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 「おはよう~こんにちわ!こんばんわ!おやすなさい~」なチワワなドラ10年以上前くらいからCS(スカパー)でドラマ見てます。かなりの作品500タイトル以上観てきました。1960年代~70年代のドラマが特に好きです。

天皇の渡辺邦男と松本常保 映画とドラマと 時代と運命と



今回は”天皇の渡辺邦男松本常保 映画とドラマと 時代と運命と”と題して展開していきます。テレビドラマ中心の映像制作会社の日本電波映画はその後、衰退の道をたどります。

関連の前回記事⇒【テレビドラマ貢献】松本常保と映画の通産42作とテレビドラマ22作の謎






天皇の渡辺と松本 映画とドラマと 時代と運命と




映画の製作者時代から渡辺邦男と縁があった松本常保は映画の『明治天皇と日露大戦争』をテレビドラマとして再映像化した『明治天皇』を映画と同様に多額の費用で製作し、これに苦しんだといわれています。1966年の第1期はテレビ映画として製作していましたが、第2期は当時のNHKや他の放送局が製作していたドラマのように比較的に予算が安く済むVTR撮影で製作するという路線変更を余儀なくされましたが、最終的に折り合わず打ち切られました。

時間をさかのぼりますが、渡辺邦男はテレビがあまり普及していない頃の1955年に『エノケン ホームラン王』というテレビドラマの単発作品の監督をしていますが、このときは本格的なテレビドラマの参加はそませんでした。本格的な参加は1963年の松本常保の日本電波映画のテレビドラマまで待つことになります。



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1948年に公開された新東宝とエノケンプロの制作による 『エノケンのホームラン王』は大喜劇人&映画スター榎本健一の商品化されたエノケン×渡辺邦男(監督)の名コンビの代表作の一つであり、サトウハチローが原作です。1955年に放送されたテレビドラマの『エノケン ホームラン王』もこの映画の 『エノケンのホームラン王』のリメイクの可能性が疑われます。







両雄のテレビドラマのために避けては通れない”映画の功績”





渡辺邦男松本常保はテレビドラマで関わりを持つ前の映画時代から縁がありました。そうです。渡辺邦男と松本常保の関係に迫る前に渡辺邦男の映画の大まかな功績に光を当てることが大切だと考えています。テレビドラマのブログですが、彼の映画の功績を取上げることでいかに功績がある人物がテレビドラマに挑戦したのかを少しでも知っていただくためです。

渡辺邦男はテレビドラマに進出する前には、娯楽映画の巨匠スター映画の巨匠早撮りの巨匠オールスター監督映画界の天皇などの異名を持っていました。当時、これだけの異名を持つ映画監督は彼だけでした。

渡辺邦男は日活映画の池田富保(戦前の最多オールスター監督数、娯楽時代劇の巨匠)の助監督を6作以上勤め、1928年に監督デビューし、通産で約230作、現存の縮濃版などを含めると240作ほどの映画作品を監督しました。しかもそのほとんどが長編映画です。


アメリカの映画監督はショートムービー(アメリカのサイレント時代に多い)を含めれば200作は何名か存在していますが、長編だけでは存在していません。代表作はいくつかの理由から東映のナンバーワン監督としても知られる松田定次とほぼ近い100作、またはそれ以上の本数が存在しています。

松田定次については以前の記事にも書いています。
テレビドラマの松田定次、海江田譲二、松山容子 豪華3競演録実現など

いずれは映画ブログの方で機会を設けて大々的に取上げたいと思いますが、松田定次と渡辺邦男の大きな違いの一つは戦前の代表作は渡辺邦男の方が多いところも挙げられるでしょう。また、小規模オールスターの本数は渡辺邦男の本数が上です。例えばオールスター映画は大と小があるという捉え方をすると大規模は松田定次といえますが、小規模のオールスター映画は渡辺邦男が世界で歴代でトップの本数を監督しています。さらにテレビドラマでも200本(作数ではない)以上の監督をこなした大人物です。



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上記は現存題『忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜』、公開時は『赤垣源蔵』の説も有り。渡辺邦男の師匠の池田富保は尾上松之助や山本嘉一、阪東妻三郎や片岡千恵蔵、大河内傳次郎(左から映画デビュー順)の歴代大スターが出演した日活映画を二桁10作以上も残しており、5大スターだけでも50作以上にのぼります。これも池田富保の功績を語る上で大きな実積の一つです。





渡辺邦男 公開順の戦前から戦後の主な代表作





渡辺邦男の戦前の主な代表的作品群(表ブログバージョン)

