代にもっとも成功し、もっとも多くの代表作を残した。ライバルの阪東妻三郎や嵐寛寿郎、市川右太衛門などの映画会社の受賞数や評価においては少なくても圧倒しました。ですが、観客動員においては余り差がなかったことが考えられます。


(*2)現在の映画界でいうとこの数倍以上の映画賞の受賞数に該当します。


千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)
千恵プロは大スターの片岡千恵蔵、伊丹万作、稲垣浩の3人ばかりはクローズアップされがちですが、時代劇映画を代表する大撮影者の石本秀雄の大ブレイクに導き、助監督で戦後に大活躍する名匠の佐伯清の発掘、長谷川一夫ともっともコンビを組んだ巨匠の衣笠貞之助の弟の衣笠十四三(きぬがさとしぞう)がデビュー、さらに千恵プロの映画製作などの数々の資金管理の役割の会計係を果たしたことなど、有名な曾我正史の存在も忘れてはなりません。千恵プロを主に影で支えていた人物です。




テレビドラマの製作にもつながるチームワークの形成と稲垣浩 そして正史





曾我正史(監督名義は振津嵐峡の読み=ふりつらんきょう、曾我は別字で曽我)は、千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理監督や千恵プロの資金管理で大きく貢献した後、のちに日活の撮影所製作部長、大映京都撮影所の取締役所長などいくつかを経て、戦後にニッポンシネマコーポレーションの取締役会長などによる映画界に多くの貢献や発展に尽力しました。曾我正史の実積でもありますが、これも大人物の片岡千恵蔵がいなければ無かったことであり、彼の実積の一部にもなります。


千恵蔵はただの大映画スターではありませんでしたが、大河内傳次郎(別字で大河内伝次郎)は自分が会社を持つことがなく、自信なかったのか、才能がないと承知していたのか、タイミングを逃したのか、生涯自分の映画会社は持ちませんでした。
長谷川一夫は片岡千恵蔵などの影響を受けて戦後直後に自分の映画会社を作りましたが、成功できずに残念ながら失敗してしまいました。東宝も良い部分もあるのはあることはあるのですが、長谷川一夫が東宝の関係者だからでしょうか、マスコミはこれを都合良く無視します。今では映画会社の失敗事実が無かったことになっています。

しかし片岡千恵蔵は大成功、俳優だけではなく、リーダーやトップとしての才覚を持ち、千恵プロを真の伝説の映画会社に導きました。



曾我正史(監督名義は振津嵐峡)は千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理の監督と書きましたが、伊丹万作や稲垣浩は体が強くなかったことでも有名です。なので片岡千恵蔵は二人の脚本や原作は使用しながら、映像化してくれる代理の監督を立てることがありました。体が弱い監督とわかりながらあえて自分の映画会社にこの二人を採用と起用し、しかもメイン監督として維持させたことも一つの驚異驚愕です。それだけこの二人の才能を買っていたし、人を見る能力にも優れていました。

あえて才能を秘めた毒を起用し、毒を上手く制することで他にはない花が開くわけです。1920年代の後半からこんなことができる人物は他にほぼ誰もいませんでした。当時ならなおさらですが、自分の大事な映画会社に体が弱い監督は才能があってもなかなか起用や採用は困難です。チワワドラは片岡千恵蔵の価値観にとらわれない所も高く評価しています。




稲垣浩のテレビドラマへの影響と超大スター片岡千恵蔵の存在の大きな貢献の一つ





鴛鴦旅日記 [DVD]
上記写真の片岡千恵蔵 時代劇に合うほんと良い表情をしています。


この『鴛鴦旅日記』(1929)も稲垣浩と片岡千恵蔵の現存版含むと50作を越す、日本映画で歴代上位の名コンビの数多い代表作の一つと考えられています。『鴛鴦旅日記』は残念ながら部分的に場面が欠落しているため、オリジナル版ではありません。オリジナルと現存版の2作があります。

鴛鴦旅日記』は大当たりした時代劇のジャンルの股旅時代劇映画です。男女の恋愛要素と千恵蔵の大きな魅力である明朗要素、さらに股旅要素を散りばめています。今でいうとアニメに近い部分もこの頃の時代劇映画の魅力です。

稲垣浩と片岡千恵蔵はこの股旅時代劇映画の形成の大きな貢献とその黄金期を支え、、戦後は映画界全体の数多くのスターの後輩による股旅時代劇映画、さらにのちの股旅要素のテレビ時代劇にも大きな影響を与えました。


なんとなく承知していましたが、大巨匠の稲垣浩の大まかなすごさでさえ、一記事では取り上げられませんでした。さらに最後はちょっと反れてしまいましたが、こうした千恵プロの脅威のチームワークものちのテレビ時代劇やテレビドラマのお手本になっていたことも事実なので取り上げてみました。映画は自主なら一人で作れても、基本のテレビドラマは一人では作れないからです。




この続き↓ まさかのあのハンフリー・ボガート、早川雪洲、三船敏郎の有名俳優の夢の共演のその真相は↓
稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群


映画愛子の愛ある新ブログが始動 一直線女子の映画向上会↓ ↓
あの森繁久彌も片岡千恵蔵を大きく下回る現実を暴露投下 
                       最初はやはり歴代№1映像俳優千恵蔵なのか?


