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チワワドラのテレビドラマ愛好世界

「おはよう~こんにちわ~こんばんわ~おやすなさい~」のチワワドラがドラマや映画の明るい未来のために愛好世界の精神で盛り立てる新世界ブログ

テレビドラマで実現した通産43年の終着駅 主演俳優の苦悩苦闘の前に欧米人





今回は『旗本退屈男(1973)』 連続テレビドラマ史希少の4巨匠1名匠の豪華布陣集結の「2大巨匠の稲垣浩渡辺邦男」部分で取り上げた稲垣浩渡辺邦男佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の内、稲垣浩に関しては稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群などで取り上げていましたが、他の部分はまだでした、そのため今回はその続きに迫ります。





歴代大スターだからこそ実現す。稲垣浩、渡辺邦男佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の豪華な監督陣






渡辺邦男に関しては以前に取り上げています。天皇の渡辺邦男と松本常保 映画とドラマと 時代と運命と【大進撃】映画界の天皇 渡辺邦男が参加した主なテレビドラマたちを公開で取り上げていましたが、新しく書いてしまったので別なものを投稿します。






その前に改めてテレビ時代劇の『旗本退屈男(1973)』に関する続きです。テレビ時代劇の『旗本退屈男(1973)』は稲垣浩、渡辺邦男、佐々木康、伊賀山正光、佐伯清、山崎大助、龍伸之介の豪華な監督陣で制作されました。そこに至るには長い、実に苦しい流れがありました。43年です。


当時の平均寿命が70歳ほどのときの43年はほんと長期間です。しかも映画時代は映画会社の専属制度なので負担も現代のような気軽さはなく、倍の締め付けがあり、10年のレべルで長期間活躍するだけでも、現在でいう30年以上に相当すると考えています。現在はある程度でも地位があれば長くやれてしまう時代ですが、当時は結果を出さないと常に切られる要素が今以上に激しく強い時代でした。改めてこの43年が今回のキーワードです。





事実上の世界歴代3位の映画スター





旗本退屈男市川右太衛門の最大の当たり役で、数多くの役を演じた中でも突き抜けたイメージが定着した役柄(今で言うキャラクター)でした。市川右太衛門の主演映画300作強、この数字はサイレントのみで活躍した日本最初の映像大スター尾上松之助、市川右太衛門のライバルの一人でもあり、戦後は映画会社東映の重役兼同僚の時期もあった最大のライバルの片岡千恵蔵に次ぐ、世界歴代3位です。現代や過去のハリウッドスターやそれ以外の地域俳優が一生懸命にやっても圧倒的に及ぶことがない異次元の金字塔に到達、彼や彼らはまさに世界を代表する映画界や映画スターを代表する一人といえるでしょう。


市川右太衛門の自分の映画会社の通称・右太プロで『旗本退屈男(1930)』として製作がスタートし、舞踊をモチーフにしたとされる独自に追求したといわれる華やかな立ち回りや独自なしゃべりと言い回し(スタート時はサイレント映画)、キメ台詞、知識に問わず分かりやすい内容などで大きく評判になりましたが、右太プロを畳んで松竹傘下の新興映画に移籍したときの通算9作目の1938年『宝の山に入る退屈男』で製作がストップしてしまいます。







佐々木味津三 イッパツ屋じゃない真実の大原作者に迫れ



旗本退屈男 01 第一話 旗本退屈男旗本退屈男 01 第一話 旗本退屈男
小説家の佐々木味津三(ささきみつぞう)は旗本退屈男の原作者です。

佐々木味津三の代表作は「旗本退屈男シリーズ」だけでなく、「右門捕物帖シリーズ」の原作者としても知られています。この二つは死後も数多く作られ、生涯の2大代表作となりましたし、両方のシリーズが戦前から戦後にかけて同時期に国民的な作品となりました。つまり現代も漫画などで原作者が一つのシリーズだけが突き抜けている人は数多くいますが、それは最低限、佐々木味津三はそれを余裕で上回る二つの国民的作品の原作者だったわけです。