『さくら音頭(日活版)』  五月潤子、市川春代、夏川大二郎  現代劇 マキノ正博と共同監督  大ヒットと記録有
「丹下左膳」4作(1933~1938)  大河内傳次郎  時代劇  日活オールスターは内1作
『検事とその妹』(1937)  岡譲二と原節子 現代劇
『源九郎義経』(1937)  長谷川一夫(源義経)と大河内傳次郎(武蔵坊弁慶) 時代劇
「白蘭の歌」前後篇(1939)  長谷川一夫  現代劇 東宝オールスター2部作 大ヒットと記録有
5  9(前後や他含む)
「熱砂の誓ひ」前後篇(1940)  長谷川一夫、李香蘭  現代劇
6 10

渡辺邦男の戦後の主な代表的作品群

『麗人』(1946) 原節子  現代劇
「誰か夢なき」前後篇(1947)  藤田進  現代劇 大ヒットと記録有
エノケンのホームラン王』(1948)  榎本健一  現代劇
『向う三軒両隣り 白百合の巻』(1948)   柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの1作目
10  15
『続向う三軒両隣り スタコラ人生の巻』(1948) 柳家金語楼  現代劇 向う三軒両隣りの2作目
『いれずみ判官 桜花乱舞の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん1作目 東横オールスター
『いれずみ判官 落花対決の巻』(1950)  片岡千恵蔵   時代劇 遠山の金さん2作目 東横オールスター
『水戸黄門漫遊記 第一部 地獄の豪賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
『水戸黄門漫遊記 第二部 伏魔殿の妖賊』(1952)  市川右太衛門 時代劇 東映オールスター
15  20
『飛びっちょ判官』(1952)  片岡千恵蔵 時代劇 遠山の金さん5作目  東映オールスター
『大菩薩峠』3部作(1953)  片岡千恵蔵 時代劇 東映オールスター3部作
『犬神家の謎 悪魔は踊る』(1954)   片岡千恵蔵 現代劇  片岡千恵蔵の金田一耕助5作目 東映オールスター *1
『はりきり社長』(1956)   森繁久彌  現代劇 森繁久彌の社長シリーズ3作目
明治天皇と日露大戦争』(1957)   嵐寛寿郎 時代劇 新東宝大オールスター 超大ヒットと記録有
20  27
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』前後篇(1957)  美空ひばり 時代劇 新東宝中心オールスター  大ヒットと記録有
『忠臣蔵(1958)』   長谷川一夫 時代劇  大映大オールスター 超大ヒットと記録有
『銭形平次捕物控 夜のえんま帖』(1961) 長谷川一夫  時代劇 銭形平次捕物控17作目
『水戸黄門海を渡る』(1961) 長谷川一夫  時代劇


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大手映像会社のKADOKAWA(大映映画の権利を持つ)は本当にハイスピードで商品化をしています。一方、東映はDVDの商品化があまり進んでいませんが大映作品は商品化が多い。渡辺邦男と長谷川一夫の10作を越す名コンビの晩年作『水戸黄門海を渡る』(1961)、この映画はもちろん豪華キャストですが、オールスターの判断はしていません。3大スター以外の出演俳優が弱めの作品だからです。


『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』(1961)  美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ7作目など *2
25  32
『べらんめえ芸者と大阪娘』 美空ひばり  現代劇 べらんめえシリーズ9作目など *3
『民謡の旅 桜島 おてもやん』 美空ひばり  現代劇 ひばりの民謡シリーズ3作目
『べらんめえ芸者と丁稚社長』(1963)  美空ひばり  現代劇  べらんめえシリーズ10作目 *4
『民謡の旅 秋田おばこ』(1963)   美空ひばり  現代劇  ひばりの民謡シリーズ4作目
『「明治の風雪」より 柔旋風』(1965) 倉丘伸太郎 現代劇
30  37



*1=片岡千恵蔵の金田一耕助5作目の『犬神家の謎 悪魔は踊る』は前後や総集編などを含めると10作目、再公開含めると13作目の説あり

*2=『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』は、べらんめえ芸者シリーズ7作目、べらんめえ芸者シリーズ5作目、ひばりの民謡シリーズ1作目の3つに同時該当
*3=『べらんめえ芸者と大阪娘』は、べらんめえシリーズ9作目、べらんめえ芸者シリーズ6作目
*4=『べらんめえ芸者と丁稚社長』はべらんめえ芸者シリーズ10作目、べらんめえ芸者シリーズ7作目





上記の渡辺邦男の戦前から戦後にかけての作品群(表ブログバージョン)は厳選した代表的な部分のみを載せています。
下記のリンク先の裏ブログは他の映画タイトル(裏ブログバージョン)やこちらで公開できない要素も公開しています。

