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NHKが超貴重な証言強制カット 92歳井上昭の記憶蘇る85年前の子役伝説 高級食時代のカレーに香川Rの息子





NHKが超貴重な証言強制カット 92歳井上昭の記憶蘇る85年前の子役伝説 高級食時代のカレーに香川Rの息子




複雑な国際情勢と日本、中国を擁護する反日マスコミや反日企業、NHKなどは地上派放送局は、国民の生命と財産を壊す上海電力の報道は完全無視、そんな中、親中ともいわれる岸田政権、日本政府はついに、「中国を仮想敵国」に指定しました。正確にはしていました。



前回記事のコメントの引用

ついに自民党が、日本政府が、岸田政権が中国を仮想敵国に指定、2022年5月24日の虎ノ門ニュースで報じられる。「仮想敵国はロシア、中国、北朝鮮」である。ようやくようやく、10年以上前から待望敵認定、はじめて、「中国は重大な脅威である」と記されたのだ。



気になる方は「2022年5月24日の虎ノ門ニュース」で検索できますし、下記のリンクからも視聴できます。マスコミが逆世論誘導しているという部分からです。1時間56分50分あたりから、事実上の仮想敵国と江碕氏が話し出しますし、1時間59分過ぎから、その文章も紹介しています。「中国を仮想敵国」は文書だけでないことを祈ります。直ちに何度も中国へ行った親中危険男の林芳正を更迭を求む

【DHC】2022/5/24(火) 百田尚樹×江崎道朗×居島一平【虎ノ門ニュース】


これで晴れて「中国は日本国民の敵」となり、擁護の日本企業も同様、同時に「中国系を擁護する者も日本の敵」となった。もちろんNHKも・・・

百田尚樹 江崎道朗 親中危険男の林芳正

上海電力さんこと、コスプレ不倫男、ぬきぬきぽん男、日本の恥さらし男、ロシア擁護でウクライナ批判男、中国擁護男の橋下徹も覚悟しておけ。




【橋下徹が焦っているぞ!正義の鉄槌を下す大チャンスだ!『ウクライナ大使館と外務省に訴えてやる!』】概要欄のナザレンコ氏のツイートをリツイートしてくれ!命を懸けた英雄・英霊を橋下徹が侮辱



山口敬之が橋下徹氏疑惑記す最新刊内容を先出し解説!日米媚中ライバル争い、日米首脳会談・クワッド、北朝鮮ミサイル発射など裏読み!山口敬之×さかきゆい

最新5月25日公開、橋の下さんこと、日本売国男の化けの皮 山口敬之は、特亜系の様に卑怯な論点逸らし男の橋下と、中国共産党参加の国防上危険な企業の上海電力の関わりを初めて公に伝えた功績を持つ人物です。維新自体も売国のグルか、逃亡のはしげ、上海電力は入札の条件を満たしていなかった・・・

山口敬之


中国はようやく正式な日本の敵、テレビドラマにも関与している中国、BSやCSでは韓流以上に、人気もニーズさえも存在しない、中国ドラマ(華流ドラマ)が毎日数多く放送されています。特に目立つのがBS11やBS12です。日本人、日本国、日本の文化の未来を握る国際情勢と国内問題の数々は、そのまま日本のテレビドラマにも関与しています。





岸田政権、日本政府はついに「中国を仮想敵国」に指定
 中国を仮想敵国 中国系を擁護する者も日本の敵 中国は日本国民の敵

上海電力さん 上海電力 コスプレ不倫男 ぬきぬきぽん男 日本の恥さらし男 橋下徹 中国擁護男 中国ドラマ 華流ドラマ

ロシア擁護でウクライナ批判男



気まぐれライブ「Hよ、もう黙れ!お前の詭弁は聞きたくない」

・Hは橋下徹のことです。


長くなりましたが、前回記事⇒ちょうはん8度75年に及ぶ映像化の光と影 映画スターと歌舞伎が繋ぎ父と子を孕んだリアルドラマ





殺すな』 これは本当は映画ではなくテレビドラマだ!NHKは全体は「テレビドラマ監督」を「映画監督」と連呼の紹介






高齢のベテラン映像監督の井上昭監督が、2022年1月9日に93歳で亡くなり、2022年2月に追悼番組がNHKのBSプレミアム『太秦のいちばん暑い日 〜映画監督・井上昭の93年 -』(ネットとしてはこの表記)、個人的に確認した劇中タイトルは『太秦のいちばん暑い日~映画監督。井上昭の93年~』が放送されました。録画して翌日に視聴しています。