同時期に国民的な作品になったこともものすごいことなのですが、二つの国民的作品の原作者として高く評価すべき点でしょう。所詮一つくらいの代表作は他にも大勢いるある程度レベルなのです。今後も日本でも海外でも一つくらいの国民的作品を生み出す人物は数多く出てくることでしょうが、二つは極端に人数が減少します。突き抜けた代表作が一つだけではなく二つあることの凄さ、これぞ本物です。


テレビドラマでも1950年代後半から2000年代前半にかけて「右門捕物帖」は6度の機会、「旗本退屈男」は5度の機会で何度も映像化されました。つまり二つをあわせると映画とドラマで1920年代後半から2000年代まで70年強にわたって「右門捕物帖」と「旗本退屈男」の2大代表作は繰り返し映像化されているのです。これは嘘ではなく真実です。これも十分に世界レベルの大記録でしょう。







主演俳優の試練 変貌を求められた苦闘の日々





戦後の1950年まで約13年を待つことなり、最低でも2000万人以上、個人的には最低でも3000万人は動員したと考えています。1950『旗本退屈男捕物控 七人の花嫁』で再スタートしたものに、まだアメリカに敗戦後の日本はGHQ統制下であり、自由な作品が作れない状況でした。まさに予期せぬとおせんぼ、欧米人の圧力というどうしようもない到来の嵐に屈するしかない状況が初演俳優を襲ったのです。



正確にはただ娯楽映画を作りたいだけだったわけですが、アメリカ側の勘違いですが、過激や反抗を煽ると考えられていた剣戟シーンまでも封じられ、剣戟を取り入れ成敗を魅力とする部分が集団劇、裁きや捕物要素を持つ作品へ一時的に変貌、しかし1952年にGHQ統制が解除され、本来の旗本退屈男の魅力が戦後風に戻っていくこことなりました。



その中でも1956年の年間観客動員第5位に『旗本退屈男 謎の幽霊船』(監督は巨匠・松田定次)がランクインしました。この『旗本退屈男 謎の幽霊船』は通算20作目&カラー1作目です。カラーを魅力を活かし、色彩の華やかさを全面に作品に押し出し、当時に話題を呼んで観客動員がシリーズ最多を記録したのだと考えられます。これまでにない新しい旗本退屈男を観客に提示したわけです。





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GHQの日本洗脳を説いた書籍 表上は開放されたことになっていますが、何代をふてもその呪縛はとかれることがなく、今喪何らかの支配が続いているのかもしれません、



テレビドラマというよりも映画が多めですがさらに裏側に続く
     ↓     ↓
当たり役と時代の荒波の飲み込まれてから10年後の奇跡


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「嘘と誠」西城秀樹の死真実 マスコミ報道がまたやらかした嘘




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[ 2018/05/29 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(9)

【三船プロ秘録】金の種亡き父親にすがる息子 野武士に稲垣ドラマの全真相



ようやく、テレビドラマに関して取り上げることができますが、稲垣浩は藤木弓名義でテレビドラマに参加していました。それは戦後の三船敏郎との縁が招いたテレビドラマの関与でした。




大河ドラマの『西郷どん』(せごどん)がスタートしました。チワワドラマとりあえずは視聴しました。
詳しくは裏側で⇒大河ドラマの『西郷どん』に稲垣浩が貢献していた真実



前回記事⇒稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群




大巨匠のテレビドラマ参加の履歴をまさぐる




・主な稲垣浩のテレビドラマ参加の履歴

・ドラマタイトル  (放送期間と話数の範囲)        主演               
    *稲垣浩の作品への関わり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・桃太郎侍(1967~1968 2クール範囲)          尾上菊之助(現在の尾上菊五郎)  
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で脚本
・昔三九郎(1968、1クール強)                林与一   
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で原作と脚本、主題歌の作詞 
五人の野武士(1968~1969 2クール)           宝田明など複数 
   *稲垣浩で監修と藤木弓の名義で脚本
・長谷川伸シリーズの旅の風来坊(1972 全体は2クール)    片岡千恵蔵 
   *稲垣浩は監督、藤木弓の名義で脚本
・旗本退屈男(1973~1974 2クール)            市川右太衛門  
   *稲垣浩は監督2回で参加
女・その愛のシリーズの滝の白糸(1973 全体は2クール)  岡田茉莉子、田村 正和 
   *稲垣浩は監督のみ



*桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士は東宝の関係者が製作側、俳優などを含めて多く参加
*東宝の製作協力は昔三九郎と五人の野武士
三船プロ製作は桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士の3作です。
*東映の制作は長谷川伸シリーズの旅の風来坊、旗本退屈男、女 その愛のシリーズの滝の白糸
*長谷川伸シリーズは全30話のオムニバス時代劇、股旅もの
女・その愛のシリーズは全26話で13エピソードの前後編、文学時代もの
女・その愛のシリーズの滝の白糸は名脚本家の依田義賢とのコンビ


上記の通り、稲垣浩は監修と監督の参加、藤木弓の名義で脚本と原作の参加で6つのテレビドラマに関りました。桃太郎侍、昔三九郎、五人の野武士の3作で稲垣浩の名義で監修、藤木弓の名義で脚本3つの中では昔三九郎のみで原作
長谷川伸シリーズの旅の風来坊に稲垣浩名義で監督と藤木弓の名義で脚本、旗本退屈男(1973)と女・その愛のシリーズの滝の白糸で稲垣浩名義の』2度の監督参加を果たしました。


チワワドラの個人情報ですが、『桃太郎侍』、『五人の野武士』、『長谷川伸シリーズ』、『旗本退屈男』、『女・その愛のシリーズ』は再放送されており、視聴と録画済です。ドラマは現存しています。『昔三九郎』は放送され、見た記憶が薄々ありますが録画できていません。そこは残念な限りです。



映画チラシ 大殺陣 イメージフォーラム 夢野京太郎・監督 マキノ雅弘・稲垣浩・監修

斬新な「大殺陣 にっぽん剣優列伝」のポスターです。マキノ雅弘と稲垣浩の時代劇2大巨匠による共同監修とあります。いわゆる独立プロによる映画ということがいえそうです。ナレーションは西村晃とあります。戦前の数多くの映画の時代劇俳優の場面場面をまとめたものだと確認できます。

併映は戦前の時代劇映画で活躍した名脚本家・山上伊太郎の名前が確認できます。







関与した黄金期はオムニバスのドラマが充実





この頃のテレビドラマは今以上に多彩で幅の広さがありました。オムニバスドラマが充実していたからです。今はスポンサーに左右される部分が強く規制が強しぎてしまい面白みや幅の広さに欠けています。

現代のオムニバスドラマが時代劇と現代劇を含めてほとんど存在していない状況です。なのでテレビドラマ黄金期にオムニバス方式のドラマが数多く作られていたことさえ知らないドラマ視聴者が存在しています。そのことを知っていただく、または再認識していただくためにもこの部分を少し取り上げました。



ほとんどが連続方式と設定を維持する1話完結方式のばかりなので視聴者が飽きてしまいます。稲垣浩は『長谷川伸シリーズ』と『女 その愛のシリーズ』に数回のみですが参加していました。『長谷川伸シリーズ』の旅の風来坊は日本映画の総明記と黄金期を牽引した大スターで、盟友の片岡千恵蔵と稲垣浩の映画時代から続く、映像作品の最後のコンビ作品としても知られています。映画で50作以上の名コンビの最後はテレビドラマです。



稲垣浩が片岡千恵蔵の映画会社千恵プロで監督デビューしてから1928年からこの『長谷川伸シリーズ』の旅の風来坊の1973年まで約46年間の縁がありました。1970年代前半は現在のように高齢化が進んでいない時期であり、当時ではもっとも長いコンビ、互いの大きな功績の一つです。このこともきちんと伝えるべきことです。