リンク⇒テレビドラマの形成に関与 大巨匠渡辺邦男の主な代表的作品群



後日談=今回は膨大な情報量のため映画が中心になってしまいましたが、これは必要なことだと考えて断行させていただきました。ドラマブログなのに申し訳ないところです。この流れはへ続く



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[ 2017/09/28 00:02 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

【テレビドラマ貢献】松本常保と映画の通産42作とテレビドラマ22作の謎


今回は路線を前の流れに戻して日本電波映画松本常保にスポットを当てて行こうと考えています。

その前の流れ部分⇒有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男以前に松本常保が登場した記事



テレビと映画で活躍した名製作者の存在





松本常保日本電波映画を創立して『琴姫七変化』や『姿三四郎』、『柔(1964)』などのテレビドラマのヒット作を多く世に送り出しました。ですが、その影には映画とテレビの両方向の活動が存在しています。今回はその部分を取上げていきます。


日本電波映画はテレビドラマ(テレビ映画)の制作を行っていましたが、映画の製作も行っていました。その配給は松竹でした。今回も映画のことが登場してしまいますが、松本常保はテレビドラマの関係者でもあると同時に映画の関係者であっても大きなつながりがあるものと考えています。

松本常保はテレビドラマと映画のどちらの方が活躍の比重があったのかは重要です。トータルではテレビ関係者と考えています。
それは大きな制作の代表作のほとんどがテレビドラマ側であることが挙げられるからです。






偉大な実積 映画の通産42作とテレビドラマ22作





映画の制作と企画の本数は確認できるのみで通産42作です。ドラマブログのため、映画に関することは府変えたいところですが、松本常保は1960年代を中心としてテレビドラマに大きく貢献した人物であり、名製作者(プロデューサー)です。


映画の製作者としての主な代表作は1948年『明日は日本晴れ』から1987年『舞妓物語』までの39年間にわたって製作や企画などで映画に携わっていました。テレビドラマは1960年から1974年の期間で22作強(未放映は含まない)を制作しました。



<松本常保の携わった映画とテレビドラマの製作本数と年数>
映画      42作 39年間 1948~1987  (日本電波映画の制作は6作)
テレビドラマ 22作 15年間 1960~1974 (日本電波映画と社名変更後の大和企画)

*大和企画は『白獅子仮面』、『藍は愛ゆえに』など



テレビドラマのうちの21作のうちの18作が1960~1966年の7年間に集中しています。その後の7年間で4作のみしか製作していません。この前期の7年18作以上から後期の7年3作にまで減少した理由として、このとき映画制作に力を入れていたこともテレビドラマが減少した理由だと考えられます。つまり資金的な面でも大きな打撃があったことも同時に考えられます。

*現時点で18作は確認できるのみで構成

姿三四郎と富田常雄
日本電波映画のテレビドラマ『柔』や映画『明治の風雪 柔旋風』などの原作者としても知られる柔道小説の原作者の富田常雄





日本電波映画の最大のピークの1965年から1966年の12作の実態




日本電波映画は1965年から1966年まで通産で6作の映画を製作していました。この1965から1965年のテレビドラマは9作の放映がされていました。




<主な日本電波映画の製作本数的なピークとなった1965年と1966年のテレビドラマ>

1964~ 1965年 『里見八犬伝(1964)』  日本テレビ系
1964~ 1965年 『柔(1964)』  日本テレビ系
1964~ 1965年 『坊主拳法』  読売テレビ(日本テレビ)系
1965年      『柔一筋』   日本テレビ系
1965~ 1966年 『続 柔』  日本テレビ系
1965~ 1966年 『柔道水滸伝』  日本テレビ系
1965年      『人生劇場』  フジテレビ系
1966       『青雲五人の男』   日本テレビ系
1966~1967 『明治天皇』  読売テレビ(日本テレビ)系




*すべてテレビ映画として製作



<主な日本電波映画の製作、松竹の配給の映画>
    『タイトル』          監督×主演        ジャンルの要素
1965 『明治の風雪 柔旋風』   渡辺邦男×平井昌一   柔道・青春
1965 『暴力の港 虎と狼』     土居通芳×丹波哲郎   やくざ・アクション
1965 『柔施風・怒涛の対決』   西山正輝×和崎俊哉   柔道・青春
1965 『続・柔旋風 四天王誕生』 西山正輝×倉丘伸太朗と平井昌一   柔道・青春
1966 『ド根性大将』         土居通芳×長門裕之   将棋・勝負
1966『男の顔は切り札』      マキノ雅弘×安藤昇    仁侠・アクション