太秦のいちばん暑い日 〜映画監督・井上昭の93年 -


井上昭


2021年の小規模で上映された『殺すな』、初回上映が映画であり、表向きは一応映画です。


撮影は松竹太秦撮影所、全般としてはCS放送の時代劇専門チャンネルのオリジナルのテレビドラマを初回のみを劇場で上映したため、表向きは映画の要素が存在しています。とNHKはこの作品を映画、映画と何度も紹介していましたが、現実はテレビドラマともいえ、映画だとするとポリコレともいえますが、今回はNHKにあわせて『殺すな』はあえて映画として展開します。


時代劇専門チャンネル 松竹太秦撮影所




井上監督は、有名作品の上位にしぼると『ザ・ガードマン』、「眠狂四郎シリーズ」、「テレビ版の座頭市シリーズ」、「鬼平犯科帳シリーズ」、「剣客商売シリーズ」などに参加しました。明確には多くが監督参加したのみで、明確な代表作とは言いがたい部分があります。

有名作への参加は、1960年代中心に大ヒットした『ザ・ガードマン』を除くと、上位の代表作がテレビドラマの時代劇です。明確な代表作に近いといえるのは、1話含む事実上のチーフを手掛けた、田村正和版の「眠狂四郎シリーズ」(最初は1972年)といえるでしょうし、眠狂四郎のいわゆる必殺剣の”円月殺法”の場面も多く流れました。


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ザ・ガードマン シーズン1(1966年度版) 1 [DVD] は、高価なBOX版よりも、低価格で雰囲気が把握できます。




国民的なレベルともいえる俳優、田村正和の引退報道のときや亡くなったときの多くの民法のニュースで、この眠狂四郎の映像も流れました。

ザ・ガードマン 眠狂四郎 座頭市 鬼平犯科帳 剣客商売 円月殺法




彼は名匠といえるでしょうか、一般的にはテレビドラマで60年近く長期間活動した、テレビドラマ中心の映像監督として認知されています。ですが、NHKはこの番組において、”映画監督というフレーズ”を多用しています。正確には違うものだと考えていますし、合意的にはテレビドラマ中心の映像監督です。

また、彼を名匠かのように取り上げていましたが、それは事実とは決めがたく、もっとも大きな実積としては実働年数が長いこと、名匠というより、ベテラン監督という言葉が相応しい人物です。ですが、NHKはその事実と異なり、彼を名匠のように取り上げていましたし、この二つの面において、事実と異なると考えられる紹介をしていました。




名匠とされやすい例からの3選

年数が長い=名匠は一概に言えません
本数が多い=名匠と一概に言えません
明確な代表作が多い=名匠は基本的です




井上監督は60年という監督として長期の年数の割にテレビドラマの監督数は少なく、有名作品への参加のみが多く、チーフは少ない特徴があります。


個人的に多くの情報を把握した上で書くと、本数のみだと、9割以上がテレビドラマの監督です。なので合理的ま本数からみても、彼はテレビドラマの監督といえます。同時にNHKは嘘をついていたといえます。






殺すな』から橋ものがたり たそがれ清兵衛も顔を出す映画は数本のみ









冒頭に時代劇専門チャンネル(スカパーなどのCSチャンネル、フジテレビ系)と表記が出ます。1月28日からイオンシネマにて上映、2月1日から時代劇専門チャンネルにて放送、最後に監督・井上昭と出ます。脚本は大映映画時代から彼と縁のある中村努です。