監督と俳優―三船プロ、石原プロ、東映で五百本の作品を監督!宮越澄直筆のドラマツルギー
宮越澄、なつかしい名前です。チワワドラらもこれを見つけるまではこの人の存在を忘れていました。この人は参加本数は多いですが、作品への機能としてあまり印象に残らない人物だからです。何故ならチーフの役割はほとんどありません。重要な話数の担当は少なく、主な参加作、事実上の代表作は『大江戸捜査網』や『西部警察』シリーズ、『特捜最前線』、『はぐれ刑事純情派』が主です。


何故この人をここで登場させたのか、三船プロが『大江戸捜査網』に製作で関与していたときに宮越澄はドラマ監督で参加しているためです。ですが、稲垣浩がテレビドラマで関わった三船敏郎と関りはありますが、稲垣浩とは大きなつながりはないようです。






野武士とこの製作プロダクション 今も金の種の亡き父親にすがる息子の姿







稲垣浩がテレビドラマに参加した主な6作の中でも『五人の野武士』は少し異色度が高めであり、五人の野武士は話数に応じてメインキャストや主演が変わることがあるテレビ時代劇でした。三船プロのテレビ時代劇は本数の割にはあまり成功しませんでした。テレビや映画製作に行き詰まって倒産しています。

最近になって息子の三船史郎が仕事を求めて、父親の力を借りようと再び三船プロをスタートさせました。三船史郎は言うまでも無いですが俳優でぜんぜん成功できませんでした。






俳優は東宝の宝田明が中心としての主役でしたが、時々は三船敏郎が登場して主演の役割を悪く言ってしまうと奪ってしまうのです。彼の映像制作会社の三船プロが五人の野武士の製作に関与しているため、仕方ないことでしょう。三船敏郎は1話と最終話を含む重要な話数に登場しています。



東宝映画の中心俳優は宝田明、三船敏郎のほかにも東宝映画の脇役俳優として知られる人見明や堺左千夫もメインで出演しています。メインキャストでいうと中山仁は松竹関連の俳優でしたが、全体的なメインは東宝系でした。各話のゲストは松竹、東映、東宝やそれ以外など比較的にバラバラです。





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『五人の野武士』なので影は5人のはずですが、なぜ上記には7人のものを選んだのでしょうか。やはり映画の影響があるといいたいのでしょうか。そんなパッケージです。




テレビが無視 ウラの裏に迫る⇒戦後の稲垣浩と黒澤明の東宝のみの時代劇の監督数と電通の優遇証拠




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[ 2018/01/27 00:03 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)

稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群



今回は「稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群」と題して進んでいきます。

前回の裏通りで「テレビドラマに4大巨匠と1名匠の超豪華布陣が集結 『旗本退屈男(1973)』の謎」を公開しました。この関連を今回は掘り下げて取り上げていきます。もちろんドラマブログなので、テレビドラマに関連した部分も登場させる予定です。


前回記事⇒【2大衛門劇場】中村吉右衛門と市川右太衛門のターニングポイントドラマに肉迫




比較的に簡単に説明できる履歴の時点であまりたいしたことない人物





テレビドラマ『旗本退屈男(1973)』は2クールのつまり、半年間放送されたドラマとしては異例ともいえる豪華な監督陣でした。その証拠の一端をお届けいたします。


稲垣浩と渡辺邦男、佐々木康は実積が数多くある巨匠なのでおおまかな部分が中心になります。テレビなどは一分の人間だけを優遇するやり方が中心で、きちんと取り上げないので名前さえも知らない方がいるかと思います。ですが、テレビなどが優遇している人間よりも実積が上回る部分が数多く存在しています。


最初は稲垣浩です。彼と渡辺邦男がこの監督陣の中ではもっとも説明が困難な巨匠です。困難なことは基本的に実積が数多くあることを意味している場合が多いですし、俳優はこのブログでも常連の片岡千恵蔵や月形龍之介は多彩に数多くで実積があるため大変に困難です。それだけ現代への影響や貢献も最上級です。比較的に簡単に説明でき履歴の時点でそれほどたいした人物ではありません。これはどの分野でもある程度は通じています。