上記の二つのように主な日本電波映画の製作本数的なピークとなったテレビドラマの9作と主な日本電波映画の製作の映画の6作は1965年と1966年の2年間に作られていました。テレビドラマと映画を含めて15作です。1970年代にテレビドラマ、テレビアニメと映画を同時に数多くヒットさせていた東映のように大手ではないため、日本電波映画の15作は2年間の本数としては膨大な数といえるでしょう。


CafePress – Small柔道ポスター – 16
アートと共鳴した柔道の一コマ 投げ技の瞬間は見る人を惹き付けます。 




裏側の青春と精神の清さを描いた柔道映画群  ↓  ↓
若者たちの青き春と精神の清さを描いた柔道映画群

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[ 2017/08/27 00:03 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

伝説のテレビドラマ『琴姫七変化』で活躍した男女の真相





1959年の日本電波映画株式会社と日本映画界の黄金期の逆強



日本電波映画株式会社が創立したこの1959年は日本映画界が最大の黄金期といわれる7年連続、観客動員が8億人以上の真っ只中でした。また3度目の10億人を記録した年でした。両御大を中心とした若手スターの活躍で時代劇の東映が1956年から4年連続で1位、現代劇の若者路線の日活が初の2位を獲得しました。

日活はこのときの2位が最高順位でした。その後は1960年代の全般は東映と東宝が首位争いを繰り広げていきますが、松本常保日本電波映画株式会社は1959年の時点、映画界からするとテレビドラマは陽の目を受けることがあまりない状況であり、大きな逆強の中で歩み出したのです。


映画黄金期の思い出―私の交友録
田中絹代、高峰三枝子や清水宏は誰が知るほどの有名な人物ですが、ほかはかなりの通心をくすぐる名前がずらりの中、
佐々木啓祐があり、彼は松竹の知る人ぞ知る監督です。




わかりやすいえくらん社の枝分かれの流れ


                
えくらん社(映画製作の会社 1949年) 
        
   ↓  ↓1959年に枝分かれ、1と2の2つに分れる
1、日本電波映画(テレビ・映画製作の会社)
2、エクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)

松本常保によるえくらん社は1949年に創立し、日本電波映画とエクラン社に枝分れしました。
その後、松本常保日本電波映画でテレビドラマを製作していきました。


*当時はテレビドラマをテレビ映画とも言う




日本のテレビドラマの初期を代表する作品の一つ 琴姫七変化


日本電波映画の多くのテレビドラマは日本テレビ系で放送されている作品が大半を占めていた部分も特徴です。日本電波映画といえば、美空ひばりの主題歌でも知られる同名曲の柔は、『柔(1964)』(1964~1965)の主題歌で使用されたことでも有名作ですが、日本電波映画のテレビドラマ制作の草分けとして流れを切り開いた作品『琴姫七変化』(1960~1961)は重要なテレビドラマでした。


柔 (MEG-CD)
当時のバージョンが一番説、わたくしこと、ドラも唱えていたりします。




琴姫七変化』はテレビドラマがスタートした初期の代表作の一つであり、時代劇ドラマでした。放送当時は1958年の『月光仮面』などと含めて、初期のテレビドラマのヒット作の一つに数えられる作品であり、松本常保の日本電波映画株式会社が製作していました。

ドラは『琴姫七変化』もほとんど見たことがあり、全105話の全話数が現存していたものと記憶しています。CS放送で放送された2000年代の前半に放送された全話数をビデオに録画していました。日本電波映画は松竹と関わりがある会社であり、著作権は松竹が所有している作品のようです。その証拠の一つとして、2000年代前半に『琴姫七変化』が放送されたホームドラマチャンネルは松竹のCSチャンネルの一つです。




琴姫を演じた松山容子と相手役で出演した松本錦四郎



主役の琴姫を演じた松山容子という女優がこの作品で知られ、ある種のスターとなって、有名なボンカレーのCMなどで起用されました。デビュー当時は松竹映画で松山清子の名義で活動していました。

ですが、その後の女優としても活動をしていきますが大きな代表作にはあまり恵まれずに、出世作の『琴姫七変化』が生涯の最大の代表作となってしまいました。


『琴姫七変化』は松本錦四郎という俳優も相手役で出演していました。松本錦四郎は松竹映画を中心に活動&売り出していた若手俳優でしたが、映画ではあまりブレイクせずにテレビドラマへ新しい活躍の場を移してきた俳優です。松本錦四郎の出演映画はここ数年で数作を視聴していますが、演技や癖に特徴がなく、残念ながら若い以外の部分に個性や魅力を見出すことはできませんでした。