中村努


橋ものがたり



殺すな』の原作は、上記のリンク画像の藤沢周平の「橋ものがたり」です。藤沢周平はテレビドラマ中心に映像化がある原作者ですが、あまり映像化に恵まれていません。恵まれていないというよりは映画に関すると本数そのものが少ない。ちなみに映画化は2022年時点で博報堂が関与した2002年の『たそがれ清兵衛』など、たった数本のみです。

マスコミの広告のイメージにより、人気があるとされていますが、現実は映画は数本のみです。



橋ものがたり 藤沢周平 博報堂 たそがれ清兵衛






綾瀬はるかは女優?! 時代劇は日本だけ 韓国や中国は日本のぱくっちょ または史劇と嘘をばらまいている電○とテレビ






反日のフジテレビ系は問題に感じていますが、時代劇専門チャンネルは個人的には評価しています。時代劇は好き嫌いのろくでもないレベルを越した日本の文化だからです。韓国や中国は正確には史劇(または歴史劇)であり、時代劇ではありません。電○などが時代劇だと嘘を広めています。

正確には”時代劇は日本だけ”、まさに宝です。仮に時代劇だとしたものだとしたらですが、彼らが日本の時代劇の真似をした、パクったといえます。

こうした捉え方が存在しています。NHKの大河ドラマは歴史劇要素が非常に強く、特亜(韓国や中国など)や左翼的といえます。



大河ドラマ

国民が受信料を払っていることが大きく、大河ドラマは視聴率がある程度は当たり前です。これは最盛期よりは大きく落ちた弦兄老いても、一定のブランド力として残されています。


大河ドラマは内容がどんなに酷くても、最低限の視聴率は得られます。最近だと、2010年代に事実上の広告タレントの綾瀬はるかが主演して不評であっても、1960年代に元映画大スターの長谷川一夫が主演しても好評でも同様でした。


綾瀬はるかは、ユニクロやパナソニックのウイグル人強制労働に関与企業(テレビマスコミは日本企業名の報完全無視、中国政府によるウイグル人ジェノサイドの日本企業の11、または12社に含まれる)のコンビへの広告出演、コカ・コーラなどの広告で、多額の契約金をえている広告タレントだが、果たして女優なのだろうか、パーセンテージは低めといえる。

その理由の一つは、年収の大半は、女優としての映画やドラマ、舞台などの稼ぎではなく、CM広告だと考えられるためである。彼女が女優なら女優の仕事の稼ぎが大半のはずです。

綾瀬はるか

*NHKは最近、女優は俳優と伝えています。女優だと差別だというのでしょうか。


また、いわゆる実力系ではない、女優の枠だとすれば、吉永小百合(夫は元フジテレビの社員でプロデューサーの岡田太郎、「9条論者」で女優として批判される政治的発言が多く、赤永などと長年の批判もある)などの系図の、代表作さえ少ないイメージ女優の路線に含まれそうである。

イメージ女優とは、諸説ありますが、好感度が高いイメージがあり、代表作の印象が薄いや少ないなど、これは同時に”活躍しているという中身の伴いにくいイメージの危険を提示しています。

つまりポリコレ女優(女優としての全活動のパーセンテージや収入のパーセンテージの要素が5割以下の女性)の危険を秘めています。イメージ女優とポリコレ女優の噛み合いはまだまだ曖昧ですが、数割のつながりがあるといえます。つまり女優とはいいがたい下能活動の女性を女優だと、テレビが広告や売り出していることも含まれます。



岡田太郎 9条論者 吉永小百合 メージ女優 フジテレビの社員 ポリコレ女優





新釈 長谷川一夫とは






長谷川一夫

時代劇六大スター、七剣聖などに数えられ、「二枚目」などの言葉も残す。巨匠・衣笠貞之助の映画会社「衣笠連盟」で、事実上の弟子として「林長二郎」名義でデビュー、松竹、東宝、大映において長年の時代劇の映画トップスターとして、35年を越す大活躍、映画出演300強、主演は280ほどを記録。

長編系映画の主演数は片岡千恵蔵、市川右太衛門に次ぐ世界歴代3位、主演俳優における通産観客動員は、片岡千恵蔵や石原裕次郎などに次ぎ、ベスト5付近の3億以上と考えられ、日本歴代上位。