映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」
映画ポスター 監修:稲垣浩「大殺陣!大会」

映画の上映のポスター。昭和51年6月21日(土)の渋谷公会堂とあり、昭和51は西暦で1976年です。さらに「キネマと舞台構成による 堂々六時間」と書かれており、これは映画と実演の殺陣を舞台上で披露したと考えられます。映画ポスターの監修が当時まだ存命だった稲垣浩だと残されており、色々と貴重な品です。




稲垣浩の映画界やテレビドラマ界 芸能界 現代への大きな貢献





・稲垣浩 13、15話  『旗本退屈男(1973)』の担当話数
時代劇4大巨匠に数えられ、時代劇の父の伊藤大輔に次ぐレベルで、時代劇や時代劇映画の形成に大きく貢献。通産の代表数では伊藤大輔を上回る。戦前から数十の代表作や後世への多大な影響力、1920年代後半から1930年代にかけて、主演330作以上の超大スター片岡千恵蔵と戦後の映画やテレビの娯楽時代劇や東映時代劇の基本となる”明朗時代劇の形成と牽引”、その後も多くの有名題材(宮本武蔵など)や股旅映画でも大成功。


片岡千恵蔵の映画会社の千恵プロ(*1)を日本のアート監督=映画作家の草分けの巨匠の伊丹万作と共に映画スター会社のトップの大成功に導く、戦前の日本映画界に旋風を起こし、当時の映画の最大の評価の一つ、数多くのベストテン賞に千恵プロ作品のみで20作近くがランクイン(*2)、通産の千恵蔵との名コンビは主に30作の代表作とコンビ数は現存版を含めれば50作近くに及びます。



(*1)千恵プロ=片岡千恵蔵プロダクション=映画スター片岡千恵蔵の映画製作会社、伝説の映画会社、映画スターの映画会社として1920年代の終盤から1930年代にもっとも成功し、もっとも多くの代表作を残した。ライバルの阪東妻三郎や嵐寛寿郎、市川右太衛門などの映画会社の受賞数や評価においては少なくても圧倒しました。ですが、観客動員においては余り差がなかったことが考えられます。


(*2)現在の映画界でいうとこの数倍以上の映画賞の受賞数に該当します。


千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)
千恵プロは大スターの片岡千恵蔵、伊丹万作、稲垣浩の3人ばかりはクローズアップされがちですが、時代劇映画を代表する大撮影者の石本秀雄の大ブレイクに導き、助監督で戦後に大活躍する名匠の佐伯清の発掘、長谷川一夫ともっともコンビを組んだ巨匠の衣笠貞之助の弟の衣笠十四三(きぬがさとしぞう)がデビュー、さらに千恵プロの映画製作などの数々の資金管理の役割の会計係を果たしたことなど、有名な曾我正史の存在も忘れてはなりません。千恵プロを主に影で支えていた人物です。




テレビドラマの製作にもつながるチームワークの形成と稲垣浩 そして正史





曾我正史(監督名義は振津嵐峡の読み=ふりつらんきょう、曾我は別字で曽我)は、千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理監督や千恵プロの資金管理で大きく貢献した後、のちに日活の撮影所製作部長、大映京都撮影所の取締役所長などいくつかを経て、戦後にニッポンシネマコーポレーションの取締役会長などによる映画界に多くの貢献や発展に尽力しました。曾我正史の実積でもありますが、これも大人物の片岡千恵蔵がいなければ無かったことであり、彼の実積の一部にもなります。


千恵蔵はただの大映画スターではありませんでしたが、大河内傳次郎(別字で大河内伝次郎)は自分が会社を持つことがなく、自信なかったのか、才能がないと承知していたのか、タイミングを逃したのか、生涯自分の映画会社は持ちませんでした。
長谷川一夫は片岡千恵蔵などの影響を受けて戦後直後に自分の映画会社を作りましたが、成功できずに残念ながら失敗してしまいました。東宝も良い部分もあるのはあることはあるのですが、長谷川一夫が東宝の関係者だからでしょうか、マスコミはこれを都合良く無視します。今では映画会社の失敗事実が無かったことになっています。