松本錦四郎は松竹の時代劇映画でデビューしたため、歌舞伎俳優を思わせる芸名であるだけで、歌舞伎俳優の松本幸四郎とは別人です。

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『琴姫七変化』はドラマファンなら観ておきたいタイトルです。



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[ 2017/04/29 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)

有頂天天国から烙印の生き地獄 そして出会った「えくらん社」の男





渡辺邦男が映画監督としての烙印を押された大きな原因


1950年代の後半から本格的にテレビ放送がスタートし、番組制作の延長でテレビドラマを作っていた製作者と映画からテレビドラマの製作を行うことが求められた製作者たちの競い合いが生まれていきました。渡辺邦男も映画監督としてはある意味の烙印を押されてしまったと言われています。その理由は悪循環でした。


渡辺邦男の黄金期の1000万人ヒットは2作であり、1000万人ヒットの数は松田定次と比べると大きく劣りますが、安定した作品を手がける能力を持ち合わせていました。それでも安定感をぶち壊すほどのめまぐるしい変化が起こります。

1960年代に入ると大ヒット作が減少、映画業界全体の観客動員の急減、同時に1950年代から1960年代に掛けての大きな実積から給料が膨大に跳ね上がっていたことも、渡辺邦男が映画界から烙印を押された大きな原因だといわれています。映画会社側にとってヒットの減少と高額給料は大きな負担のかかる要因となっていきました。


日本映画黄金期の影武者たち渡辺邦男も影響を受けた影武者たち



急激な変化が追い風、上手いが高いベテランよりもある程度の安い若手


膨大な給料を払うなら、ある程度の能力を持つ若手にチャンスを与えようと映画会社側は考えた理由です。渡辺邦男や他のベテラン監督らは映画界を解放され、表向きは若手にチャンスを譲って再スタートを図るために新しい分野のテレビドラマへ踏み出しました。当時はテレビ映画という言葉が使われていましたが、その後のテレビドラマといわれている年数が圧倒的に長いため、後者を採用していきます。

渡辺邦男は10作以上で長年コンビを組んだ俳優の1人、美空ひばりの主演映画『民謡の旅 秋田おばこ』(1963年公開)を最後に東映を離れました。その後、たどり着いた先のテレビ製作会社でドラマの監督や監修を手がけることとなります。

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*『民謡の旅 秋田おばこ』は商品化されていないため、写真はイメージです。




知られざる美空ひばりの真実 世界ナンバーワン女優の真相


美空ひばりはテレビやラジオなどのメディアで多くの場合、国民的な歌手として取り上げられることが多いですが、女優としても1949年から1970年代の前半までの黄金期の映画界を中核として160作以上に出演しました。出演数の割には代表作はあまり多くありませんが主演数は110作強、ヒロイン数は135作ほど、戦後の映画女優では共に世界ナンバーワン主演数です。

存命の映画出演55年強の吉永小百合のヒロイン数が95作ほどです。40作も差が存在しているわけであり、いかに美空ひばりが膨大な主演をしたのかが伺い知れます。

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渡辺邦男=日本電波映画株式会社松本常保


渡辺邦男が日本電波映画株式会社で出会ったのが松本常保という人物でした。実はこの二人はこの日本電波映画株式会社のドラマ時代以前の1950年代から知り合いでした。その映画時代以来の共同制作をドラマで行うことになりました。映画時代のつながりがあったからこそ、渡辺邦男は日本電波映画株式会社へやってきたのでしょう。



最新裏側リンク⇒メディアが取り上げない巨匠・佐々木康がテレビドラマに至るまでの大きな貢献の数々



松本常保の主な活動と「えくらん社」の存在


松本常保は戦前から映画関係者としての経験を積んだと伝えられています。戦後の1948年に映画製作や俳優養成を目的に「えくらん社」として設立していました。えくらん社による映画作品は4作のみで挫折してしまいましたが、えくらん社は残しながら新東宝の映画製作者として活動、「すがお集団」を立ち上げて主宰するものの、2作の映画のみの製作に留まりました。


えくらん社は1959年から2つに枝分かれしていました。えくらん社の俳優養成はエクラン社(俳優が所属するエクラン演技集団)
として残りましたが、映画制作部門は日本電波映画株式会社として生まれ変わることとなります。その後の松本常保はテレビドラマを中心として製作会社映画界から主に遠ざかることとなります。


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1956年の『あばれ行燈』は渡辺邦男(監督)と松本常保(製作=プロデューサー)の映画時代のコンビ作です。


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[ 2017/03/27 00:00 ] レアドラマ探検隊 | TB(0) | CM(0)
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