主演代表作本数は片岡千恵蔵、嵐寛寿郎などに次ぎ、市川右太衛門などと競りあって100本強といえる世界歴代上位を記録、映画歴代ベスト5圏内の記録を10つほど保持する、国民的映画スター(国民的俳優、国民俳優)の一人。

戦前はもっとも女性人気が高かったと多くの記録が残るが、自身の映画制作会社は千恵蔵、阪妻、嵐寛、右太衛門と大きく異なり、負債を抱えて大失敗に終わり、1950年後半からの映画最盛期の大映は、名作は多数残したものの、東映に興行収入や観客動員で大敗北、

このときの年俸(映画主演のみの給料)は、千恵蔵、右太衛門に次ぐ、超高額の3位だったとも考えられ、晩年の長谷川は両名ほど観客が呼べず、事実上の大映から首を切られ、1960年代前半に映画を引退します。ですが、その直後のNHK大河ドラマ2作目『赤穂浪士』に主演、高視聴率を記録した。



長谷川一夫 

時代劇六大スター 七剣聖 二枚目 衣笠貞之助 衣笠連盟 林長二郎 国民的映画スター 国民的俳優 国民俳優 NHK大河ドラマ2作目 赤穂浪士




長谷川一夫の伝え方も様々あります。歴代上位であり、簡単に伝えることは不可能、今回はこのように取り上げてみました。大河のこのも影響か、NHKは現在も「ラジオ深夜便」で、何故か彼の映画の主題歌ばかりを多く流すなど、多様性さえも排除した、異常な優遇を続けています。NHKは多様性をうたいながら、多様さを排除しています。


ラジオ深夜便


bb2665市川崑雪之丞変化spポスター 長谷川一夫 市川雷蔵 山本富士子 若尾文子 勝新太郎


戦前の代表作の一つ『雪之丞変化(1963)』の戦後リメイク版の映画ポスター、上位に市川雷蔵、山本富士子、若尾文子、勝新太郎など、大映オールスターキャスト、長谷川の最後のオールスター出演主演作として公開されました。映画は年間上位には含まれませんでしたが、最低限な観客動員数を記録したと考えられる、彼の映画最後のヒット作といえる映画です。長谷川は、この映画後の同年5月公開の『江戸無情』へ主演後、翌1964年1月あら放送のNHK大河ドラマ2作目『赤穂浪士』へ主演する流れです。

ちなみに制作者の代表名は、井上監督も話していた第一映画永田雅一(当時は大映社長)です。制作(企画表記)に市川崑が含まれ、監督は市川崑です。そして助監督に井上昭が参加しています。



雪之丞変化(1963) 市川崑 市川雷蔵 山本富士子 若尾文子 勝新太郎 江戸無情


製品版の『雪之丞変化(1963)』





”観なくてはならない意識”と”観るべき義務”と受信料茶番 連続テレビ小説や大河ドラマは受信料があるから視聴率が獲得しやすかった歴史





1960年代から1970年代の最盛期の大河ドラマは、現在の日本人以上に半強制的に受料を払わされている、また払っえいることから、観なければならにという、義務や責任感が強くありました。

それは同時にNHK信者が突き抜けて時代だったため、戦前から国民的に認知されてきた長谷川一夫が出演したことで、さらに数字が獲得しやすかった現実があります。1960年代からブランド化に成功したNHKの連続テレビ小説も大河ドラマと同様です。

受信料は”観なくてはならない意識”、”観るべき義務”などの一定の茶番をまねく、民法の放送局のテレビドラマにおいて視聴率を獲得すうほうが、はるかに公平な評価といえます。


連続テレビ小説


極端ですが、受信料が強いNHKで40パーセントだったら、受信料の関係のない民法で20パーセントのほうが、受信料という縛りがないという意味おいて、はるかに上といえるかもしれません。いうまでもないことですが、民法のほうが、NHKの一局よりも放送局が多い上に、ドラマも膨大、時代劇も膨大だったためです。