しかし片岡千恵蔵は大成功、俳優だけではなく、リーダーやトップとしての才覚を持ち、千恵プロを真の伝説の映画会社に導きました。



曾我正史(監督名義は振津嵐峡)は千恵プロの伊丹万作や稲垣浩の代理の監督と書きましたが、伊丹万作や稲垣浩は体が強くなかったことでも有名です。なので片岡千恵蔵は二人の脚本や原作は使用しながら、映像化してくれる代理の監督を立てることがありました。体が弱い監督とわかりながらあえて自分の映画会社にこの二人を採用と起用し、しかもメイン監督として維持させたことも一つの驚異驚愕です。それだけこの二人の才能を買っていたし、人を見る能力にも優れていました。

あえて才能を秘めた毒を起用し、毒を上手く制することで他にはない花が開くわけです。1920年代の後半からこんなことができる人物は他にほぼ誰もいませんでした。当時ならなおさらですが、自分の大事な映画会社に体が弱い監督は才能があってもなかなか起用や採用は困難です。チワワドラは片岡千恵蔵の価値観にとらわれない所も高く評価しています。




稲垣浩のテレビドラマへの影響と超大スター片岡千恵蔵の存在の大きな貢献の一つ





鴛鴦旅日記 [DVD]
上記写真の片岡千恵蔵 時代劇に合うほんと良い表情をしています。


この『鴛鴦旅日記』(1929)も稲垣浩と片岡千恵蔵の現存版含むと50作を越す、日本映画で歴代上位の名コンビの数多い代表作の一つと考えられています。『鴛鴦旅日記』は残念ながら部分的に場面が欠落しているため、オリジナル版ではありません。オリジナルと現存版の2作があります。

鴛鴦旅日記』は大当たりした時代劇のジャンルの股旅時代劇映画です。男女の恋愛要素と千恵蔵の大きな魅力である明朗要素、さらに股旅要素を散りばめています。今でいうとアニメに近い部分もこの頃の時代劇映画の魅力です。

稲垣浩と片岡千恵蔵はこの股旅時代劇映画の形成の大きな貢献とその黄金期を支え、、戦後は映画界全体の数多くのスターの後輩による股旅時代劇映画、さらにのちの股旅要素のテレビ時代劇にも大きな影響を与えました。


なんとなく承知していましたが、大巨匠の稲垣浩の大まかなすごさでさえ、一記事では取り上げられませんでした。さらに最後はちょっと反れてしまいましたが、こうした千恵プロの脅威のチームワークものちのテレビ時代劇やテレビドラマのお手本になっていたことも事実なので取り上げてみました。映画は自主なら一人で作れても、基本のテレビドラマは一人では作れないからです。




この続き↓ まさかのあのハンフリー・ボガート、早川雪洲、三船敏郎の有名俳優の夢の共演のその真相は↓
稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群


映画愛子の愛ある新ブログが始動 一直線女子の映画向上会↓ ↓
あの森繁久彌も片岡千恵蔵を大きく下回る現実を暴露投下 
                       最初はやはり歴代№1映像俳優千恵蔵なのか?


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[ 2017/12/29 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(1)
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「七剣聖の映画ポスター」リンク集
  • 世の中に多様な映像スターの概念を定着させ、映画だけではなくテレビドラマ、時代劇映画、時代劇のテレビドラマ、映像芸能の世界に大きな足跡と幅広い影響を賞賛して「七剣聖の出演映画のポスター」を作成

  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(時代劇形成の戦前1920年代後半から1940年代かけてトップ6の意味と大きな活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
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  • 特に観客動員1位の東映は片岡千恵蔵と市川右太衛門のトップ、長谷川一夫は大映のトップとして戦後の映画黄金期(特に7年連続観客動員8億人の1955~1961)に多大な貢献と活躍、多くの後輩やテレビドラマにも大きく影響
  • これらは未来や海外に伝えるべき重要な事実
  • チワワドラからの旅立ち