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[ 2017/12/29 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

映画180作以上、芸歴60年近く、映画とドラマに身を沈めたある名優の生涯


前回の続きです。伊沢一郎という俳優、監督よりは多くの共演したスターに恵まれています。主演のスターとの共演で脇役としての自分の道を切り開き、長年の活動に結び付けたのではないでしょうか、そのように考えています。

前記事の伊沢一郎が脇役で出演している”三益愛子の母物シリーズ”の内訳は1948年の記念すべき第1作の「母(1948) 」1949年の「母燈台」1950年の「母椿」、「母(1958) 」、1958年の「母の旅路」の5作に出演しています。簡単な内容は母親の目線を中心にした家族話です。子供や娘や夫のことなど、さまざまなトラブルを交えて、母の情愛を描き長期のヒットシリーズとなりました。これにも貢献しています。

三益愛子は舞台でも長年活躍した女優ですが、映画では脇役でも活躍しています。主演の代表作の母物シリーズは30作を越しているので十分なスターだと判断しています。世界でも30作の映画シリーズと主演が女優は他に誰もいません。三益愛子はいわゆるスターらしいスターではなく、老け役も得意としていました。亡くなってだいぶ時間が経過していますが、個人的にも高く評価している名女優です。さまざまなテレビドラマでこの人だけの独自な名演を見かけていますが、記事が伊沢一郎なので、また別な機会にお話したいです。このころ松竹では、佐田啓二岸恵子による大ヒットを記録した悲恋映画1953年「君の名は」の1作目に出演しています。

また、映画の大映の時代劇に出演していた1958~1960年の約3年間では、戦前から活躍する大スター・長谷川一夫との共演が8作、市川雷蔵とは19作、勝新太郎と11作で共演(3名ともすべて助演)を果たす。映画時代にもっとも共演したスター俳優は市川雷蔵でになります。

巨匠・渡辺邦男による1958年の大映オールスターキャストの「忠臣蔵」と1959年の「次郎長富士」のオールスターキャスト作品と1960年の「大江山酒天童子」で長谷川・雷蔵・勝の3名と同時に共演を果たしています。この大映時代に自身の生涯において、時代劇映画への出演のほとんどを成しています。伊沢一郎の特徴的な履歴部分といえるでしょう。

渡辺邦男について、全体が映画のことなのでこちらに書いています。良ければご覧ください。②⇒歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠⇒①ついにひらくヒロイン女優の大輪の花・原節子と”のちの3大巨匠たち”

1950年代に入ると、フリーと考えられる立場となり、上記の大映や戦前から縁のある日活や松竹などにも出演、1960年代に入ると専属といえるのだろうが東映の映画にのみ出演を開始しています。映画の東映時代には1962年「太平洋のGメン」で主演の片岡千恵蔵と”維新の曲”以来の20年ぶりの共演を果たす。戦後デビューの最大の映画スターの一人・鶴田浩二の東宝時代から続く”暗黒街シリーズ”の1963年「暗黒街の顔役 十一人のギャング」と同年の「暗黒街最大の決闘」にも出演し存在感を残していますが、この2作には高倉健と一緒に助演で出演しています。

映画の流れで東映の時代劇や現代劇への出演が続いていくと、博士役でテレビドラマの「キャプテンウルトラ」(1967)にムナトモ博士役で出演して、「キャプテンウルトラ(映画版)」(1967)にも出演を果たしています。「特別機動捜査隊」よりは劣ると考えられますが、これもテレビドラマの助演の代表作といえそうです。

←中央は中田博久。1960年に日活のニューフェイスとしてデビュー、期間を経て1965年に東映で再び活動、脇役で映画やテレビドラマで活動。このキャプテンウルトラには主演。国産初の本格スペースオペラ作品であり、TBSの「ウルトラシリーズ」第3弾と位置づけられています。宇宙人やロボットが出てきたりして、敵との戦い、アクション、SFや宇宙の要素もあり、バラエティに富んでいて明かい雰囲気で楽しい内容だった記憶がある30分テレビドラマ作品です。残念ながら最近は再放送さえされていません。

1961年からスタートしていた東映初の刑事ドラマにして大ヒット作の「特別機動捜査隊」に1968年の300話過ぎから関根部長刑事役で長年にわたり出演を果たして作品のヒットを長年にわたり支えています。確認している限りでは、話数が空くこともありますがまだ出演しています。

他のテレビドラマでは1980年の時期までに東映の時代劇「水戸黄門」、話数を重ねると日活から三船プロになる「大江戸捜査網」に20度以上もゲストの出演をしています。現代劇ドラマにも数多く出演していますが、その中でも「特別機動捜査隊」はテレビドラマの出演・助演の代表作的な作品としています。映画やドラマで約60年近く活動し、名脇役といってよい俳優の一人といえそうです。

生涯の1931~1980年の通産では180作以上の映画に出演しています。内訳は現代劇映画130作ほど、時代劇映画は50作強であり、長きにわたって足跡を残しています。1995年に83歳で没しています。

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関連タグ : 三益愛子, , 忠臣蔵, キャプテンウルトラ, 中田博久, 特別機動捜査隊, 水戸黄門, 長谷川一夫, 市川雷蔵, 勝新太郎,

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[ 2015/11/27 21:54 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)
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  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(時代劇形成の戦前1920年代後半から1940年代かけてトップ6の意味と大きな活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
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  • 特に観客動員1位の東映は片岡千恵蔵と市川右太衛門のトップ、長谷川一夫は大映のトップとして戦後の映画黄金期(特に7年連続観客動員8億人の1955~1961)に多大な貢献と活躍、多くの後輩やテレビドラマにも大きく影響
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