なんとカレー?! 貴重な証言をNHKが強制カットの衝撃 92歳井上昭が振り返る85年前の千恵プロの子役経験の思い出






NHKのBSで放送された『太秦のいちばん暑い日 〜映画監督・井上昭の93年 -』の16分付近に、非常に重要な部分が訪れます。

ちなみに、番組のタイトルの93歳は亡くなった年齢であり、この証言時は92歳です。この記事は証言時を尊重して、93歳ではなく、あえて92歳を採用しています。


井上監督は、大魔神の像の周辺(大映画製作した時代劇と特撮を掛け合わせた名作映画「大魔神シリーズ」の大魔神の像がある京都の太秦)を歩いているときに、この辺りに千恵プロ(=片岡千恵蔵プロクションの略称、日本最大の映画スター片岡千恵蔵の映画会社、、千恵蔵プロ、千恵蔵映画といわれる場合も有)、

東映と第一映画があったと過去形で話しています。東映の京都撮影所は現在もあります。井上監督は千恵蔵プロなどではなく、何度も録画を再生して確認していますが、確かに"千恵プロ”と声を発しています。当時から現実に千恵プロと言われていたのでしょう。


大魔神シリーズ 千恵プロ 片岡千恵蔵 東映 第一映画 大魔神の像


ここでいう東映とは、東映につながる日活や大映のことでしょうか、日活の時代劇部が中心となり、新興と大都を巻き込んで、大映の形成、そしてその中枢が戦後に飛び出して、満映(満州映画協会)なども含んで、東映へつながっているためです。千恵プロ第一映画の同時期の戦前映画会社のことを話していることから、ここでいう東映のフレーズは、その前身の多くでもある日活や大映のことを指しているように思えました。

ここは観る人の解釈によってはそのままの戦後の東映のことを指しているとも言えますが、この3社の差異に関する発言の詳細は不明です。



満映 満州映画協会


千恵プロ(片岡千恵蔵の主演俳優における映画会社の中でもっとも成功を収めた戦前の映画会社、戦後の最盛期の時代劇の概念へ多大な影響)のことを多めに話しています。





井上監督が話した「第一映画」とは







井上監督が話した「第一映画」とは 主に1934~1942年

第一映画の所在地は京都市右京区嵯峨野千代ノ道町

1934年 第一映画社の創立(映画化歴代上位の大小説家の川口松太郎、のちの巨匠の伊藤大輔と溝口健二などが制作の中枢に関与)
1935年 第一映画撮影所(日活京都撮影所の企画部長の永田雅一が創立、彼はのちの大映社長の大物、京都の嵯峨野の千恵プロ撮影所の傍に第一映画撮影所)

1937年 新興キネマ京都太秦第二撮影所(右太プロ解散後の市川右太衛門、デビュー当時の大友柳太朗などが在籍の新興キネマ系の撮影所)

1942年 新興キネマが日活の時代劇部門や大都映画と合併し、大日本映画(のちの大映)の撮影所の大映嵯峨野撮影所となるが閉鎖、他の大映撮影所へその面影は引継がれました。



大友柳太朗は当時は大友柳太郎、朗と郎が異なります。里見浩太朗も映画時代からテレビ当初は里見浩太郎、芸名数も5文字で同じですが、郎から朗も同じです。東映の現実の後輩でもあり、共演もちょくちょくあり、そこも共通しています。




川口松太郎 伊藤大輔 溝口健二

日活京都撮影所の企画部長の永田雅一 永田雅一

市川右太衛門 大友柳太朗 新興キネマ



井上監督は、1930年代に千恵プロの子役経験(端役のため、映画表記はなし)があったようで、子役の給料はカレー(当時は現在よりも高級な食べ物)だったと話しています。第二次世界大戦より前の、85年ほど前の記憶を語る、撮影時は92歳の井上昭、85年ほど前の記憶語る場面は、視聴している側も不思議な気持ちに陥りました。


千恵プロの子役経験
 第二次世界大戦

カレーのエピソードは、おいしい高級なものを食べるために映画の撮影に参加していたという、当時の子供らしさも伝えています。三欲求の一つ、事実上は睡眠欲と食欲の二大(性欲は無くても生きていくためには平気なもの)、この食欲に関わる食べ物の記憶は80年以上が経過しても強いことも教えてくれます。




三欲求





衝撃の千恵プロ映画の給料だった。子役時代の井上昭は食べた1930年代の当時のカレーは高級食と香川の名子役の息子







食品メーカーのハウスのカレーの歴史によると、固形カレールウは戦後に生まれ、カレーは1948年(昭和23年)に全国の学校給食に導入、1950年(昭和25年)は、初めて市販の板状固形カレールウが発売されているとあります。


ハウス 固形カレールウ 全国の学校給食 市販の板状固形カレールウ


次は残念なことですが、NHKは井上監督が貴重な千恵プロの思い出を語っているところで、強制的に場面をカットしてしまいました。これはNHKに大きな問題を感じました。本当に貴重な証言、当時のことが話せる人間はもう誰もいないのだから、しっかりと流すべきだ。




映画出演時の年齢のことは話していませんが、井上昭は千恵プロが創立した約半年後の1928年の12月生まれ、映画に子役としての出演時は、上記でカレーが給料だったとあることから、”カレーが食べられる年齢”だったということになります。数歳から千恵プロが日活に吸収される1937年の間に出演していたということになります。


カレーが食べられる年齢


千恵プロに出演していた名子役だと、大名優の香川良介(映画700本以上、代表的出演作は100以上、千恵蔵映画の常連)に出演したの息子の宗春太郎(そう しゅんたろう)が存在しています。

彼は千恵プロで子役デビューし、子役時代のみの歴代上位の歴代上位の名作30本ほどに出演(シリーズ代表作の出演は国民的3題材の宮本武蔵、丹下左膳、鞍馬天狗など)戦前の日本映画上位に含まれる子役として知られています。


香川良介 宗春太郎 宮本武蔵 丹下左膳 鞍馬天狗







高級食から大衆食へ カレーと井上監督を考察する動画






【カレーの歴史】手軽に食べられるように進化し続けた国民食!!【ゆっくり】


こうした機械声が苦手な方もいるかと思いますが、あえて選んでいます。2分10秒付近から本題です。


動画によると、ハチ食品が1905年に最初にカレー粉、1926年にハウスから初のカレールーとあり、1928年から高級食としてのカレーが食堂で出されたとあります。カレーは戦後までは高級食でした。動画内容は、ハウス側の情報と、多小食い違う部分がある様に思えますが、諸説あるということでしょう。どこかrが最初か、専門家によって食い違うケースがある部分と通じるかもしれません。






複雑なテレビドラマを巡る過去と現代の因果関係






テレビドラマ60年監督とカレー、そこに秘められたテレビドラマにも貢献してきた真の伝説映画会社の貢献、さらにNHKの大河ドラマも含めた受信料や俳優優遇の問題点と、女性の広告タレント、複雑なテレビドラマを巡る因果関係に触れました。





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「七剣聖の映画ポスター」リンク集
  • 世の中に多様な映像スターの概念を定着させ、映画だけではなくテレビドラマ、時代劇映画、時代劇のテレビドラマ、映像芸能の世界に大きな足跡と幅広い影響を賞賛して「七剣聖の出演映画のポスター」を作成

  • 7名の総主演映画数は最低でも1600作、総出演数は2400作に上り、これは世界歴代に前人未到の功績

  • 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎 月形龍之介を歴代トップ7と称して『七剣聖』と呼ぶ(左から主演数順)
  • 七剣聖のほかに、片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 嵐寛寿郎 阪東妻三郎 大河内傳次郎を『時代劇六大スター』(時代劇形成の戦前1920年代後半から1940年代かけてトップ6の意味と大きな活躍、その黄金期から戦後にかけて)と呼ぶこともあり
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  • 特に観客動員1位の東映は片岡千恵蔵と市川右太衛門のトップ、長谷川一夫は大映のトップとして戦後の映画黄金期(特に7年連続観客動員8億人の1955~1961)に多大な貢献と活躍、多くの後輩やテレビドラマにも大きく影響
  • これらは未来や海外に伝えるべき重要な事実
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